オバマ大統領、広島訪問の舞台裏
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大統領のハグの映像が世界を駆け巡る
在任期間中の8年間、オバマ大統領は米大統領として、人々の記憶に様々な映像を焼き付けてきた。中でも、日本のみならず世界の人々の心に感動をもたらし、最も忘れがたいシーンの一つは、シンプルな1コマだった。
2016年5月27日、オバマ大統領は、広島平和記念公園の中心「永久の灯」からわずか数メートルのところに立ち、その手をそっと一人の被爆者の肩においた。次の瞬間、予期しない出来事が起こった。オバマ大統領は79歳の森重昭さんをそっと胸に抱き寄せた。
この映像は、瞬く間に世界を駆け巡り、2人を結び付けたボストン郊外在住のドキュメンタリー監督の元にも届いた。当初、海外メディアが、無名の森さんの生い立ちを調べつつ、世界初の広島の原子爆弾の被爆者だと報道している間、バリー・フレシェット監督はその背後にもっと多くの語るべき深淵な物語があることを知っていた。
「5月27日は私たちにとって大変な一日でした」と46歳のフレシェット監督はニッポンドットコムのインタビューに答えた。「森さんが、オバマ大統領広島訪問の式典に、前日に招待されたことは彼から聞いて知っていました。大統領と直接会えるといいとは思っていました。しかし、そこで起きた出来事は、私たちの想像をはるかに超えたものでした」
森さんも、フレシェット監督も、まさか森さんが最前列の貴賓席に座るとは予想していなかった。
「あの瞬間、大統領が森さんを抱き寄せた時、映画『ペーパー・ランタン(灯篭流し)』関係者の一人一人は、みんな目に涙を浮かべずにはいられませんでした」とフレシェット監督は言った。「私たちは、あの時、心の中でみんな森さんと一緒にあの場にいたのです。映画に携わった一人一人、広島で協力してくれた村の人々、そして広島に原爆が落ちた時、捕らえられ被爆して亡くなった12人の米兵の魂とその遺族たちの心も」
アマチュア歴史研究家が映画監督の心に灯をつけた
『ペーパー・ランタン』は、フレシェット監督が、米空軍にいた自分の叔父の親友が広島で戦争捕虜となり原爆で亡くなったと知り、制作を始めたドキュメンタリー映画だ。
合計で12人の米空軍捕虜兵士が、数多くの日本や韓国、他国の被爆者とともに亡くなった。
原爆が自分の町に落ちた時、森さんはまだ8歳。死にかけたという。森さんは、爆風で吹き飛ばされ、広島市一面を覆う真っ暗なきのこ雲の中にいたと、オバマ大統領との邂逅(かいこう)の数週間前に、広島でのニッポンドットコムの取材に答えた。
大学を卒業し、大手証券会社そしてヤマハを勤めあげたが、森さんは、歴史研究の夢を諦めきれずいた。戦後間もない1970年代に、今は山口県の柳井市の一部となっている伊陸(いかち)村の近くの山奥に米爆撃機が墜落したと伝え聞き、興味を持った。
その爆撃機は、日本軍に撃ち落とされた米陸軍B24爆撃機ロンサム・レディ号だということが分った。ロンサム・レディ号のみでなく、米陸軍B24爆撃機タロア号と2機の海軍戦闘機も撃墜されていた。そしてその乗組員の身元を調査する森さんの骨身を惜しまない調査の日々が始まった。これらの乗組員たちは、1945年8月6日の朝、ニックネーム“リトルボーイ”の原子爆弾が広島の上空600メートルで炸裂(さくれつ)した時に、尋問のため広島に連れてこられていたのだ。
40年以上もの間、森さんは、気の遠くなるような膨大な資料を調べあげ、すべての被爆米兵の遺族を探し当てた。ある日、被爆米兵の1人ノーマン・ブリセットの遺族を通じ、森さんの研究がフレシェット監督の目にとまった。監督は、この話にすぐに心をつかまれたと言う。
その成果が、ドキュメンタリー映画『ペーパー・ランタン』。オバマ大統領が、現役大統領として戦後70年近くたって初めて広島を訪れる数日前に、米政府関係者の目にとまった映画だった。
