〈1969年の今日〉1月18日:東大闘争
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東大安田講堂事件
1969(昭和44)年 前年の医学部ストから発展した東大紛争は、学内に立てこもる全共闘および新左翼の学生を排除しようとする警視庁機動隊との攻防戦となり、最後の砦(とりで)となった安田講堂を8500人の機動隊が包囲。徹夜の放水と催涙弾攻撃により、翌19日夕方までに600人以上の学生が逮捕された。
安田講堂は、東大で教鞭を執っていた建築家の内田祥三、岸田日出刀が設計。安田財閥の創始者・安田善次郎の寄附により建設され、1925(大正14)年7月竣工。安田は陰徳を重んじ、匿名で寄付していたが、竣工前の1921年、蓄積した富を社会に還元しない強欲者と非難を浴び暗殺されたことから、安田をしのんで安田講堂と呼ばれるようになった。
東大紛争の後の長期間にわたって閉鎖されていたが、1990年の大規模改修工事を経て、卒業式などに使われるようになった。1996年に登録有形文化財として登録された。
他にも過去の1月18日にはこんな出来事が…
バナー写真:機動隊が突入した東大本郷キャンパスの安田講堂前でデモ行進する学生(時事)