2020年に逝った人たち
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2月11日
野村克也さん(84)=元プロ野球捕手・監督
1950年代後半から60年代にかけて南海ホークスの主砲として活躍、戦後初の三冠王を獲得するなど、南海の黄金期をけん引した。巨人・王貞治選手と並び立つホームランバッターだったが、当時のパ・リーグの球場はガラガラ、テレビ中継もほとんどなく、「長嶋(茂雄)や王は太陽の下に咲くヒマワリ。僕は人の見ていない所にひっそりと咲く月見草」―と自らの境遇を語った。現役引退後、90年にヤクルト監督となり、データ(data)を活用する(import)「ID野球」を提唱。敵を徹底的に研究し、弱点を突く手法で93、95、97年に日本一になった。その後、阪神や楽天でも名将として多くの有力選手を育てた。解説者として、辛口の批評や名言を織り交ぜて野球論を「ぼやき」、晩年まで野球ファンに愛された。
3月29日
志村けんさん(70)=コメディアン
お笑いグループ、ザ・ドリフターズの付き人を経て、1974年に正式メンバーに加入。1970~80年代に絶大な人気を誇った「8時だョ!全員集合」で歌った東村山音頭や加藤茶さんとのヒゲダンスでお茶の間の人気者に。その後も「バカ殿様」「変なおじさん」など個性あるキャラクターを生み出し、子どもからお年寄りまで幅広く親しまれた。3月20日肺炎と診断され入院後に、新型コロナウイルス感染が判明、29日に死去した。NHK連続テレビ小説「エール」に日本の音楽界の重鎮役で起用され、出演場面が死後、放映された。
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4月3日
C・W・ニコルさん(79)=作家、環境保護活動家
英国出身で、17歳でカナダに渡り、環境や動物の保護、調査研究に従事。1962年に初来日、80年に長野県へ移住。荒れた里山を購入して「アファンの森」と名付けて再生を実践するなど、環境保護活動に取り組んだ。95年に日本国籍を取得。『風を見た少年』『誇り高き日本人でいたい』など小説家・エッセイストとしても活躍。05年に英国の名誉大英勲章を受けた。
4月10日
大林宣彦さん(82)=映画監督
ハリウッドスターのチャールズ・ブロンソンを起用した整髪料「マンダム」や、名女優カトリーヌ・ド・ヌーブの「ラックス化粧品」など、高度経済成成長期にCMディレクターとして時代を切り拓いた。その後、映画監督としてデビュー。出身地である広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作が大ヒットし、尾道観光ブームを巻き起こした。「狙われた学園」などのアイドル映画で注目を集める一方、戦争体験者として作品を通じて平和を訴えた。2016年に肺がんで「余命半年」と告知された後も、作品を撮り続けた。19年に文化功労者に選ばれた。
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4月23日
岡江久美子さん(63)=女優
女優としてドラマ出演のほか、NHK「連想ゲーム」などバラエティー番組でタレントとしても活躍。1996年から2014年までTBS系の朝の生活情報番組「はなまるマーケット」の司会を薬丸裕英さんと共に務めた。新型コロナウイルス肺炎のため、死去。
4月24日
岡本行夫さん(74)=元首相補佐官
外交官、首相補佐官として、冷戦末期から冷戦終結後の日米関係構築で大きな貢献を果たした。イラク戦争の際には、一部の同盟国が対米批判に回る中、日本政府の外交ブレーンとして、米国支持、イラク復興支援推進の道筋を敷いた。米外交当局を中心とする豊富な人脈を生かして、外交評論家として活動していたが、新型コロナウイルスに感染して死去。訃報を受けたリチャード・アーミテージ元米国務副長官は、「日米関係の巨人だった」と功績をたたえた。
6月5日
横田滋さん(87)=北朝鮮拉致被害者「家族会」元代表
