2022年に逝った人たち
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1月9日
海部俊樹さん(91)=元首相
1989年8月、参院選の惨敗を受け宇野宗佑首相が辞意を表明し、自民党総裁選で竹下派の支持を得て首相に就任。昭和生まれ初の首相で、リクルート事件で高まった政治不信を受けて、政治改革を最重要課題として取り組んだ。31年、名古屋市生まれ。29歳で衆院選に初当選し、三木派の若手ホープとして注目された。三木内閣で官房副長官、福田内閣と中曽根内閣で文部大臣。94年の「自さ社連立政権構想」を拒否して自民党を離党。結成された新進党の初代党首を務めた。
1月10日
水島新司さん(82)=漫画家
野球をテーマにした漫画を描き続け、『ドカベン』『野球狂の詩』『あぶさん』などのヒット作を次々と生んだ。1939年、新潟市生まれ。中学卒業後、働きながら漫画を描き、大阪の漫画雑誌の新人コンクールに入選して専属作家に。独立後の70年、『週刊少年サンデー』に主人公の藤村甲子園が投手として活躍する『男どアホウ甲子園』を連載し、評判となった。作品には故・野村克也さん(元南海ホークス監督)などプロ野球の選手、監督が実名で多数登場。現実と作品のクロスオーバーが読者を強く引き付けた。
2月1日
石原慎太郎さん(89)=作家、元衆院議員・東京都知事
一橋大学在学中の1956年に、若者の暴力とセックスを描いたデビュー小説『太陽の季節』が芥川賞を受賞。「太陽族」という流行語を生み、日本社会に衝撃を与えた。68年に自民党から参議院選挙に出馬・当選して政治家に。72年に衆議院にくら替えして環境庁長官、運輸相を歴任したが、95年に衆院議員を辞任。1999年に東京都知事に当選し、4選して2012年まで務めた。その後、日本維新の会の候補として衆院議員で国政に復帰。同党の分裂後は「次世代の党」に参加。14年の衆院選で落選し、政界を引退した。
タカ派政治家の代表格として知られ、自民党の国会議員時代は党内の政策集団「青嵐会」の中心メンバーとして活躍。1989年の総裁選に出馬したが、竹下派が推した海部俊樹(河本派)に敗れた。都知事としては、ディーゼル車の排ガス規制を推進。一方で、自ら開業を主導した「新銀行東京」は経営難に陥り、追加出資が批判を浴びた。都による沖縄県・尖閣諸島の購入も計画した。
作家としては、1995年から2012年まで芥川賞の選考委員を務めた。俳優の弟・裕次郎を描いた小説『弟』(1996年)はミリオンセラーとなり、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
2月18日
大町陽一郎さん(90)=指揮者
1968年、西ドイツ(当時)のドルトムント市立歌劇場の常任指揮者となり、日本人として初めて欧州の劇場で本格的に活動。82年から84年までウィーン国立歌劇場の専属指揮者を務めた。80年にはクリーブランド管弦楽団を指揮して米国デビュー。95年にはプッチーニ「トゥーランドット」の中国・北京での初演を指揮している。31年、東京生まれ。東京芸大作曲科を卒業後、ウィーン国立音楽大学で指揮を学び、カラヤンやベームの薫陶を受けた。61年、東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者に就任。ケルン日本文化会館館長、東京芸大教授などを歴任した。
2月20日
西郷輝彦さん(75)=歌手、俳優
橋幸夫、舟木一夫とともに昭和歌謡界の「御三家」として人気を集め、後にテレビドラマの俳優として脚光を浴びた。1947年、鹿児島県生まれ。バンドボーイとして活動中、レコード会社の目に留まって64年に歌手デビュー。66年の『星のフラメンコ』が大ヒットしてスターの座を射止めた。俳優としては73年、花登筺脚本のドラマ『どてらい男(やつ)』に主演。これが平均視聴率30%を越えるロングランヒット作品となった。75年からの『江戸を斬る』で演じた遠山金四郎も高い評価を得た。
4月7日
藤子不二雄Ⓐさん(88)=漫画家
本名・我孫子素雄。コンビの藤本弘(藤子・F・不二雄)ともに、漫画家「藤子不二雄」として『オバケのQ太郎』『ドラえもん』など多くのヒット作品を世に出した。1934年、富山県氷見市生まれ。54年に藤本とともに上京し、やがて新進の漫画家が集まる豊島区の「トキワ荘」に入居。64年の『オバQ』が大ヒットとなった。87年のコンビ解消後は、「藤子 不二雄Ⓐ」(ふじこ・ふじお・エー)として活動。代表作は『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』など。
