今日は何の日:7月9日
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日本初の生保、明治生命設立
1881(明治14)年 福沢諭吉門下の阿部泰蔵らが日本で最初の生命保険会社・明治生命保険(現明治安田生命保険)を設立。阿部が初代頭取。慶応義塾で福沢の片腕として活躍し、岩崎弥太郎に請われて三菱の経営に参画していた荘田平五郎、慶応義塾長を務めた小泉信吉ら11人が発起人となった。86年には、経営の安定のため福沢の依頼に応じ、三菱の岩崎久弥が筆頭株主となった。三菱グループの有力企業として発展。戦後の47年に連合国軍総司令部(GHQ)の勧奨で株式会社から相互会社組織となる。
その他の出来事
森鴎外、60歳で死没
1922(大正11)年 『舞姫』『山椒大夫』『高瀬舟』などで知られる明治・大正の文豪、森鴎外が肺結核のため60歳で死去した。津和野藩(現・島根県津和野町)の典医の家に生まれ、幼少期から英才教育を受け、11歳で第一大学区医学校(後の東大医学部)に入学。19歳で軍医となり、22歳でドイツ留学した経験が、その後の創作活動に生かされた。
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巨人、黒沢、沢村の背番号を永久欠番に
1947(昭和22)年 日本のプロ野球初の永久欠番に読売ジャイアンツの黒沢俊夫の「背番号4」と沢村栄治の「背番号14」が指定される。黒沢は46年までの3シーズンを主軸打者としてチームに貢献したが、47年に腸チフスで病没。沢村は戦前に来日したメジャー選抜チームとの試合に登板。9奪三振の快投を見せた。プロ野球が発足した36年には、史上初のノーヒット・ノーランを達成するなど活躍したが戦地へ向かう途上で戦死した。
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後楽園ゆうえんち開業
1955(昭和30)年 東京・水道橋に後楽園ゆうえんち(現東京ドームシティアトラクションズ)が開園。目玉のアトラクションは、日本初の本格的なジェットコースター。今では一般名詞として使われているジェットコースターは、「ジェット機のような加速」の意味を込めて、後楽園ゆうえんちが命名したのが最初。
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福島第1原発元所長の吉田氏死去
2013(平成25)年 福島第1原子力発電所所長を務めた吉田昌郎(よしだ・まさお)東京電力執行役員が、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳。東日本大震災発生時に所長だった吉田氏は、津波により全電源を失い3基の原子炉の炉心が溶融するメルトダウンを起こす過酷事故に遭遇。同年11月、食道がんが見つかるまで9カ月間にわたり、現場の陣頭指揮に当たった。