娘の横田めぐみさんが下校途中にこつ然と姿を消したのは1977年11月だった。妻の早紀江さんとともに何度もテレビ番組に出演して情報提供を求めるなどしていたが、1997年1月、元北朝鮮工作員の証言で拉致が発覚。全国の拉致被害者家族らと「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)を結成し、初代代表に就任した。署名・講演活動で全国を行脚し、被害者救出を訴え続けた。体調悪化で07年に家族会代表を退任した後も、救出のための活動を続け、13年4月に目標だった1000万人の署名を集めた。14年3月には、めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんとモンゴルで初めて面会したが、最期までめぐみさんとの対面はかなわなかった。
6月10日
川崎富作さん(95)=小児科医、NPO法人日本川崎病研究センター名誉理事長
乳幼児を中心に全身の血管に炎症が生じる「川崎病」を発見した。この病気とは1961年に初めて遭遇し、67年に学会誌への発表で知られるようになった。日本赤十字社医療センターの小児科部長などを歴任。91年に日本学士院賞、2006年に日本小児科学会賞を受賞した。
7月27日
山本寛斎さん(76)=ファッションデザイナー
大学を中退してコシノジュンコさんの工房に弟子入り。67年にファッション界の登竜門「装苑賞」を受賞。71年に日本人として初めてロンドンでショーを開催、歌舞伎に着想を得た華麗な演出で日本の美を表現し、注目を集めた。74年から92年までパリ、ニューヨーク、東京コレクションに参加。エルトン・ジョン、デビッド・ボウイら大スターのステージ衣装をデザインしたことでも知られる。90年代以降、ファッションに音楽、ダンスなどの要素を取り入れたショーのイベントプロデューサーとして精力的に活動した。2020年3月、急性骨髄性白血病を公表した。
8月14日
渡哲也さん(78)=俳優
大学在学中の1964年、浅丘ルリ子さんの相手役に応募したのをきっかけに日活入りし、「東京流れ者」などのアクション映画で一躍スターに。71年、石原裕次郎さんを慕って、経営が悪化していた石原プロモーションに入社。刑事ドラマ「大都会」「西部警察」シリーズに出演して人気を集めた。87年、裕次郎さんが52歳で死去した後、石原プロ社長に就任。2011年の東日本大震災の際には、石原軍団の俳優を率いて宮城県石巻市で炊き出しをするなど、災害支援活動にも力を注いだ。
8月23日
渡部恒三さん(88)=元衆院副議長
福島県議を経て、1969年の衆院選に旧福島2区から無所属で出馬、当選後に自民党に追加公認された。連続当選14回。自民党では田中派、竹下派に所属。小沢一郎衆院議員らと竹下派「七奉行」に名を連ね、党国対委員長や自治相などの要職を歴任した。93年に自民党を離れ、新生党、新進党の旗揚げに参画した。2005年に民主党入りし、重鎮として存在感を発揮した。会津なまりの「恒三節」と気さくな笑顔は、有権者に政治への関心を抱かせるきっかけにもなった。現役を引退した後も「政界のご意見番」として発信を続けた。
9月27日
竹内結子さん(40)=俳優
人気俳優として多くのテレビドラマや映画などで活躍した。NHK連続テレビ小説「あすか」に主演、その後、大河ドラマ「真田丸」や数々のトレンディードラマでヒロインを演じた。自宅の寝室で首をつった状態で発見された。遺書はなかった。
10月4日
高田賢三さん(81)=ファッションデザイナー
目の覚めるような鮮やかな花柄や、民族調のフォークロアなどで知られるブランド「KENZO」の創始者で、日本を代表するファッションデザイナー。1958年、男性に門戸を開いたばかりの文化服装学院で学び、65年渡仏。70年にパリでブティックを開いた。富裕層向けのオートクチュール(注文服)から大衆向けのプレタポルテ(既製服)へとファッション業界の重心が移る時代の変わり目を捉え、「プレタの旗手」として世界で高い評価を得た。 84年、仏政府の芸術文化勲章(シュバリエ)、2016年にレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)を受章。04年のアテネ五輪日本選手団のユニホームをデザインした。新型コロナウイルスに感染後、パリ郊外の病院で死去した。
10月12日
筒美京平さん(80)=作曲家
