「江戸っ子は距離の取り方が絶妙なんです」 落語家・林家正蔵
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駄目な連中だが、なぜか明るく前向き
「昭和の爆笑王」の異名を持つ林家三平を父に持つ落語家・林家正蔵。2005年3月、九代目林家正蔵を襲名し、古典落語にも力を入れている彼が、落語の描く日本人の生き様を語り出した。
——近頃、落語を聴く若い世代が増えているようですね。
「落語ブームなんでしょうか。これまで寄席の客層はお年寄りが中心だったのですが、最近は若いお客さんの姿もよく見かけるようになりました。今は海外の方にもRAKUGOで通じるそうですね。昔はスタンダップ・コメディアンに対して、座ってしゃべるからシッティング・コメディアンだとか、オールドコミック・ストーリーテラーなどと紹介されたこともありますけどね。
びっくりするのは、客席にいる外国の方が、よく大声で笑ってらっしゃること。落語には、長屋や吉原の郭(くるわ)(※1)が出てきたりします。どうかするとお湯屋(銭湯)が分からないという日本の若者がいる中で、外国の方が日本人よりも笑っていたりする。聞くと、日本語や日本の文化を勉強しているそうなんです」
——歌舞伎などは音声ガイドでセリフが英訳されるので、海外の方でも理解できますが、落語はそうはいきませんね。
「そうなったら、落語はなくなると思いますよ(笑)。枕(※2)なんていうのはその日によって変わりますしね。
落語は、語りでもってどれだけ人の心を揺り動かせるのかが勝負。演者がどれだけしっかりとその世界を伝えることができるのかが問われる芸だと思います。
落語に出てくるのはたいてい駄目な人たち。コンプレックスの塊だったり、物が覚えられなかったり、女房の尻に敷かれている旦那だったり、間抜けな泥棒や夜が怖い幽霊、人間に化かされるキツネとか、そんな人や物たちばかり。不思議なのは、その駄目な登場人物たちが、実に明るく前向きなことです。
困ったり苦しんだりしているんだけど、悲嘆に暮れて泣いてばかりだとか、部屋に閉じこもってばかりなんていうことはありません。なんとか成り行きでいっちゃえというような人たちばかりで、その結果、何が解決されるわけでもないけれど、わっはっはと笑って終わる。そこには何の見栄も欲もないんです」
下町ならではの人づきあい
——江戸っ子の生きざまが、今ではよく分からないという日本人も多いんじゃないですか?
「そうですねぇ。例えば、江戸っ子らしい、こんな小噺(こばなし)があります。
『ただいま』『おかえりなさい』『おう、隣の家、子供がいるのに飯じゃなくて芋食ってたよ。子供だったら御飯(おまんま)食いてえだろうに。なあ、うちに米ないか』『あるよ』『だったら、持って行ってやれよ』…『行ってきたよ』『どうだった』『涙流して喜んでたよ。ひさしぶりの御飯だってさ』『そうか、そりゃあよかった。じゃあ、飯にしようか』『ないよ。今あげちゃったから』『じゃあ、芋食うか』
能天気ですね、そして、素敵ですねぇ。食べ盛りの子供が芋しか食べられないのはかわいそうだから、うちのお米を持って行けっていう時に、うちの分を残して半分持って行けなんていう了見はないんです。言われた女房もありったけの米を持って行っちゃう。困ってる人をほっとけないっていう気持ちなんでしょうね」
——それは、下町ならではの人づきあいがベースにあるんでしょうか。
「おっしゃる通りですね。最近、郊外のマンションに住んでいた友人が下町に引っ越してきましてね。『近所付き合い、煩わしいでしょ』と聞いたら、全然そんなことはない、と。郊外のマンションの時は、隣に誰が住んでいるのか分からないし、エレベーターで住人と一緒になってもお互い無言。どんな人がいて、何を考えているのか分からないから、そっちのほうがよほど煩わしいと言っていました。下町では、朝顔を合わせると『あ、おはようございます。いってらっしゃい』と言って、それで終わり。おせっかい焼きのようでいて、踏み込んじゃいけないところには踏み込まないし、これは踏み込まなきゃ収まらないと思えば踏み込む。人との距離の取り方が非常にうまいんです」
「妖しの町」浅草
——正蔵師匠にとって、寄席や演芸場の多い浅草は古くから馴染のある町ですよね。2005年の九代目林家正蔵襲名のお練り(襲名パレード)では、浅草雷門前にさしかかると14万もの人々から声援が飛んだと聞いています。
