秋野豊博士が殉死した山岳の国—ボボゾダ駐日タジキスタン大使 インタビュー

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旧ソ連から独立した中央アジア5か国。よく知られるざるユーラシア大陸の国々を紹介する第一弾。ヘレニズム文化形成の地であるタジキスタンは仏法を通じて日本にもつながる。駐日大使にインタビューした。

ボボゾダ・グロムジョン・ジュラ BOBOZODA Gulomjon Jura

1957年生まれ。タジク国立大学経済学部卒。経済博士。1980~1990年タジク国立大学大学院にて財政学教授。財務省副大臣、大統領経済顧問、経済発展及び貿易省大臣、国税財源管理省大臣を歴任し、2009年より在日タジキスタン共和国特命全権大使。タジキスタン名誉賞、国家労働者功労勲章を授賞。

「ヘレニズム文化」とタジキスタン

旧ソ連最高峰のイスモル・ソモニ岬(旧名称「コミュニズム峰」)

観光客は、毎年30万人で、豊かな自然と歴史を誇る国です。特に仏教の歴史、グレコ・バクトリア王国(※6)文化に関心がある方にとっては見どころが沢山あります。アレクサンドロス3世(※7)はタジキスタンにまで遠征しましたが、ペルシャ文化とヘレニズムの要素が融合して生まれた文化が形成していったのは、まさに現在のタジキスタンなのです。

タジキスタンには、ソグディアナ文明(※8)の遺産である、紀元前4000年~3000年の古代都市サラズム(サラズムの原始都市 があります。2010年にはタジキスタン初の世界文化遺産に登録されました。古代ソグディアナは、高度に発展した国家で、日本で展示された古代の出土品は、ソグディアナ文明のものです。

ソグディアナ州歴史博物館

インドのネルー首相も称賛した高い文明

——タジキスタンには、いま世界遺産が幾つあるのでしょうか?

サラズムの原始都市は、2010年に、「タジキスタン国立公園 - パミールの山々」(Tajikistan National Park - Mountains of the Pamirs)は2013年に、世界自然遺産に登録されました。今日、16の遺産や文化資産を世界遺産登録に向けて申請しております。

パミール山脈 「タジキスタン国立公園 - パミールの山々」

ネルー 妻と娘と

州都ホジェンドには、ギリシャ語の名称「アレクサンドリア・エスハテ」(※9)もあります。「最果てのアレクサンドリア」という意味です。つまりアレクサンドロス大王がその東方遠征で最後にたどり着いたのが、この街でした。タジキスタンには、アラブ人やテュルク=モンゴル人など様々な民族によって支配された歴史があり、数世紀にわたって、色々な文化の影響を受けてきました。

インドの首相で革命家でもあったジャワーハルラール・ネルーは『父が子に語る世界歴史』(※10)の中で、娘にこう語っています。「この地は、様々な民族によって征服されてきた。しかし、征服された民が野蛮な征服者を虜にした。本当の意味での征服者は、高い文化と文明を誇るこの地の民であったのである。」

日本最大の富は「日本人」

——最後に、大使ご自身のお考えになる日本の長所や短所についてお伺いしたいと思います

私が日本を初めて訪問したのは、1994年でした。日本は私にとって独自の文化と先端的な技術を併せ持つ、驚くべき国でした。

2009年に駐日大使に任命されました。当時、経済発展貿易大臣を務めていましたが、日本大使赴任を選びました。それから5年間滞在していますが、日本の汲めども尽きることのない魅力を発見しながら日々を送っております。日本の皆さんが、規律正しく、緻密で、自らの仕事に対して誠実であるだけではなく、助け合いの心を持っていることに深く感動しております。

日本は、近隣の国々の文化とはかけ離れた非常に独特な文化と、高いポテンシャルを持っています。内なる自己規範を保ち、勤勉な日本の人々の姿には、感嘆の念を禁じえません。日本という国の最大の富は、やはり日本の人々ではないでしょうか。

面白いエピソードですか・・・ 妻は、日本での生活を始めたばかりの頃、スーパーで食料品を見分けられず、サラダ油の代わりにお酢を買ってしまって、そのまま料理に使ってしまったこととかありましたね。卵を買ったら既にゆでてあってびっくりしたことも。後で、それが「温泉卵」というものだと知ったのですが・・・

——短所と感じられたようなことはなかったのですか?

一つ言えること、日本人が他の人々と違う点は、仕事上の準備や精査に非常に時間をかけるという点です。「急がば回れ」という諺もあります、これは戦略的な意味において有効で、良い面を照らす表現だと思います。何事においても、しっかりと準備をして臨むというというスタイルは、やはり長所だと思います。

(聞き手=原野 城治/カバー写真=山田 慎二)

(※9)^ サラズムの原始都市 ペルシア語で「黄金の水しぶき」を意味し、タジキスタンのパミール高原周縁部を発するザラフシャン川左岸の集落ペンジケントから15キロ西に位置。「紀元前4000年~3000年の中央アジアにおける、集落発展の証拠となる考古遺跡」として世界遺産と認定。「サラズム」という呼称は古代タジク語の「サリザミン(大地の始まり)」を意味する。

(※6) ^ グレコ・バクトリア王国(紀元前255年頃 - 紀元前130年頃)
セレウコス朝シリアの滅亡によって紀元前255年頃に誕生。代表的なヘレニズム国家の一つ。紀元前130年頃、騎馬民族スキタイ系トハラ人によって滅ぼされるが、後に一部がインド・グリーク朝としてインドに多くの文化的影響を及ぼした。

(※7) ^ アレクサンドロス3世(紀元前356~紀元前323)(通称アレキサンダー大王) マケドニアの国王、ヘラス同盟の盟主、エジプトのファラオを兼任し、遠征によってインドのパンジャブ地方まで網羅する空前の大帝国を設立。ギリシャとオリエントの融合を目指し、ヘレニズムの基礎を構築。ヘラクレスやアキレウスを祖先に持つとされ、ギリシャの最高の家系に属し、また後に、旧約聖書やコーラン、シャー・ナーメなどの経典にも引用され、ハンニバル、シーザー、ナポレオンなどの歴史的人物によって大英雄とあがめられた。

(※8) ^  ソグディアナ(Sogdiana) 中央アジアのシルダリア川・アムダリア川の上流域の中間に位置、サマルカンドを中心とした地方の古名。もともとイランとの政治的・文化的なつながりが深く、ソグド人と呼ばれるイラン系の民族が居住し、都市文明が繁栄、東西交易路の要地とされた。8世紀、アラブ人の征服により、イスラム教を受容。現在のウズベキスタンのサマルカンドとブハラ、タジキスタンのゾグド州にあたる。中国名は、粟特(ぞくとく)。

(※9) ^ 紀元前329年、アレクサンドロス3世がこの地にギリシア人の入植地を建設

(※10) ^ 『父が子に語る世界歴史』ジャワーハルラール・ネルーが獄中から7歳の一人娘に宛てた手紙が元になった。

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