「大統領の演説の中で『普通の人たち(ordinary people)』について語った素晴らしい一節があります。この映画は、普通の人が(原爆のような)恐ろしい出来事に遭遇し苦しみがならも、他の人のために尽くす道を歩み続けた、という映画なのです」とフレシェット監督は語った。広島国際フィルム・フェスティバルで数ある映画の中からオープニング作品として上映される映画『ペーパー・ランタン』の監督として11月に来日した。広島では、映画のハイライトでもある伊陸(いかち)市まで足を延ばし、世話になった村人たちとも再会した。
Paper Lanterns Trailer (2:22)
森さんの研究活動に世界が注目
映画は、オバマ大統領広島訪問の5月27日前にすでに公開されていたが、大統領が人々の前で森さんに近づいたことにより、新たな局面を迎えることになった、とフレシェット監督は言った。「撮影を始めたきっかけは、歴史的な史実が時の流れにのみ込まれてしまう前に記録に残したかったのです」と彼は言う。「2015年に撮影で日本に行ったときには、多くの日本メディアに注目されましたが、国際的に認知されたのは、映画が完成し、オバマ大統領が来日した影響が大きかったです」
「あの日の出来事は、森さんと彼の成し遂げてきた研究にスポットライトを当てました」抱擁の映像が流れ、国際メディアは、森さん、被爆米兵犠牲者の長年にわたる追跡、フレシェット監督の映画、の緊密なつながりに気づいた。そして、電話のベルが鳴り始めた。
「電話が次から次へと鳴り始め、まるで私は、別の人生に導かれていくような気がしました」とフレシェット監督。今に至るまで次から次へと起こり続ける出来事に戸惑っているという。
「米国人として、私はオバマ大統領のスピーチを大変誇りに思いました。現役大統領が今まで誰も足を踏み入れなかった広島、そしてそれは私にはとても長い時間に思えたのです」とフレシェット監督は振り返る。「大統領の演説は、信じられないぐらい素晴らしいものでした。映像を見たから分りますが、森さんもとても喜んでいると思います」
「とても言葉で言い尽くせないものでした。森さんが感極まり、大統領がそっと彼を抱き寄せた瞬間は、私たちみんなにとっても忘れられない瞬間」そして、監督は「多くの人々が一つになった瞬間でした」と付け加えた。
ストーリーは続く—安倍首相が真珠湾訪問へ
森さんは、12月2日、日本文学振興会によってその年の文芸・映画などさまざまな分野で活躍した人に与えられる菊池寛賞を受賞した。受賞式で、杖をつきながらも「被爆調査は済んだのではなく、まだ途中なのです」と力強く語り、「命が続く限り、このようなことが2度と起こらないように、調査を続けます」と決意を新たにした。
そして、「ペーパー・ランタン」の撮影で来日した被爆米兵の甥ラルフ・ニールと広島で一緒に灯篭流しをして、ニールさんがその風習を大変喜んでくれたエピソードを語った。「ペーパー・ランタン」が今、米国各地で放映されていることに触れながら、最後に「米、英、オランダの亡くなった捕虜を代表して皆さんにお礼を申し上げたい」と締めくくった。
原爆投下国と被爆国に住む、
森さんとフレシェット監督は、メールで定期的にコンタクトを取り合っている。森さんはまだ研究を続けていて、広島の被爆米兵についての更なる情報を集めている。また、最近は、長崎に落とされた原爆によって被爆した捕虜の調査も行っている。
「森さんは、すごい人です」とフレシェット監督。「長崎の捕虜はオランダ兵なので言葉の壁があり、調査はかなり大変だと思うのですが、新しい証拠を見つけたり取材したりするたびに、私たちに知らせてくれます。決してとどまることなく、ずっと研究を続けているのです。私は、彼からEメールを受け取り、新しい情報を得るのがたまらなく好きです」
Behind the Scenes of Obama’s Hiroshima Visit
(原文英語、撮影 大谷清英)