レコード会社勤務を経て作曲家として独立、1968年のいしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」の大ヒットを皮切りに、昭和を代表する名曲を次々と生み出した。尾崎紀世彦さんの「また逢(あ)う日まで」やジュディ・オングさんの「魅せられて」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」など長く歌い継がれる曲を残した。「サザエさん」のテレビアニメ主題歌も筒美さんの作品。手掛けた曲は約3000曲にも上る。2003年紫綬褒章受章。
11月12日
小柴昌俊さん(94)=物理学者、東京大特別栄誉教授
素粒子物理学のテーマの一つ「陽子崩壊」観測のため、岐阜県飛騨市・神岡鉱山地下に、観測装置「カミオカンデ」の建設を提唱し、83年に完成させた。陽子崩壊の観測が想定の通りには進まず、宇宙から飛来するニュートリノの検出のために装置を改良し87年1月から観測を開始。翌2月、大マゼラン星雲で起きた超新星爆発で生じたニュートリノの観測に成功した。2002年にノーベル物理学賞を受賞。
教え子である梶田隆章・東大宇宙線研究所長は、96年から観測が始まった後継装置の「スーパーカミオカンデ」でニュートリノに質量があることを確認。梶田さんは15年にノーベル物理学賞を受賞し、子弟で最高の栄誉に輝いた。
Nippon.com掲載の参考記事
11月14日
坂田藤十郎さん(88)=歌舞伎俳優
立役から女形まで品格のあるみずみずしい芸で上方歌舞伎の再興に尽力した。二代目中村鴈治郎の長男として生まれ、1941年に二代目中村扇雀を名乗り初舞台。53年、「曽根崎心中」の遊女お初役を鮮烈に演じて以来、84歳になるまで通算1400回以上もお初を演じた。2005年に上方歌舞伎の大名跡である坂田藤十郎を231年ぶりに復活させ、四代目藤十郎を襲名した。94年に人間国宝に認定され、09年に文化勲章受章。
12月5日
免田栄さん(95)=日本初の再審無罪となった元死刑囚
熊本県人吉市で1948年に祈とう師一家4人が殺傷された「免田事件」で、死刑確定。6回にわたる再審請求を経て、83年7月、日本の裁判史上初めて死刑確定後に再審無罪となった。その後は、他の確定死刑囚らの再審を支援し、死刑廃止を訴えた。
12月7日
有馬朗人さん(90)=元東大学長、物理学者
原子核構造の研究を専門とし、1989年に東大学長に就任、93年から理化学研究所理事長を務めた。橋本龍太郎首相(当時)に請われ、98年参院選に比例代表で出馬し初当選。小渕内閣の文部相に起用され、「ゆとり教育」推進や高等教育の研究費拡充などに力を入れた。幼い頃から俳句に親しみ、自らの句集も出版。国際俳句交流協会の会長として、俳句の世界遺産登録を目指し活動した。2004年に文化功労者、同年に旭日大綬章、10年に文化勲章を受章。
12月7日
小松政夫さん(78)=コメディアン、俳優
人気バンド・クレージーキャッツの植木等さんの付き人を経た芸能界デビュー。70年代に伊東四朗さんらと共演したバラエティー番組で「しらけ鳥音頭」などのヒット曲や「小松の親分さん」などのギャグで一世を風靡(ふうび)した。
12月13日
浅香光代さん(92)=女優
戦前に活躍した俳優、浅香新八郎率いる劇団に子役として入団。その後、「浅香光代一座」を旗揚げし、女剣劇のスターとして人気を集めた。故野村沙知代さんとの批判合戦が「ミッチー・サッチー騒動」として話題となった。
12月17日
林家こん平さん(77)=落語家
1958年、初代林家三平さんに入門し、72年に真打ち昇進。日本テレビの人気演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとして約40年にわたり活躍。明るく、元気なキャラクターで番組を盛り上げた。2005年に神経系難病の多発性硬化症と診断され、闘病していた。
12月23日
なかにし礼さん(82)=作詞家、小説家
シャンソン喫茶で働きながらフランス語学校に通い、歌手から頼まれて訳詞をしたことが作詞家の道に進むきっかけとなった。細川たかしさんの「北酒場」や北原ミレイさんの「石狩挽歌(ばんか)」など4000曲以上を手掛けた昭和を代表する作詞家の一人。2000年には『長崎ぶらぶら節』で芥川賞受賞。
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バナー写真 : 志村けんさんと小柴昌俊さん(時事)