6月2日
出井伸之さん(84)=元ソニー会長兼最高責任者
1995年から10年にわたりソニーを社長・会長として率い、デジタル関連事業を推進した国際的経営者。2000年には政府のIT戦略会議議長に就任した。1937年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、60年ソニー入社。前任の大賀典雄に抜てきされ、95年に「14人抜き」で社長に就任して大きな話題となった。同社の経営基盤を「ものづくり」から「コンテンツ」に移行する戦略を採用し、映画や音楽などのソフトウエア事業を拡充。また、「VAIO」ブランドでパソコン事業に再参入した。しかし、テレビや携帯音楽プレーヤーなどの主力事業で苦戦し、2003年には株価が急落する「ソニー・ショック」を引き起こした。
7月8日
安倍晋三さん(67)=元首相・衆院議員
2006年から07年、12年から20年までの2度、通算8年以上にわたり首相に在任。12年9月の自民党総裁選に勝利し、同12月の衆院選に勝利して政権奪還後は、2度の衆院選、3度の参院選をいずれも勝利し、長期政権を築いた。しかしコロナ禍の20年8月、「持病の潰瘍性大腸炎再発」を理由に辞意を表明(辞任は9月)。22年7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中に銃で撃たれ、死亡した。
1954年、東京都生まれ。父は安倍晋太郎元外相、母方の祖父は岸信介元首相。成蹊大学卒業後、神戸製鋼所に勤務。父晋太郎氏の秘書官などを歴任後、93年の衆院選に出馬・初当選した。内閣官房副長官在任時の2002年、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問に随行した際、「拉致問題で常に北朝鮮への強硬路線を主張した」と伝えられて脚光を浴びた。
2度目の首相在任中は、金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢からなる経済政策「アベノミクス」に注力。また、2度の消費税増税を実現したほか、15年に集団的自衛権の限定行使を可能にする安全保障関連法を制定した。外交面では「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」戦略を推進。日米豪印の協力枠組み「クアッド」の創設に向け尽力した。
一方、「安倍一強」の政治構造は学校法人森友学園の国有地払い下げ問題、学校法人加計学園の獣医学部新設問題などを生み、「忖度(そんたく)による政治」が広がったとも指摘された。
7月25日
島田陽子さん(69)=俳優
1980年、米国の連続テレビドラマ『将軍 SHŌGUN』のヒロイン、まり子役を演じ、ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞。一時、日本を代表する国際派女優として活躍した。1953年、熊本市生まれ。上京して中学生の時に劇団若草に入団。71年にテレビドラマ『続・氷点』の主人公を演じ、これが当たり役となって人気俳優となった。80年代には不倫スキャンダルで話題に。92年にはヌード写真集を刊行し、55万部のベストセラーを記録した。
8月5日
三宅一生さん(84)=ファッションデザイナー
「一枚の布」を裁たずに使う技法や、プリーツの細かいひだ飾りが特徴の斬新的な服作りを展開し、世界的に活躍した。1938年、広島市生まれ。多摩美術大学を卒業後、フランスでオートクチュール(高級注文服)の技術やデザインを学び、ニューヨークでも修行した。70年に東京で三宅デザイン事務所を設立。73年にパリコレクションに初参加した。2009年には、核廃絶を訴えたオバマ米大統領に感銘し、自らの被爆体験を交えた手紙を送った。米誌ニューヨーク・タイムズにそれが掲載され、大きな反響を呼んだ。2010年に文化勲章を受章。
8月11日
森英恵さん(96)=ファッションデザイナー
東洋人で初めてパリ・オートクチュール組合の会員となった、日本のファッションデザイン界の草分け的存在。蝶をモチーフにしたデザインで知られ、『HANAE MORI』ブランドのライセンスビジネスを手掛けるなど幅広く活躍した。島根県出身。東京女子大学卒業後の1951年、東京・新宿に洋裁店を開業し、65年にニューヨークで開いた初の海外コレクションで「東洋と西洋の出会い」というコンセプトが高く評価された。バルセロナ五輪(92年)、リレハンメル冬季五輪(94年)の日本選手団公式ユニホームを手がけたほか、歌舞伎や能の衣装デザインにも挑戦した。1996年、文化勲章受章。
