米アカデミー賞に最も近い日本人:特殊メイクアップアーティスト 辻一弘

文化 Cinema

米映画『LOOPER/ルーパー』の特殊メイクデザインを手がけた辻一弘さんは、ハリウッドを拠点に活躍しておよそ17年。米アカデミー賞メイクアップ部門でノミネート2度の実績を誇る気鋭アーティストに話を聞いた。

辻 一弘 TSUJI Kazuhiro

1969年京都市生まれ。高校3年から特殊メイクを独力で学び、卒業後に上京。8年間で30本近くの映画で仕事し、1996年に渡米。リック・ベイカーのスタジオに所属し、『メン・イン・ブラック』『PLANET OF THE APES/猿の惑星』『ベンジャミン・バトン』など数々のハリウッド映画で力を発揮する。2000年、ベイカーとともに特殊メイクを担当した『グリンチ』が英アカデミー賞を受賞。2007年に『もしも昨日が選べたら』、2008年に『マッド・ファット・ワイフ』(いずれも公開は前年)が米アカデミー賞のメイクアップ部門にノミネートされた。2007年に独立し、KTS Effects社を創立。

特殊メイクに求められた「不可能」な課題

映画『LOOPER/ルーパー』より。© 2012 LOOPER DISTRIBUTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

2013年1月12日に日本公開の米映画『LOOPER/ルーパー』。近未来のタイムトラベルを背景にストーリーが展開するが、これまでのSF映画になかった「新機軸」は、主人公が未来の自分と戦うというシチュエーションだ。

主人公の未来の姿を描き出すのに、役者をメイクで老けさせるのが従来の手法。しかしこの映画に関しては、それを乗り越える必要があった。ライアン・ジョンソン監督が、主人公の現在と未来を別々の役者に演じさせようとしたからだ。映画のカギを握る特殊メイクで白羽の矢が立ったのが、日本人アーティストの辻一弘さんだった。

「最初この話が来たとき、不可能だと言ったんですよ。2人の顔のプロポーションが違いすぎる。それなのに、レストランで向かい合わせに座るシーンがあるという。こりゃ無理だと」

主人公である「現在のジョー」は、監督の長編デビュー作『BRICK ブリック』(2006年)で主役を演じたジョセフ・ゴードン=レヴィット。監督が、脚本を書く前の構想段階から今作にも主役で起用することを決めていたという「売り出し中」の若手スターだ。

一方、脚本が完成してから「30年後のジョー」役に興味を示したのは、ベテランのブルース・ウィリス。ジョンソン監督は、大物俳優が乗り気になったことで製作に弾みがつく、と大いに喜んだ。ただし問題がひとつ。ゴードン=レヴィットとウィリスの顔が似ても似つかぬことだった。

メイク嫌いの大物俳優相手の秘策とは?

この難題を持ちかけられ、一度は断りかけた辻さんだったが、「ジョセフにどうしてもやってほしいと頼まれて」引き受けることにした。エグゼクティブ・プロデューサーまで買って出たゴードン=レヴィットには、この作品にかける並々ならぬ熱意があったのだろう。

辻さんの仕事はまず2人の顔型を採ることから始まった。2人の顔の違いを子細に調べ、どういう方法で近づけていけるかを検討していく。

「ジョセフの顔に細工するしか選択肢がなかった。というのも、ブルース・ウィリスがメイク嫌いで有名だったからです。椅子に長時間座っていられないと。また特殊メイクの場合、顔を削るわけにはいかないので、考えられるのは何かを足していくこと。それでジョセフの顔に何を付け足していったらブルースの顔に近づくかを考えました」

だが、ピースをたくさん顔に付ければいいというわけではない。毎回の撮影に耐えられるような「付けやすさ」「動きやすさ」を考慮して、できるだけシンプルにデザインするのが勝負どころだ。さまざまなピースを用意していろいろなパターンを試しながら、最終的に鼻、上下唇、眉にピースを装着する案に落ち着いた。

