「子どもたちが家族と暮らす権利を取り戻す」ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表 土井香苗
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「夢が持てない」子どもたちの実態
虐待などの理由で実親と暮らせない子どもを家庭的な環境で育てようと、4月4日、全国20の自治体と13の民間団体が、養子縁組や里親への委託を推進する「子どもの家庭養育推進官民協議会」を設立した。「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」日本代表の土井香苗氏は、「家庭養育=脱施設化」を進めるこの官民連携の立役者の一人だ。
国際人権NGOのHRWは、ニューヨークに本部を置き、世界90カ国に支部をもつ。世界各地で活動する約400名のスタッフが、あらゆる人権侵害を調査し、全支部が連携してロビー活動、政策提言を行い、各国政府を通じて、その人権侵害を是正するよう「外圧」をかける。
2009年4月に開設されたHRW東京事務所は、アジアでは唯一のHRW事務所。その東京事務所が初めてイニシアチブを取ってまとめたのが、国内の児童養護施設などで生活する子どもたちの現状に関する調査報告書『夢がもてない 日本における社会的養護下の子どもたち』だ。
「HRWは、1995年に日本の監獄の人権状況、2000年に人身取引問題に関してレポートを出しています。今回はそれ以来約10年ぶりに着手した、日本の国内問題に関する調査です」と土井氏は言う。
施設養育に対する問題意識すらない
なぜ、施設の子どもたちに焦点を当てたのか。その背景は二つある。
「第1に問題の深刻さ。『社会的養護』を受けている子どもの状況は、特に日本でひどいといえる数少ない問題の一つです。多くの先進国では家庭養育にシフトしてきているのに、日本では9割近い子どもたちが集団養育です」
「社会的養護」とは、家庭内の虐待や親の養育困難や病気などの理由で実親と暮らせない子どもたちを、実親に代わって社会が養育・保護する仕組みだ。現在、社会的養護下にある約4万人の子どもたちの大半が、児童養護施設や乳児院などの施設で生活している。
「第2に、社会の関心が低いこと。(施設にいる子どもたちを)かわいそうとは言っても、集団生活させていること自体への問題意識がない。国際条約に違反しているという指摘も、政府に対する批判もありません」
「国連・子どもの権利条約」では、社会的養護下にある子どもを施設に収容するのはその必要があるときだけと定めており、それは最終手段とされている。日本では里親措置や特別養子縁組の取り組みが著しく遅れているため、
「 国連子どもの権利委員会」から人権侵害に関する勧告を受けているが、その事実すら、一般的にあまり知られていない。
実親の権利が強すぎる日本
『夢がもてない』のインタビュー調査は2011年12月から2014年2月まで2年余りをかけて行われ、2011年3月の東日本大震災で親を亡くした子どもたちの状況に関しても調べた。東北地方の241人の震災孤児たち(2012年11月現在)の大半は親族に引き取られ、行政や民間からの援助、支援も寄せられている。
だが、全国の施設で生活する4万人の子どもたちの状況には、依然として光が当てられていない。
「養子縁組なら政府にとって特別な財政支出もないし、行政にとって里親手当を出す方が公的支出も少なくてすむ。養護施設では職員の人件費もあるので、何倍もお金がかかる。その一方で、施設の子どもたちの進学率は低く、その後ホームレスになる率も高いといわれます。政策として非合理的なのが明白なのに、なぜ施設偏重が戦後何十年も続いてきたのか不思議だった」
今回「調査して初めて明らかになった3つの理由」として土井氏が挙げるのは、制度や利権、行政に対する容赦ない批判だ。
「第1に、日本では、実親の利益が子どもの利益より優先されます。自分は育てられないのに、子どもが自分以外の人になつくのがいやという親が多い。親が施設に入れると言えば子どもは施設へ入れられます。そうした親権の乱用ともいえる状況を乗り越えるのは日本の法制度では簡単ではない」
「第2に、施設運営者側の抵抗。施設は助成金で運営されているので、子どもを収容していないとビジネスとして成り立たない。自分たちの存続を子どもの幸せより優先しています」
「第3に行政・政治の怠慢。里親制度はマッチングやフォローに手間がかかりますが、施設に送るのは楽だし、責任逃れができる。その一方で、児童相談所に十分な人員を割いていません」