8月24日
稲盛和夫さん(90)=京セラ創業者・名誉会長
仲間とともに創業した京都セラミック(現・京セラ)を世界的な電子部品メーカーに成長させたほか、第二電電(DDI、後のKDDI)を設立して通信事業の自由化を進めた。1932年、鹿児島市生まれ。鹿児島大学工学部卒業後、京都の碍子(がいし)メーカーに就職。59年に独立して京都セラミツクを設立し、集積回路用の基板などを手がけて事業を拡大した。2010年には会社更生法の適用を申請した日本航空の会長に就任、2年後に再上場を果たした。
9月30日
三遊亭円楽さん(72)=落語家
テレビの人気演芸番組『笑点』で長く活躍し、大喜利でのインテリ風の毒舌が人気だった。1950年、東京都生まれ。青山学院大学在学中の70年に五代目三遊亭円楽に入門し、楽太郎に。二つ目だった77年に『笑点』レギュラー。78年、落語協会分裂騒動で師匠とともに協会を脱退し、現在の五代目円楽一門会に所属した。81年真打昇進。2010年に師匠の名跡である六代目三遊亭円楽を襲名。17年、落語芸術協会に客員での加盟が認められ、同協会の寄席定席興行に出演できるようになった。
10月1日
アントニオ猪木さん(79)=プロレスラー、元参院議員
「燃える闘魂」のキャッチフレーズで、日本プロレス界のスターとして活躍。1976年にはボクシングのモハメド・アリと「異種格闘技」試合を戦い、世界を驚かせた。本名・猪木寛至。1943年横浜市生まれ。13歳で家族とブラジルに渡り、現地を訪れた力道山にスカウトされて60年にジャイアント馬場と同時にプロレスデビューした。72年に新日本プロレスを結成し、最盛期の70年代、80年代にはタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなど外国人レスラーと数々の名勝負を演じた。89年には、スポーツ平和党党首として参院選に立候補し、初当選。2013年には当時の日本維新の会から出馬し、2度目の当選を果たした。政治家としては北朝鮮をたびたび訪問するなど、独自の人脈を生かした活動を続けた。
11月11日
村田兆治さん(72)=元プロ野球・ロッテ投手
左足を高く上げる独特の投球フォーム「マサカリ投法」で、剛速球とフォークボールを武器にプロ通算215勝を挙げた。1949年、広島県生まれ。福山電波工高から67年のドラフト1位で東京オリオンズ(68年からロッテ)に入団、69年から頭角を現し、フォークボールを習得した76年には21勝を挙げ最優秀防御率(1.82)のタイトルも獲得した。82年に肘を故障し、83年にトミー・ジョン手術。85年には17勝を挙げてカムバック賞を受賞した。1990年、40歳代で2桁勝利(10勝)を挙げて、この年に引退。2005年に野球殿堂入り。
11月27日
崔洋一さん(73)=映画監督
在日コリアンのタクシー運転手が主人公の『月はどっちに出ている』(1993年)、日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した、ビートたけし主演の『血と骨』(2004年)などの名作を世に出した。04年から22年6月まで、日本映画監督協会理事長を務めた。1949年、長野県生まれ。父は在日朝鮮人、母は日本人。69年に照明助手として映画界に入り、大島渚監督の助監督を経て83年の『十階のモスキート』(主演・内田裕也)で映画監督デビューした。監督作品はほかに『マークスの山』『豚の報い』『クイール』など。大島監督の『御法度』(99年)では、俳優として近藤勇役を演じた。
12月28日
磯崎新さん(91)=建築家
ポストモダン建築を牽引し、つくばセンタービル、水戸芸術館などを手がけた。1931年、大分市生まれ。東京大大学院で丹下健三氏の研究室に入り、「東京計画1960」などの都市構想に参画。
現代思想や芸術、文化と結びつけて建築を語る思想家でもあった。1986年の東京都庁舎のコンペでは、首都のランドマークとして他の参加者が200メートル超の高層化を打ち出した中で、往来自由の巨大吹き抜けを中央に配した100メートル以下の中低層の複合ビル案を提出。「都庁とは何か」を問うたが、師匠である丹下案に敗れた。海外では、ロサンゼルス現代美術館、バルセロナ五輪屋内競技場などを設計。2019年に「建築界のノーベル賞」とされるプリツカー賞を受賞した。
(一部敬称略)
バナー写真:首相官邸で記者会見する安倍晋三首相=2019年12月9日(時事)