秋野豊博士が殉死した山岳の国—ボボゾダ駐日タジキスタン大使 インタビュー
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タジキスタン経済成長率は7%
ボボゾダ大使 タジキスタンは、1991年9月9日に独立、翌92年2月には、日本との間で外交関係を樹立。独立後、連崩壊後の混乱や5年間に渡る内戦(※1)といった困難な時期を乗り越えてきました。ソ連崩壊で経済貿易構造が崩壊し、大きな打撃を受けました。
しかし、市場経済への移行を目標に掲げ、97年に産業・経済の停滞期は終わり、プラス成長に向かい始めました。ダイナミックな成長を続けており、最近では、年平均成長率は7%に到達し、過去に喪失した分をほぼすべて取り戻しつつあります。
ロシアやCIS(独立国家共同体)などと築いてきた貿易経済関係も大切にし、中国との関係も活発化させています。タジキスタンは、すべての国に扉を開く「オープン・ザ・ドア」政策をとっています。
計画経済から自由経済、必要だったのは“意識改革”
——駐日大使に赴任する前は、経済発展貿易大臣を務められていましたが・・・
私は、タジク国立大学及び大学院で財政学を教えていましたが、1990年から政府の経済改革国家委員会で働くようになりました。IMF、世界銀行と密に連携をとりながら、他国に依存しない経済体制、独自の通貨制度の構築(※2)など、あらゆる分野での改革を行いました。我が国の歴史の中で最もドラマチックな時代の一つでした。
私達は、ソ連型経済システムから自由経済への移行をいかにスムーズに行うか、様々な可能性や方法を模索、検証してきましたが、結局、経済体制の再構築だけでなく、人々の意識を変えていかなければなりませんでした。「生活の糧は、自分の力で稼がなくてはならない、国家の役割は国民を養うことではない」と認識を改めてもらうことでした。
タジキスタンは、道を誤ることなく正しい道を選択し、前進しています。非常にラッキーでした。当時、大統領ら指導層が、市場経済への移行の必要性をよく理解し、必要なタイミングで然るべき指示し、すべて成功裏に実現できたからです。市場経済の立案者は、エマムアリ・ラフモン大統領自身であると言っても過言ではありません。
殉死した秋野豊博士への特別の謝意
——タジキスタン内戦ですが、1998年に亡くなった筑波大学の秋野豊博士のことが記憶に残っております・・・
タジキスタンは、体制の移行期や、ソ連崩壊後の混乱に乗じて、相反する勢力が内戦を引き起こしました。
しかし、必ず平和を取り戻すというタジキスタンの民衆の断固たる意志と、指導層の叡智の行動により、内戦を長期化させず、比較的早い時期に終止符を打つことができました。国連等の国際機関では、「一つの国の中で複数の勢力が相反する状態を見事に和解へと導いた例」として挙げられています。一時は、100万人とも言われた避難民は、現在では、すべてが無事にタジキスタンに帰国しています。
この困難な時期を通して、我が国の大統領は平和再構築のための努力を続け、さらに国連タジキスタン平和構築事務所が設立されました。国連監視団の一員として最大限のご尽力をしてくださったのが秋野豊博士です。私達は、本当に感謝しており、いつまでも私たちの心の中におります。
悲劇が起きた場所には、記念碑が建立され、幾つかの団体や学校施設は秋野博士の名前を冠するようになりました。大統領は、2007年の日本訪問の大学での記念講演で、秋野博士へ哀悼の意を捧げ、その偉大なる貢献を顕彰し、国の代表として秋野博士に対する特別の感謝の意を表しました。
秋野博士は広く知られており、タジキスタンの人々は決して彼を忘れることはないでしょう。私は秋野博士が所属していた筑波大学を頻繁に訪れます。学内の記念館には、秋野博士を顕彰する展示があります。
膨大な水資源でエコ・クリーンを実現
——日本の経済関係はどのような状況ですか?