「浅草は、古くから喜劇人を多く育ててきた町ですから、芸人を暖かく見守り、育てる土壌があるんだと思います。生まれた台東区根岸は上野寛永寺の奥座敷という雰囲気があるので比較的穏やかですが、浅草は花見からして無礼講。根岸の『品』に対して『はなやか』というのが浅草のイメージじゃないでしょうか」
——浅草にはこだわりのある老舗が多いですよね。
「浅草は『妖(あやか)しの町』ですよ。何かいますよ、あの町には(笑)。そのくらい、一筋縄ではいかない人たちが多い。
浅草に、うちの父親(落語家の故・林家三平)が通っていた鰻屋があるんです。私はずっと別の店に通ってたんですが、ある日突然そこの主人に怒られちゃった。『なんでうちの店に来ないんだ。あんたのおとっつぁんには随分贔屓(ひいき)にしてもらってたのに』って。『今日は言わしてもらうぞ』なんて凄まれても、こっちにとっては初対面の知らないおじさんなんですよ(笑)。後日、店に顔を出したら、『おせえよ、今ごろ来たって』なんて言いながら、目は笑ってるんです。
気に入らない客が来ると『うちは閉まってるよ』なんて平気で言う。後で聞いたら、前にその客とひと悶着あったらしい。その店は、蒲焼きも鰻重も出すんだけど、蒲焼きに白いご飯は付けないんです。蒲焼きを白いご飯で食ってもうまかない、うちはこういうやり方なんだ、と。ところが客は、『白いご飯があるならそれを出してくれ』と言う。主人は『いや、出さない。嫌ならけえってくれ。御代なんかいらないから二度と来るな。蒲焼き定食なら他で食ってくれ』って言って追い返しちゃう。そんなことがあっても、またのこのこ来る客も客で変わってるんですけどね(笑)。
要するに偏屈、裏を返せば、これだけは譲れないというこだわりがある。開口一番、『いらっしゃい』じゃなくて『また来たのかい』だもん。それが客に言う言葉かと思うけど、目は笑ってる。そして、最高の鰻を出す。妖しの町というのはそういうことです。面白いですよ、ほんとに」
——そういう店によそ者が入ると緊張感が走りませんか。
「よそから来た人を受け入れる間口は広いですよ、すごく。浅草だって元々はよそから来た人たちばかりだって、みんな言ってますから。間口が広いだけに口が悪いから、まぁ、あとはご自分で判断してください」
——やはり浅草のお客さんは落語を見る目も厳しいのでしょうか。
「そんなこともないんですよ。通の方が気難しい顔をして聞きに来るというよりも、笑おう、楽しもうという気持ちでいらっしゃる方が多い。ごひいき以外の落語家に対してもそっぽを向かないお客さんが多いのですが、ちょっと気取ったことをしたり手を抜いたりすると、『そんなのは許さねえ』という雰囲気はある。逆に、下手な前座でも、一生懸命やっているなと思えば、情があるから送り手(※3)が多くなる。テレビなんかに出ていて名が知られている人でも、手を抜けば送り手が少なくなります」
寄席で落語を楽しむコツ
——初心者が寄席に足を運んで落語を楽しむ時のコツのようなものはあるのでしょうか。
「まったくの初心者の方は、まず、勉強して来ないでください。CDなどで名人の噺(はなし)を聴いて来られても、あの雰囲気を出せる人はそうそういないですよ。気の合う友だちや親と一緒に来るのもいい。最初は子供連れじゃないほうがいいかもしれないですね。落語は、どうしても色恋の事が入っていたりする大人の世界なので。
それから、寄席が跳ねた後に立ち寄れる店をあらかじめ見つけておく。蕎麦屋でも、焼き鳥屋でも、もんじゃ焼き屋でもいい。芝居やコンサートの帰りにどこか気の利いた店で食事をするような、あるいは相撲を観た後にちゃんこ鍋を食べるみたいな感じで落語を観た後にどこか良さそうな店へ寄ってもらうのがいいんじゃないですかね。要するに、落語をハレのものにしていただきたい。
初心者の方には、土曜、日曜の晴れた昼、寄席に行くのもおすすめです。この時間帯は、落語家たちが分かりやすくて楽しい噺をいっぱいします。実は以前、先輩に叱られたことがあるんです。私が人情噺をやっていたら、『なんでこんな日に人情噺をやるんだよ。表へ出てみろ。こんないい天気の日は笑って帰りてえじゃねえか。こんな日は、笑って楽しかったねって帰すのが落語家の務めだろう』と。その通りだと思いました。
上級者の方は、ウイークデイの火曜とか木曜あたりを狙ってください。しかも、給料日前、しとしと雨が降る晩の、池袋演芸場。こんな夜はあまりお客の入りも芳しくない。よし、やりたい噺をやろう。そんなふうに落語家は思うものですよ。そういうのが聴きたい人は、最初からそちらへどうぞ」
取材・文=さくらい 伸
撮影=山田 愼二