今日は何の日:7月31日
政治・外交 社会 スポーツ- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
「命のビザ」発給 ユダヤ人助けた杉原千畝氏が死去
1986(昭和61)年 ナチス・ドイツの迫害に苦しむユダヤ人に日本通過ビザを発給し亡命を助けたことで知られる元外交官の杉原千畝氏が死去。86歳。第2次世界大戦中の1940年、リトアニアの日本領事館領事代理として赴任した杉原氏は、外務省の訓令に反してビザを発給し6000人のユダヤ人の命を救ったとされる。帰国後、「抗命」を責められ外務省辞職を余儀なくされた。68年に「杉原ビザ」受給者の一人、在日イスラエル大使館参事官が杉原氏の所在を突き止めて再会。失職覚悟の人道的行為が世界で称賛された。日本政府により名誉回復が図られたのは、死後14年がたった2000年10月10日だった。
関連記事
- 満州でユダヤ人を救った陸軍中将(前編):「ヒグチ・ルート」で生き延びた子孫が語る自由への逃走
- 杉原千畝の実像に迫る
- 「命のビザ」杉原千畝のイメージを塗り替えた書籍が、内閣府事業で英訳本に:The Duty and Humanity of an Intelligence Officer
- もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将
その他の出来事
GHQの意向受け、国家公務員のスト権否認
1948(昭和23)年 芦田均内閣が、国家公務員労働組合の団体交渉権・スト権を否認する「政令201号」を公布。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、芦田首相に送った書簡で公務員の争議行為禁止を示唆したことを受けた措置。日本国憲法で保障されていた労働三権のうち団結権のみを認め、団交権、争議権を奪った。共産主義勢力の台頭を防ぐため、連合国軍総司令部(GHQ)が民主化にブレーキをかける「逆コース」と呼ばれる方針転換の一つ。
関連記事
天皇・皇后が戦後初の明治神宮参拝
1952(昭和27)年 明治天皇・昭憲皇太后をまつる明治神宮(東京都渋谷区)に、天皇・皇后が戦後初めて参拝された。神宮本殿は太平洋戦争末期の1945年4月、米軍の空襲で焼失。両陛下の初参拝時は仮殿。本殿は全国からの寄付を資金に58年、再建。
関連記事
日本テレビがNHKに先行 予備免許取得
1952(昭和27)年 正力松太郎(1885~1969)が中心となって設立した日本テレビが、NHKに先んじてテレビ放送の予備免許を第1号を取得。1953年8月28日に本放送を開始。
通勤地獄に涼風 : 山手線に冷房車導入
1970(昭和45)年 乗車率300%、「通勤地獄」と呼ばれるほど混雑の山手線に冷房車が初めて導入された。高額な車両の入れ替えには時間を要し、全編成冷房完備となったのは1988年頃と言われる。