タジキスタンは、領土の93%がパミール山脈、天山山脈、アライ山脈からなる山岳地帯、7%は渓谷で、鉱物資源が非常に豊かな国です。
ソ連時代は、鉱物資源産地のごく一部が開発されただけで、鉱物資源は未来の世代のために残されています。
タジキスタンの持つポテンシャルは無尽蔵で、膨大な水力発電エネルギーがあります。最近のデータによれば、1年当たりの発電可能量は5270億kWh(※3)ですが、年間200億kWhしか発電していません。タジキスタンのポテンシャルの5%しか使っていないことになります。タジキスタンは、アフガニスタンとパキスタンと送電線の敷設に関する協定に調印しました。
地球温暖化防止の観点からも、このプロジェクトは大きな貢献をします。数百万トンの石炭やガスの代わりに、エコ・クリーンな山岳地帯の川のエネルギーを使うのですから。
鉱物資源では、日本企業に、今まで行われてきた資源探査を継承し、鉱床の開発にも参入してもらえればと考えております。タジキスタンには、通信や先端技術に必要とされるレア・アース(※4)の鉱床があります。日本の資本、資源開発に携わる日本企業に進出してもらいたいと願っています。
上海協力機構の2014年サミットを開催
——対外協力関係は、上海協力機構(SCO)の枠内で活発に実現しているようですね。
タジキスタンは、上海協力機構(SCO)(※5)の前身となった上海ファイブの一つです。SCOは、中国と国境を接する5か国、中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンによって設立されました。
上海協力機構(SCO)のサミットは、2014年9月に首都ドゥシャンベで開催され、今後のSCOの活動の方向性を定義づける一連の重要な書類に調印しました。サミットには、SCOの加盟国の国家元首だけではなく、モンゴル、アフガニスタン、イラン、パキスタン、インドその他の国々の代表も結集しました。
仏教を通じた日本との文化共有
——日本との文化交流は?
タジキスタンと日本の交流は、非常に長い歴史を持っております。仏法は、北インドから、アフガニスタン、そしてタジキスタンを含む中央アジアを通って中国へと続く、偉大なるシルクロードを経由して、日本に伝来しました。
2012年、ミホミュージアム(滋賀県甲賀市)で行われた展覧会に、タジキスタン国立考古学博物館などから、数世紀前の中央アジアからの出土品が多く出品されました。日本と中央アジア、タジキスタンは、古き昔から、仏教の歴史と関連した多くの文化的遺産を共有する国だと痛感ました。現在、日本の考古学者が、古代仏教遺産の研究のために調査訪問しています。
——最近、ドゥシャンベに日本から桜が寄贈されましたね。
日本の外務省のサポートがなければ、桜の木を無事にタジキスタンに運ぶことはできなかったでしょう。桜は美しい日本の象徴であり、タジキスタンに桜の庭園を造りたいと思っておりました。桜の木の一部は、一般市民に公開されている植物園に植樹されました。また、タジキスタンにも美しい花を咲かせる木が沢山あります。タジキスタンの象徴である杏子の木を徳島県に寄贈し、県知事と一緒に植樹しました。文化交流の象徴としてです。徳島県との交流は長く続いています。
「ヘレニズム文化」とタジキスタン
観光客は、毎年30万人で、豊かな自然と歴史を誇る国です。特に仏教の歴史、グレコ・バクトリア王国 の(※6)文化に関心がある方にとっては見どころが沢山あります。アレクサンドロス3世(※7)はタジキスタンにまで遠征しましたが、ペルシャ文化とヘレニズムの要素が融合して生まれた文化が形成していったのは、まさに現在のタジキスタンなのです。
タジキスタンには、ソグディアナ文明(※8)の遺産である、紀元前4000年~3000年の古代都市サラズム(サラズムの原始都市 ) があります。2010年にはタジキスタン初の世界文化遺産に登録されました。古代ソグディアナは、高度に発展した国家で、日本で展示された古代の出土品は、ソグディアナ文明のものです。
インドのネルー首相も称賛した高い文明
——タジキスタンには、いま世界遺産が幾つあるのでしょうか?