調査結果を踏まえて、この2年間は厚生労働省や政治家へのロビー活動に注力し、世論を喚起するために、メディアの取材にも積極的に応じている。
児童福祉法改正で子どもの権利を明記
目指すのは児童福祉法の改正だ。土井氏の働きかけなどが実り、塩崎恭久厚労相は児童の家庭養護推進の熱心な提唱者となった。3月末、塩崎大臣など厚労省のイニシアチブで、政府は児童福祉法の一部改正案を閣議決定し、国会に提出。児童福祉法上にはじめて、子どもの権利条約にのっとり、子どもが権利の主体であることが明記された。子どもを実親が養育できない場合は、養子縁組や里親などの家庭養護が原則であることも条文上明記された。それが不適切な場合のみ、施設養護が許されることとなっているが、その場合でも「できる限り良好な家庭環境」を確保することとなった。日本の社会的養護行政の実態を根本から変えることになる条文だが、これをどうやって真に実現するのか、骨抜きにするような動きがあればそれとどう闘うかが次の鍵になると土井氏は語る。
「子どもを権利の主体としてみなさず、世界から30年遅れている日本」がようやくスタートラインに立ったと土井氏は言う。
土井氏が現在、特に強く主張しているのは、「すべての乳児院を閉鎖する」ことだ。「多くの国で過去の遺物となっている乳児院のあること自体が、世界では驚きの的です。業界の抵抗も強いし、乳児院は良いものだという勘違いが社会で横行している。子どもは声を上げられないので、誰かが正論を言わないと、状況は決して変わりません。乳児院の建物やスタッフは、子育て支援や里親子支援の場など、本当に社会に必要とされるサービスに有効活用してほしい」。
人権・自由の優先順位が低い日本外交
HRW東京事務所では常勤スタッフ6人、その他ボランティア、インターンを加えた10人ほどが働く。スタッフはそれぞれHRWのさまざまな部署に属し、「上司は外国にいるイメージ」だと土井氏は説明する。
東京事務所代表としての土井氏は「外圧担当」。日本以外の諸外国で起きている人権侵害に対して、「日本の外務省に当該国に外圧をかけるように働きかける」。価値外交、法の支配を掲げる安倍晋三内閣とは、基本的に方向性が合うはずだが、「残念ながらかけ声に終わっていることが多く、日本の外交政策においては、人権・自由を守ることの優先順位がまだまだ低い」と言う。
一方、児童養護における施設偏重主義などの国内問題に関しては、「民主主義大国」日本に対する他国からの「外圧」は期待できないので、問題解決に向けて世論を喚起して内側から変革を起こすしかない。
東日本震災を契機に寄付が広がる
土井氏の日々の主な業務には、こうした政治家・官僚への働きかけやメディア、シンポジウムなどを通じた世論喚起のための発信に加え、ファンドレイジング(資金集め)がある。
HRWは、公的資金を一切受け取らず、個人や私設財団の寄付などで運営されている。最も大きな資金源は年1回の富裕層をターゲットとするチャリティー・ディナーだ。ニューヨーク本部で初めて見たときは、その規模の大きさに「度胆を抜かれた」と土井氏は言う。チケットは最低10万円程度から1千万円まで。そんな華やかなディナーを、まだ寄付文化が根付いていない日本でも実施してみたいと思い、最初は小さなものから実験的に始めて、徐々に大きくしていった。
東日本大震災を契機に、寄付が広がり、税制も整えられて、社会が寄付に対して前向きになっているという。今年4月のチャリティー・ディナーも早々に完売した。
「人権活動でファンドレイズできる国は、アジアで日本以外にほとんどありません。例えば、中国ではHRWのスタッフはおおっぴらに外を歩くことさえできない状況です。当然、オフィスも持てず、潜伏しながら行動せざるを得ません。国によっては脅迫にさらされながら活動しなくてはならない。アジアでは数少ない民主主義国の日本では、人権を守れと叫んで無視はされても、攻撃されることはありませんから」
世間ではまだ認知すらされていない児童養護施設の問題を筆頭に、日々「難題に直面している」という土井氏だが、仕事の面白さはまさにそこにあるそうだ。
「どうやって政府を動かすか。私たちの闘いのツールはコミュニケーションしかありません。事実を調査・確認したうえで、政策提言をする。世論を動かして事態を変革するには、抵抗勢力もあって簡単ではありません。でも、不可能と思えることを知力、策略、情報力を駆使して政府に働きかけるプロセス自体が面白く、やりがいを感じています」
ニッポンドットコム編集部(文:板倉 君枝/撮影:大谷 清英)