素顔のジョセフ・ゴードン=レヴィット(中央)。ブルース・ウィリス(左)の鼻と唇に似せてピースを装着し、眉の向きを変え、耳を寝かせ(右)、本番ではさらに緑色のコンタクトレンズを付けた。(写真提供:辻一弘)

「今回はホラーやファンタジーと違って人間のドラマなので、メイクが自然であることが大事。顔に付けたピースと地肌との境目をぼやかして自然に見せるのですが、鼻は汗をかきやすいし、唇はよく動くので、メイクが崩れやすい。おまけに顔の中心なのでよく目立つ。このあたりを考慮してメイクをデザインする必要がありました」

苦労の甲斐あって、自分の代表作と胸を張って言える出来栄えになった。

「やはりメイクだけでなく、ストーリーや役者、作品全体がよくないと満足のいく仕事とは言えません。その点、今回は全部が見事に合わさってすごくいい作品になったと思います」

ハリウッドに通じた情熱

『LOOPER/ルーパー』ではアカデミー賞ノミネートを一歩手前で逃したものの、これまで2度にわたって同賞のノミネートを受けるなど、トップアーティストの仲間入りを果たしている辻さん。

「子どもの頃は特撮に興味があった。日本のちゃっちい特撮は嫌いでしたけど、『スターウォーズ』を観て、これは全然違うぞ、こういうのをやりたいって思ったんです。小さいときから何でも自分で作ることが好きだったので、ミニチュアを作って、8ミリで撮影したりしていました」

特殊メイクに関心を持ったきっかけは、高校生の時に読んだ米ホラー映画雑誌「ファンゴリア」の特集だった。特殊メイクの第一人者ディック・スミス氏が、俳優をリンカーン大統領そっくりに変身させてしまうのを見て衝撃を受けた。辻少年がすごいのはここからだ。スミス氏本人に手紙を送って直接アドバイスを求め、独力で特殊メイクの試作を繰り返した。

その熱意と努力は、高校卒業の「翌日」に報われた。日本のホラー映画『スウィートホーム』(監督・黒沢清、製作総指揮・伊丹十三)のSFXスーパーバイザーで来日したスミス氏から、スタッフの一員として誘われたのだ。

こうしてプロの現場に飛び込み、8年が過ぎた頃、渡米のチャンスが訪れた。リック・ベイカー氏のアトリエで働くという長年の夢がついに実現! ベイカー氏といえば、マイケル・ジャクソンの『スリラー』で特殊メイクを手がけたほか、当時すでに3度(現在までに合計7度)にわたってアカデミー賞を受賞していた特殊メイク界の巨匠だ。ベイカー氏の下、辻さんは次々とハリウッドの大作に参加し、2007年には独立も果たした。

世界の第一線で活躍し続ける辻さんを支えるのは、何よりもまず超一流のプロたちから信頼される技術力に違いない。しかしその高い技術を自分のものにするのは並大抵の努力では叶うまい。技術以外に必要な何かもあるはずだ。若い読者へのメッセージも込めて、最後に辻さんが語ってくれた。

「人と違うやり方で、自分のこだわりを追求していくこと。あとは情熱を持ち続けることでしょうね。自分はどうしてもこれがやりたいんだ、っていうね。現在は年に1度、特殊メイクの講師として来日し、若い人たちと接する機会がありますが、どうも彼らから覇気を感じない。これをやりたい、やるぞ、という強い意志を持ってほしい。数百人の中から現場で活躍できるのはほんの数人です。本気で続けていける人だけが残っていくんですよ」(インタビュー収録 2012年12月21日)

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部) 撮影=ニッポンドットコム編集部

LOOPER/ルーパー
(2012年、米)

監督・脚本 ライアン・ジョンソン
出演 ブルース・ウィリス、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、エミリー・ブラント
配給 ギャガ /ポニーキャニオン
日本公開 2013年1月12日 (丸の内ルーブル ほか)

© 2012 LOOPER DISTRIBUTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED 

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