サラズムの原始都市は、2010年に、「タジキスタン国立公園 - パミールの山々」(Tajikistan National Park - Mountains of the Pamirs)は2013年に、世界自然遺産に登録されました。今日、16の遺産や文化資産を世界遺産登録に向けて申請しております。
州都ホジェンドには、ギリシャ語の名称「アレクサンドリア・エスハテ」(※9)もあります。「最果てのアレクサンドリア」という意味です。つまりアレクサンドロス大王がその東方遠征で最後にたどり着いたのが、この街でした。タジキスタンには、アラブ人やテュルク=モンゴル人など様々な民族によって支配された歴史があり、数世紀にわたって、色々な文化の影響を受けてきました。
インドの首相で革命家でもあったジャワーハルラール・ネルーは『父が子に語る世界歴史』(※10)の中で、娘にこう語っています。「この地は、様々な民族によって征服されてきた。しかし、征服された民が野蛮な征服者を虜にした。本当の意味での征服者は、高い文化と文明を誇るこの地の民であったのである。」
日本最大の富は「日本人」
——最後に、大使ご自身のお考えになる日本の長所や短所についてお伺いしたいと思います
私が日本を初めて訪問したのは、1994年でした。日本は私にとって独自の文化と先端的な技術を併せ持つ、驚くべき国でした。
2009年に駐日大使に任命されました。当時、経済発展貿易大臣を務めていましたが、日本大使赴任を選びました。それから5年間滞在していますが、日本の汲めども尽きることのない魅力を発見しながら日々を送っております。日本の皆さんが、規律正しく、緻密で、自らの仕事に対して誠実であるだけではなく、助け合いの心を持っていることに深く感動しております。
日本は、近隣の国々の文化とはかけ離れた非常に独特な文化と、高いポテンシャルを持っています。内なる自己規範を保ち、勤勉な日本の人々の姿には、感嘆の念を禁じえません。日本という国の最大の富は、やはり日本の人々ではないでしょうか。
面白いエピソードですか・・・ 妻は、日本での生活を始めたばかりの頃、スーパーで食料品を見分けられず、サラダ油の代わりにお酢を買ってしまって、そのまま料理に使ってしまったこととかありましたね。卵を買ったら既にゆでてあってびっくりしたことも。後で、それが「温泉卵」というものだと知ったのですが・・・
——短所と感じられたようなことはなかったのですか?
一つ言えること、日本人が他の人々と違う点は、仕事上の準備や精査に非常に時間をかけるという点です。「急がば回れ」という諺もあります、これは戦略的な意味において有効で、良い面を照らす表現だと思います。何事においても、しっかりと準備をして臨むというというスタイルは、やはり長所だと思います。
(聞き手=原野 城治/カバー写真=山田 慎二)
(※9)^ サラズムの原始都市 ペルシア語で「黄金の水しぶき」を意味し、タジキスタンのパミール高原周縁部を発するザラフシャン川左岸の集落ペンジケントから15キロ西に位置。「紀元前4000年~3000年の中央アジアにおける、集落発展の証拠となる考古遺跡」として世界遺産と認定。「サラズム」という呼称は古代タジク語の「サリザミン(大地の始まり)」を意味する。
(※6) ^ グレコ・バクトリア王国(紀元前255年頃 - 紀元前130年頃)
セレウコス朝シリアの滅亡によって紀元前255年頃に誕生。代表的なヘレニズム国家の一つ。紀元前130年頃、騎馬民族スキタイ系トハラ人によって滅ぼされるが、後に一部がインド・グリーク朝としてインドに多くの文化的影響を及ぼした。
(※7) ^ アレクサンドロス3世(紀元前356~紀元前323)(通称アレキサンダー大王) マケドニアの国王、ヘラス同盟の盟主、エジプトのファラオを兼任し、遠征によってインドのパンジャブ地方まで網羅する空前の大帝国を設立。ギリシャとオリエントの融合を目指し、ヘレニズムの基礎を構築。ヘラクレスやアキレウスを祖先に持つとされ、ギリシャの最高の家系に属し、また後に、旧約聖書やコーラン、シャー・ナーメなどの経典にも引用され、ハンニバル、シーザー、ナポレオンなどの歴史的人物によって大英雄とあがめられた。
(※8) ^ ソグディアナ(Sogdiana) 中央アジアのシルダリア川・アムダリア川の上流域の中間に位置、サマルカンドを中心とした地方の古名。もともとイランとの政治的・文化的なつながりが深く、ソグド人と呼ばれるイラン系の民族が居住し、都市文明が繁栄、東西交易路の要地とされた。8世紀、アラブ人の征服により、イスラム教を受容。現在のウズベキスタンのサマルカンドとブハラ、タジキスタンのゾグド州にあたる。中国名は、粟特(ぞくとく)。
(※9) ^ 紀元前329年、アレクサンドロス3世がこの地にギリシア人の入植地を建設
(※10) ^ 『父が子に語る世界歴史』ジャワーハルラール・ネルーが獄中から7歳の一人娘に宛てた手紙が元になった。