今日は何の日:5月1日
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天皇が即位し「令和」がスタート
2019(令和元)年 徳仁(なるひと)皇太子殿下が「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づき第126代天皇に即位され、令和に改元された。新天皇の即位に伴う「剣璽(けんじ)等承継の儀」と、即位後初めて国民代表に会う「即位後朝見(ちょうけん)の儀」が午前、いずれも天皇の国事行為として、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
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その他の出来事
反乱の首謀者大塩平八郎が追い詰められ自害
1837年(旧暦:天保8年3月27日) 大飢饉に苦しむ庶民への救済を強訴した「大塩平八郎の乱」の首謀者・大塩が、幕府側に追い詰められ自害。大坂東町奉行所の元与力大塩は当時、隠居の身だった。再三、奉行所に救済を嘆願したが聞き入れられず、困窮した農民や町民を率いて武装決起。米価高騰で富を築いた豪商の屋敷を襲い、火を放つなどして米や金銭を奪い、貧民に与えた。大坂城の幕府軍が出動して反乱は鎮圧されたが、折からの強風で大坂の5分の1の2万戸が焼失した。元奉行所幹部が起こした反乱は幕藩体制を大きく揺るがし、地方の一揆を誘発した。
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西南戦争時、日赤の前身・博愛社が設立される
1877(明治10)年 大坂適塾などで医学を学んだ元老院議官佐野常民が、西南戦争負傷者の救護のために「博愛社」を創設。常民は戦場となった熊本の惨状を目にして、敵味方の区別なく医療を施す博愛社の創設を政府軍の総指揮官有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王に嘆願し、即日許可を受けた(文書は5月3日付)。博愛社は明治天皇から金1000円の寄付を賜るなど、皇室のバックアップを得た。87(明治20)年、「日本赤十字社」に改称。
戦後初のメーデー開催
1946(昭和21)年 「働けるだけ食わせろ」をスローガンに、労働者の祭典「メーデー」が終戦後初めて開かれた。36(昭和11)年の二・二六事件発生で戒厳令が敷かれた後、メーデーも禁止されていたため、大戦を挟み11年ぶりの開催だった。
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海上保安庁が発足
1948(昭和23)年 海上保安庁が発足。戦後旧海軍が解体されると日本の沿岸は無法地帯となり、密輸入や不法入国、海賊が多発する事態となった。再軍備への動きを封じた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)も、海の治安対策の必要性を認識。米沿岸警備隊を規範に洋上警備・救難および交通の維持を担当する文民組織として、運輸省(現国土交通省)の外局として海上保安庁が設立された。
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原因不明の脳症 水俣病公式確認
1956(昭和31)年 熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現JNC)の水俣工場付属病院長が水俣保健所に脳症状を呈する患者の発生を報告。この日が「水俣病公式確認の日」とされた。4月21日、原因不明の激しい脳症状を訴える5歳の女児が同病院を受診し、23日に入院した。