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世界のソニー、町工場として誕生
1946(昭和21)年 ソニーの前身である「東京通信工業」が資本金19万円従業員約20人の小さな会社としてスタート。創業者の一人、井深大は、会社設立趣意書で「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達(かったつ)にして愉快なる理想工場の建設」と記した。戦時中、新兵器開発プロジェクトで井深と知り合った盛田昭夫が創業に加わった。50年テープレコーダー、55年トランジスタラジオを商品化し事業を拡大。58年、ソニーに社名変更した。
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その他の出来事
樺太千島交換条約を締結
1875(明治8)年 日本が千島全島をロシアから譲り受ける代わりに、両国間で帰属が確定していなかった樺太を放棄する「樺太千島交換条約」を締結。明治政府は旧幕臣で開拓使吏員の榎本武揚を駐露公使に任命しペテルブルク(現サンクトペテルブルク)に派遣。ロシア当局との交渉で条約に調印。日本は千島最北のシュムシュ島からウルップ島(北方四島・択捉島の北隣)までの千島列島全18島を領有することになった。従来からの日本領土である北方四島と合わせてロシアの太平洋への進出を阻む狙いがあった。
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旧独領の南洋群島を委任統治へ
1919(大正8)年 第1次世界大戦の戦後処理に関するパリ講和会議で、赤道以北の旧ドイツ領南洋群島を日本が委任統治することが決まった。第1次大戦時、日本海軍はドイツ保護領だった南洋群島を占領し、軍政を敷いていた。1920年設立の国際連盟の常任理事国となった日本のミクロネシアに対する委任統治権が正式に決まり発効したのを受けて、軍政を撤廃し、統治機関としてパラオ諸島コロール島に南洋庁が創設。日本人が移住し、サトウキビ栽培、製糖、水産などの産業を興した。
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帝銀事件で平沢被告の死刑確定
1955(昭和30)年 最高裁が帝銀事件の平沢貞通被告の1・2審死刑判決に対する異議申し立てを棄却、死刑が確定。48年1月、帝国銀行椎名町支店に現れた男が赤痢の予防薬と称して青酸カリ溶液を飲ませ行員12人を死亡させ、現金・小切手を強奪した。8月に画家の平沢が逮捕され、行員の証言、小切手の裏書の筆跡などを根拠に東京地裁が死刑を言い渡した。平沢は尋問で自白したが、公判では一貫して無実を訴えた。再審請求が繰り返されるなか、87年、95歳で獄死。