今週の歴史を振り返る:This Week in Japanese History

今週の歴史を振り返る:4月6~12日

4月6日

明治天皇が五箇条の御誓文を発する

1868年(明治元年3月14日) 明治天皇が京都御所に公卿・諸侯を集め五箇条の御誓文を示した。天地の神々に誓うという形式で、新政府の基本方針を明らかにした。「広く会議を興し万機公論に決すべし」とうたわれた。「日本中から優秀な人を集め、大事なことは話し合って決めよう」という意味といわれる。国会開設まで念頭に置いたものではなく、限定的な政治参加を目指す考えを示した。昭和初期まで「教育勅語」「軍人勅諭」とともに、国民の指導理念とされた。

4月7日

米中選手が偶然接触 ピンポン外交始まる

1971(昭和46)年 この日まで名古屋で開かれた世界卓球選手権に、文化大革命後初めて中国チームが参加した。期間中、米国選手が中国側のバスに誤乗車して中国選手と握手を交わすハプニングがあった。これをきっかけに、最高指導者毛沢東の指示で中国が米卓球チームを正式招待。交流が断絶していた米中の雪解けムードが広がる。同年8月にはニクソン米大統領が日本の頭越しに訪中を発表。米中、日中の国交回復につながった。名古屋の大会は「ピンポン外交」の始まりとされる。

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4月8日

大阪・天六ガス爆発事故で79人死亡

1970(昭和45)年 大阪市大淀区(現北区)天六交叉点の大阪市営地下鉄工事現場でガス爆発が起きた。工事作業員ら79人が死亡し、重軽傷420人を出す戦後最悪のガス爆発事故になった。大阪ガスの埋設したガス管の継ぎ手が外れ、地下に都市ガスが充満。覆工板の隙間からガスが漏れ、そこを通りかかった作業車のセルモーターの火花に引火し炎上。その後、地下に充満したガスが大爆発を起こし、覆工板の上にいた警察官、消防士や市民が吹き飛ばされた。市交通局や施工業者、大阪ガスの責任が問われた。

4月9日

両陛下、ペリリュー島を慰霊訪問

2015(平成27)年 天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が戦没者慰霊のため、太平洋ミクロネシア諸島のパラオ共和国ペリリュー島を訪問。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」をこの日訪れ、白菊の花を供え深くこうべを垂れて拝礼した。パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の3大統領も同行した。旧南洋諸島は第1次世界大戦後、日本の委任統治領となり、パラオに統治機関の南洋庁が置かれた。ペリリュー島では第2次大戦で日本軍守備隊が上陸した米軍と激戦を展開し、1万人が玉砕した。

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4月10日

「ご成婚パレード」テレビで実況中継

1959(昭和34)年 皇太子・明仁親王と正田美智子さま(当時、現上皇夫妻)の結婚の儀が皇居で執り行われた。同日行われた馬車パレードでは53万の人々が8キロの沿道を埋め尽くした。その模様はテレビで実況中継された。ブラウン管を通して多くの国民が「世紀のウエディング」を祝った。パレードに先立ちテレビ受像機メーカー各社は売り込みに奔走。NHKの受信契約数は前年5月に100 万件だったが、結婚式の1週間前の4月3日には2倍の 200 万件になっていた.将来皇后となる皇太子妃は宮家からとの戦前の慣例を破り、一般人から選ばれた美智子さま。宮内庁が58年11月、美智子さまを皇太子妃に迎えることを発表すると、国民は好感をもって迎え「ミッチーブーム」に沸いた。一方、旧皇族・旧華族には反発する向きがあった。

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4月11日

都知事選で石原慎太郎氏が初勝利

1999(平成11)年 東京都知事選で石原慎太郎氏が初当選。2期目を目指すとみられた青島幸男氏が2月1日に立候補しないと表明し、同月中に有力候補が出そろった。告示日を目前に控えた3月10日に石原氏が出馬表明した。鳩山邦夫(民主推薦)、舛添要一、明石康(自民・公明推薦)、柿澤弘治の各氏を振り切り、166万票を得票して当選した。都知事選には75(昭和50)年に出馬し落選。再挑戦での勝利だった。1期目の政策では粒子物質排出抑制を目的に制定したディーゼル車規制条例が有名。4回連続で当選し、4期目の任期途中で辞任した。

4月12日

霞が関に日本初の超高層ビル

1968(昭和43)年 東京都千代田区に三井不動産の「霞が関ビルディング」が竣工した。高さ147メートル、地上36階建てで、日本初の超高層ビル。ビルの高さは31m までに制限されていたが、1960 年代に建築基準法をはじめとした制度や法律の改正が行われ、高層ビルの建築が可能になった。

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バナー写真:パレードで馬車からこたえられる皇太子ご夫妻。1959年4月10日(時事)

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