サラブレッド大国を目指して天駆けるニッポンの生産界—ノーザンファーム吉田勝巳オーナーに聞く
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——日本のサラブレッド生産界を牽引(けんいん)する社台グループについて、まず簡単におさらいさせていただきます。3人のご兄弟がそれぞれに運営されている牧場の融合体、そんな説明でいいでしょうか。
父・吉田善哉が1993年に他界したのを機に、長男の照哉が「社台ファーム」、次男の私が「ノーザンファーム」、少し遅れて三男の晴哉が「追分ファーム」として独立しました。経営は別々ですが、種牡馬(しゅぼば)事業をはじめ、クラブ法人(※1)やセレクトセール(※2)の運営など、協力しあう部分も多いです。
——では3人とも吉田社長ということになる。
でも“吉田社長”と呼ばれるとドキッとします。遠慮なく勝己と呼んでください。
世界の注目を集めたセレクトセール
——先日、北海道苫小牧市で行われた「セレクトセール2016」を見学させていただきました。動くお金も場内の雰囲気も想像をはるかに超えていて、圧倒されてしまいました。
2日間の売上総額は149億円、レコードだそうです。ありがたいことです。いろいろな面で、日本の競馬が世界に認められたと感じました。ついにここまできたかと…。
——セレクトセールの成功に象徴されるように、日本の競馬が世界一といわれるまでになった経緯について、今日は勝己さんにうかがっていきたいと思います。
いや、うちに限っていえば特別なことは何一つやっていません。当たり前のことを積み重ねてきただけですから、そんなに面白みのある話を期待したってダメですよ(笑)。
——でも、その“当たり前”の裏側に、競馬社会の本当の姿が見えてくるような気がします。
競馬というのは、最も広く世界に浸透しているスポーツの一つです。ですから、サッカーやテニスなどのように、自国のチームや選手が世界のどのくらいのランクにいるか、常に問われてしまう。もし日本の馬が弱かったら競馬が盛り上がるはずがありませんよね。
そんな世界のボーダーレス化の進展にまさに歩調を合わせるようにして、ファン、馬主、関係者を巻き込んで、みんなで競馬を楽しんでやろうという空気が芽生えてきたのが大きかったと思います。
——何と言っても、そのキッカケのひとつは、社台グループが立ち上げたクラブ法人でしょう。
社台ダイナースサラブレッドクラブ(※3)ですね。1頭の馬に共同出資するというやり方は、すでに当時から小規模ながらあったと記憶しています。ただ、うちのクラブは、金融機関と提携しての立ち上げとなりましたので、システムもしっかりしていましたし、多少なりとも世間への安心感を押し出せたのかなとは思っています。
——“ダイナ”の馬、往年の競馬ファンには懐かしい響きですね。さぞ、上々の滑り出しだった?
とんでもない。創設したのは1980年。何から何まで手探りでした。最初の夏、実際に牧場を見てもらおうというツアーを企画したら、全く反応がなくて、こちらから電話をしてなんとか人数をそろえました。その日の歓迎夕食会、どこでやったと思います? 札幌の寿司屋さんです。30人くらい入る2階の座敷に収まってしまいました。しかもその半分は身内(笑)。
競馬の新しい楽しみ方を提案
——今では、1シーズンに延べ2000人もの方を動員する大イベントになっていると聞いています。その後の急成長の裏には何があったのでしょう。
一言、運が良かった(笑)。しばらくして経済も上向きになってきたこともありますし、にわかに競馬ブームが起こり始めた頃にも重なりました。そうなると、会員さんが会員さんを呼ぶというか、まさに横のつながりを見せ始めるんです。
友人と牧場に仔馬(こうま)を見に行く、競馬場で同じ馬を応援する、年に一度の「会員の集い」ではあの有名ジョッキーとも語らえる、そんな新しい楽しみ方が広く伝えられていきました。その一方で、「雨が降ると今週の競馬は中止ですか」という質問が寄せられたこともあります。その真顔にスタッフも笑いをこらえてお答えしたそうですが、なんとその方というのは、今やある馬主協会の重鎮です。ファンがふとした疑問を感じたとき、気軽に話を聞ける場にもなっていったんです。
——競馬の新しい楽しみ方の提案者として、インストラクター役として、クラブ法人が地下深くに眠っていた潜在的なファン層を掘り起こしていったわけですね。
それはちょっと誉めすぎです。でも、一頭の馬が、家族や仲間うちでのコミュニケーションツールになった部分はあります。そうしているうちに、サラブレッドの美しさ、競馬場のきれいさ、牧場の非日常性などもわかってもらえるようになって、馬券とは違った新しい参加方法が広まっていきました。
——馬券しか知らなかった人たちの多くを、まさに馬主予備軍として迎え入れることができたわけですね。それが、今日のセレクトセールの盛況にもつながっています。
金融商品として区分されるクラブ法人とは別に、われわれは中央競馬の馬主登録をお持ちの方を対象にした区分共有システムも運営しているのですが、このメンバーも1000人に上ります。おそらくその半分以上が、クラブの会員さんから出発して、やがて個人として馬主登録された方です。そしてその中から、セレクトセールに参加してくださる人も増えてくる。今年は、そういう方が観光バス3台を連ねて参加してくれました。
——クラブ(40分の1の出資分)から、共有馬主(10分の1の持分)となり、やがて競りに来てまるまる1頭を落札していく。そういうステップアップの道が用意されているんですね。
それぞれの予算や経験に応じて、いろいろな参加の仕方があっていいんです。でも、一昔前なら、新しい馬主がそうやすやすと馬を買うことなんてできなかったんですよ。
日本サラブレッド界の流通革命
——でも、セレクトセールが始まる前から、サラブレッドの競り市場というのは存在していたのではないですか。
もちろん、競り市場そのものはありました。JRA(※4)も競りを奨励する立場でしたから、同じレースで同じ着順でも、競りで取引された馬、いわゆる“マル市”馬は賞金が増額されるのです(※5)。それがために、つまり、マル市マークがほしいがために、すでに買い手が決まっている馬が意図的に競りに出てくるケースもあるといわれていました。真偽のほどはともかく、「Aという馬はBさんが買うらしい」といううわさが普通に流れる、実際にそのとおりの結果になる、でもそれを誰もおかしいとはいわない。そういう世界に、誰が参入しようと思います?
