富士山に憑(つ)かれた男 写真家 大山行男

文化

世界文化遺産に登録された富士山。その魅力は日本人なら誰もが知るが、人生まで捧げたのは、この男以外に見当たらない。40年近く富士山に向き合ってきた写真家・大山行男が樹海のスピリチュアルな魅力を語る。関連記事:【Photos】富士山 精霊たちの宿る山 【Photos】大山行男の富士山

大山行男 OHYAMA Yukio

写真家。1952年生まれ。1976年から富士山の撮影を開始。1985年、富士山麓の山梨県忍野(おしの)村に転居。1990年、同県富士河口湖町の富士ヶ嶺(ふじがね)に自宅を構える。居間には富士山の見える一枚ガラスの大きな窓が作られ、24時間富士山と向き合いながら暮らしている。『大地の富士山』(山と渓谷社)、『富士山』(クレヴィス)など。2011年、日本写真家協会作家賞を受賞。

富士山の僕(しもべ)として

書店でたまたま手にした一冊の写真集。それが大山行男の運命を変えた。写真集には、生まれ育った小田原や横浜から眺めた富士山とはまったく異なる姿があった。当時、大山は家業の土木建設業を手伝いながら、アマチュアカメラマンとして鉄道写真などを撮っていた。写真は独学で、写真家を目指していたわけではない。富士山の写真に衝撃を受けた大山は、仕事以外の時間のすべてをこの山の撮影につぎ込むことにした。

当時24歳だった大山は、周囲の山々に登って富士を眺め、その森を歩き回り、セスナをチャーターして上空を飛んだ。来る日も来る日も富士山のことだけを考えた。自分は写真家ではなく富士山の僕(しもべ)だ、そう信じて20代の日々を過ごした。8年後、満を持して撮りためた作品で初の個展を開いた。

「その頃は富士山を真面目に撮影しようと思うカメラマンなど皆無でした」と大山は言う。「山岳カメラマンからは、何をいまさらと馬鹿にされた。富士山のイメージが強烈過ぎたのでしょう。富士山というと微笑むようにしてただずむ端正な姿を思い浮かべ、そこから踏み込んでその実相に迫ろうとは誰も思わなかった」

「富士山は誰もが知っている山。逆にそれが盲点となって、誰も本当の姿を知らない。だからこそ、固定観念を打破する写真を撮りたいと思いました。先祖代々、富士山の裾野に住んでいる方が、個展で僕の写真を見て『こんな山、初めて見た』と言ってくれた時には、涙が出るぐらいにうれしかった」

生命力に溢れた樹木の海

大山の捉えた斬新な富士の姿は様々な反響を呼び、次の個展開催や写真集出版の呼び水となった。その翌年、横浜から山梨県忍野村に転居し、富士山の麓で暮らしながら撮影に専念するようになる。さらに6年後、38歳の時に、より間近に富士山を眺めることができる富士ヶ嶺(山梨県富士河口湖町)に自らの手でドームハウスを建設。ここを拠点に富士山の懐へより深く分け入っていった。

富士山の裾野に広がる青木ヶ原樹海を集中的に撮影するようになったのは、41歳の時だ。青木ヶ原が生まれたのは約1200年前、富士山の北西斜面にある側火山(そっかざん)から大量の溶岩流が流れ出したことにさかのぼる。その頃、本栖湖、精進湖、西湖は一つの湖だったが、マグマが流れ込んで三つの湖に分かれ、富士山麓には溶岩で埋め尽くされた広大な大地が誕生した。溶岩台地にはやがて樹木が育ち、長い歳月を経て樹海と呼ばれる森へと成長していった。しかし溶岩にへばりつくようにして生える木々の姿は、他の森とは異なる様相を呈していた。木々の根は四方八方に張り巡らされ、溶岩の上を這いまわる。そんな森を不気味に思う人も多く、樹海に入ると方向感覚を失う、磁石が狂う、などとネガティブな評判が立った。

撮影=大山 行男

「そうした邪悪なイメージを定着させてしまったのは、樹海を舞台にしたテレビのサスペンスドラマなどの影響が大きい。自殺の名所といったイメージが、樹海の真の価値を見えなくしてしまったのです」

「しかし実際に森を歩くと、全然そんなことはありません。樹海とはよく言ったもので、雨や霧の日などに森に入ると、海底散歩をしているような気分になる。緑色に染まった大気の中にいると、ここが木々の逞(たくま)しい生命力に溢れた場所であることを実感します。溶岩の上に堆積した薄い土の層に根を張って、幹や枝を思い思いに伸ばしている。どの木も必死に生きようとしているのが伝わってきます」

撮影=大山 行男

富士山の呼びかけが聴こえる

知られざる樹海の全貌を捉えた写真集『富士 樹海』を発表したのは51歳の時。10年間、樹海をさまよいながら撮影した作品の集大成だ。大山は自分の撮影スタイルについて、修験道に近いとまで言う。三脚と大型カメラを持って山に入る際、一回の撮影行で撮るのはわずか8カット。富士山との対話を繰り返しながら、何かが見えた時にのみシャッターを切る。そこには、うらやましいほどに豊かな時間が流れている。

「樹海をさまよっていると、森と一体化する瞬間に襲われることが何度かあります。自分を真空状態にして感度を研ぎ澄ませていると、森の精霊や妖精に出会えるような気分になってくる。樹海はそんな聖なる雰囲気に満ちています」

「樹海にのめり込んでいくうちに、富士山が自分に近づいてきてくれるようになりました。ひとり森の奥深くへと踏み込んでいくと、どこからか自分を呼ぶ声がする。『お~い、大山、早くこっちの世界へ来い』とか……。知らず識らずに異界を旅している気分になることもあります。そんな時に撮った写真は、自分でも信じられないような光景を捉えていることが多いのです」

精霊が息づく聖なる山

今年61歳を迎えた大山は、40年近くも富士山と一緒に歩んできた。そんな大山にとって、今回の世界遺産登録はどんな意味があるのだろうか。

「富士山は単に美しい山ではなく、日本古来の精霊たちが息づく聖なる山です。ここには日本のアニミズムの原点がある。海外から富士山を訪れた方々に、そうした精神性を感じとってもらえたらと思います。樹海のようなスピリチュアルな森は世界中どこを探してもないですから。富士山には、異世界へと通じる未知の扉がいくつも潜んでいるような気がしてなりません」

世界遺産登録をきっかけに、海外からより多くの登山者たちが富士山を訪れ、新たな魅力を発見してくれることに期待したい。この山の隠れた価値に迫り、伝えてきた「僕(しもべ)」にとっても、それは望外の喜びに違いない。

取材・文=近藤 久嗣(一般財団法人ニッポンドットコム理事)
撮影=コデラケイ
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