——一方で、馬主・牧場間の直接的な取引はどういうふうに行われていたのですか。
相対的な取引を、この世界では“庭先取引”といいます。競り市場がそういう状況でしたから、サラブレッド流通の中心を担っていたのは常に庭先取引でした。それは旧来からのお付き合いを大切にするということ。その中でオーナー、生産者、そして調教師さんによる狭いながらも安定したマーケットが成立していました。
ところが日本の経済構造が変わり、バブル経済が崩壊するとともに、買う方に老舗的な富裕層がいなくなった、売るほうにとっては市場が広がらない、新しい調教師が台頭しにくい、そんな行き詰まりが目に見えるようになってきたんですね。
——高度成長期にあっては、競り市場も庭先取引も、そのネガティヴな部分があぶり出されることはなかった。
当時の人たちを批判しているのではありません。ただ、そういう社会、そういう時代にあっては“安定”だと信じていたシステムが、ふと気づけば“膠着(こうちゃく)”状態に陥っていたということです。そこで、競馬サークルの体質強化のためには、お金を持っていれば誰もが買える、いい馬をつくれば誰もが売れるという、フレッシュで風通しの良い市場の形成が急務だと考えるようになりました。
——セレクトセールの公平性、公正性は誰もが知るところですが、それが画期的に映ってしまう、かつての時代背景は興味深いところです。
新しいお客さまに安心してショッピングをしてもらいたい、そう考えれば当然のことなんですよね。会場での雰囲気づくり、英字カタログを含めたPR、獣医的データなどの情報開示、専用の保険による補償体制…。どれもがおもてなしを突き詰めていくうちに、自然と進化したものです。とりたてて奇をてらったわけではありません。それと何より大切にしたのは、いかに高品質の品を取り揃えるかということでした。
——確かに、セレクトセールの成長とともに、日本のサラブレッドがにわかに強くなった感があります。
いま、ディープインパクト(※6)を種付けしたい、ディープインパクトの子供がほしい、そんなオファーは世界中からあって、お断りするのが大変なくらいです。かと思えば、日本のちょっとしたオープン馬が海外に遠征すれば、あっさりとGIレースを勝って帰ってきます。当時は、まさかそこまでの状況は予想できなかったですけど。
サラリーマンでも愛馬が持てる
——かつて、「日本は種牡馬の墓場」と揶揄(やゆ)されたことを思えば、隔世の感がありますね。
運が良かったんです。
——それだけですか? ここわずか十数年で、世界中が驚くほど日本競馬が強くなった背景について、もう少しだけお話しください。
先ほど申しあげたように、まずはクラブ法人が広く知れわたったこと。ここまでシステムとして浸透している国は他にはないと思います。おかげで普通のサラリーマンの方たちが、自分の歩幅で愛馬というものを手に入れることができるようになった。一方、生産界の立場でいえば、競馬ファンの多くを大切な檀家さんとしてお迎えできたんです。
——檀家さんですか。ちょっと翻訳しづらい言葉です(笑)。
近いのは“スポンサー”でしょう。でも、それはおカネの面だけではありません。競馬に対して常に愛情や熱意を注ぐことをいとわない、トータルな意味での“理解者”です。うちでいえば、クラブ法人がなんとか軌道にのって、ようやく経営的な基礎が固まりつつあるところに、たまたま時を同じくして、ノーザンテースト(※7)の子供も走り出してくれました。当時、「あ、これで従業員の給料の心配をしないで済む」と、心底ホッとしたものです。それからですよ、うちが種牡馬を買えるようになったのは。
——でも、それまでも社台グループは何十頭も種牡馬を導入されていますよね。
すでに欧米で結果が見えてしまった種牡馬、血統的にいま一つ押しが弱い馬、いま思えばそんな種牡馬ばかりでした。それだったら、良血でも比較的リーズナブルに手に入る1歳馬を海外の競りで買って、自前で種牡馬をつくってしまおう、そんな苦肉の策を経て種牡馬となった馬も多かったんですよ。
その中の1頭がノーザンテースト、これがたまたま大当たりした。ちなみにリアルシャダイ、ジェイドロバリーも、1歳のときに米国の競りで買っていた馬です。本当の一流馬を、しかも曇りのない状態で買えたのはトニービン(※8)が初めてかもしれません。
——凱旋門賞馬が引退して、いきなり日本に種牡馬としてやってくる。その鳴り物入りぶりは当時の話題を集めました。
そう、トニービン争奪戦は一刻を争うと知って、着の身着のまま家を飛び出しました。成田空港へ向かう車の中でイタリアにいちばん早く着く飛行機を予約した。あれはきつい旅でした。そのトニービンも大成功して、ノーザンテースト、リアルシャダイと続いたリーディングサイアーの座を受け継ぎ、さらにはサンデーサイレンス時代への橋渡し役も果たしてくれました。
ご存知のとおりサンデーサイレンス(※9)、結局はこの1頭で世界の血統勢力図が一転してしまったんですからね。まさに奇跡の1頭、神さまからの贈り物としかいいようがありません。
馬で稼いだお金は馬のために使う
——このインタビューをセッティングしてくださった一人が、吉田勝己はなにかを“持っている”人だとおっしゃっていました。その強運を呼び寄せる秘訣みたいなものを最後にぜひお伺いしたいと思います。
秘訣ですか? そういう難しいことを考えられる性格じゃないんですよ(笑)。あえて一つだけ意識していることといえば、生産馬の国際的価値をいかに高めていくか、そのことだけです。ですから、クラブやセレクトセールがうまくいったり、種牡馬が成功したりすると、そのお金は、次の種牡馬を買う、繁殖牝馬を買う、施設や設備を更新する、あるいは人をとる…。すぐに使ってしまうんです。
それでレースで馬が活躍して、馬主さんやクラブの会員さんに喜んでもらえれば、その人たちはまた心弾ませて次の馬を買ってくれます。それによって私たちは、次にもっと質の高い馬を提供するための勇気をもらっているわけです。
——なるほど。そうなると、勝己さんはサラブレッド生産界の中心にあって、壮大な車輪を動かしているんですね。さぞかし日々のプレッシャーも大きいと思います。
いやいや、もう私は一線を退いて、基本的には息子や有能なスタッフに任せているというスタンスですよ。先ほども言ったように、私は“馬で稼いだお金はすべて馬のために使う”のを徹底させているだけ。おかげでバブルの時だって不動産投資などしたことないですし、競馬のない国へ妻を連れていったこともありません。
でもね、毎週毎週、国内外の競馬場で生産馬たちががんばってくれます。その走りを、いろいろな人たちと同じ想いで見守ることができる、こんな楽しいことはないですよ。プレッシャーなんて言ってたら、それこそ運が逃げてしまいますよ。楽しまなきゃね。…あれ? こんな結論でいいんですかね。だから最初に言ったでしょ、私たちは特別なことなんて何もしていないですよって(笑)。
インタビュー・文=ニッポンドットコム編集部
(※1) ^ 1頭の競走馬について小口に分割された持分に対し、一般から出資者を募って運営する法人。金融商品取引法により規制を受ける。
(※2) ^ 一般社団法人日本競走馬協会が主催する日本最大の競走馬競り市場。1998年に創設。
(※3) ^ 設立当時の名称。2000年、提携していたクレジットカード会社日本ダイナースクラブが外資に買収されたのを受け、現在の「社台サラブレッドクラブ」に改称された。
(※4) ^ 日本中央競馬会(Japan Racing Association)。中央競馬を主催する全額政府出資による特殊法人
(※5) ^ JRAが指定した競り市場で取引された馬には馬名の上に市が付され、その馬が一定の着順を得ることで市場取引奨励賞が交付された。この制度は2007年をもって廃止された。
(※6) ^ ディープインパクト。2002年、北海道安平町産。自身もセレクトセールで取引された史上6頭目の三冠馬。現在、種牡馬としても首位を独走中。
(※7) ^ Northern Taste。1971年、カナダ産。ラフォレ賞(仏G1)優勝。1982~1992年、11年連続首位種牡馬。
(※8) ^ Tony Bin。1983年、アイルランド産。凱旋門賞を勝利し、新種牡馬として輸入される。1994年首位種牡馬。
(※9) ^ Sunday Silence。1986年、米国産。数々のG1を制したのち、日本で種牡馬入り。1995~2007年、13年連続首位種牡馬。代表産駒にディープインパクト。