
日の丸探査車、月面を走れ!
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日本による有人月面探査車は、「有人与圧ローバー」と呼ばれ、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と自動車メーカーのトヨタが共同で開発する。移動だけでなく、宇宙飛行士が車内で居住できる機能を併せ持つのが特徴で、開発は2025年度から本格化する。
日米は24年4月、「アルテミス計画」についての文書に署名し、日本人宇宙飛行士2人を月面着陸させることを正式決定した。実現すれば、日本は月面に降り立つ2番目の国となる。過去に例のない月面探査車の開発を担う日本の技術力が評価されたことへの見返りだった。日本は31年を目標に月面を走行する「有人与圧ローバー」を提供する。
探査の機会を広げる
有人与圧ローバーとは、月面で宇宙飛行士を乗せて走行する探査車(ローバー)の一種だ。米国のアポロ計画では、宇宙服を装着したまま搭乗するオープン型のローバー「LRV : Lunar Roving Vehicle(月面探査車)」を利用することで、人間が足で歩くよりも探査の範囲を広げた。アルテミス計画でも同様の「LTV : Lunar Terrain Vehicle(月面地形探査車)」を利用する計画だが、宇宙服(船外活動服)の着用が前提のため活動時間が8時間程度に限られるのがネックだ。
一方、有人与圧ローバーは名前の通り、「与圧キャビン」という、宇宙飛行士が中で宇宙服を脱いで生活できる空間を備えている。居住、移動の両機能を兼ね備えることで、月面着陸した地点から離れた場所へ負担なく移動でき、28日間におよぶ多様なミッションが可能になる。現在の目標は、月の歴史を解き明かす地質学的特徴や水があるとされる南極域で宇宙飛行士2人が滞在期間中に8時間の走行と船外活動(EVA : Extravehicular Activity)のサイクルを数回繰り返すというミッションの実現だ。月面では日照のない夜の時間が長く続くため、「夜間」は与圧キャビンの中で生活しつつ、地質サンプルの分析や月面活動の広報発信などを行う構想だ。
2019年時点での有人与圧ローバーの構想図。6輪走行、与圧キャビンといった基本的な部分は23年の構想図(バナー写真)と共通だが、通信アンテナや障害物検知センサー(LiDAR:Light Detection And Ranging)、微小隕石から機体を守る全面の保護バンパー、窓の形状などが変化した。新たな構想図では、側面にグレーの塗装の排熱ラジエーターも追加されている(JAXA / TOYOTA 提供)
アルテミス計画での有人ミッションの頻度は1年に1回程度と想定されている。約8時間の走行と探査作業、16時間の太陽電池パネルによる発電を繰り返す活動を地球時間の5日間単位で1クールとし、約36時間の休息を挟んで3クールほど繰り返す構想となっている。2人で必要な物資は2週間分でおよそ1トンになると考えられている。
エネルギー源となる太陽電池パネルを展開した有人与圧ローバー(JAXA / TOYOTA 提供)
かつての米アポロ計画(15~17号)では3回のLRVの走行が行われ、総移動距離は90.4キロだったが、有人与圧ローバーの目標は10年間で1万キロ。運用期間の前提が異なるものの、アポロ計画の100倍の移動距離を目指すことになる。JAXA の有人与圧ローバーエンジニアリングセンターの筒井史哉センター長は、「有人与圧ローバーは(人間が宇宙服なしで過ごせる)与圧空間を着陸船(ランダー)からかなり離れたところに持つことができる。そこを拠点に周辺の探査活動が可能となり、格段に探査の領域が広がることになる」と、その意義を強調する。
JAXA有人ローバーエンジニアリングセンターの筒井史哉センター長(秋山文野撮影)
行動範囲が広がることで、宇宙飛行士の目が貴重な発見をする可能性もある。筒井氏は「ローバーで移動する最中に『この地形はちょっと変わった地形だな』と思ったら、そこが次の探査地点になるかもしれない。臨機応変なミッション設計ができるようになる」と期待を膨らませる。
「日本らしさ」を打ち出した構想
アルテミス計画には日本だけでなく欧州宇宙機関(ESA)も参加しており、各国の「らしさ」を生かした技術が求められる。筒井氏は、開発を手掛けるローバーを「日本らしい力、強みを出せるモビリティ(移動手段)という世界初のシステム」とアピールする。
とはいえ、日本は2024年1月に小型月着陸実証機「SLIM」で初の月面着陸を果たしたばかりで、それまで月面で探査車を走行させた経験はなかった。小惑星探査機「はやぶさ2」では探査機本体から小型ロボット探査機の分離に成功したが、重力が地球の約8万分の1という小惑星と月面とでは移動方式が全く異なる。未経験の月面を走行させるモビリティを提案できた背景には、日本の自動車産業の力があった。
「月のような『重力天体』が探査の対象であることを考えれば、宇宙ではなく地上での技術をどう使うかということが重要だ。誰もが認める日本の自動車技術を打ち出していくことで国際的に納得してもらえると考えた」(筒井氏)。そして19年に構想へ手を挙げたのがトヨタだった。
月面には「レゴリス」というパウダー状の砂が広がり、岩石の露出や急な斜面などもある。温度変化はマイナス170度~プラス120度と極端だ。極限環境で走行しながら人の居住を可能にする月面ローバーには、地球上で走行する車よりもはるかに高いレベルの技術対策が求められる。地球の6分の1の重力に対応し、レゴリスへのスタック(自力で動けなくなる状態)を防ぐ走行システム、展開と収納ができる大型太陽電池パネルといったエネルギー源、高熱からシステム全体を守る排熱システムなど、クリアしなければならない課題は多岐にわたる。
走行性と居住性の両立
開発に携わるトヨタはすでに、「ルナクルーザー」と愛称をつけたローバーの6輪走行システムの開発と試験を進めている。22年度から製作を続けている試作機は、6輪全てが独立制御というこれまでにない車体だ。タイヤメーカーのブリヂストンは、月面で使えないゴムの代わりにステンレス系の金属を使用、スタック防止措置を施したエアレスの「月面タイヤ」開発で協力している。
2022年から製作が始まっている走行システム試作機(JAXA提供)
ブリヂストンが開発する「月面タイヤ」の試作品。細かいパウダー状のレゴリスでスタックしない性能が求められる(秋山文野撮影)
月面では地球と異なりGPSに代表される測位衛星が利用できないため、ローバーが「今どこにいるのか」を知ることも困難だ。そこで米欧は月の測位衛星「LNSS : Lunar Navigation Satellite System」をインフラとして用意する計画を進めており、日本も参加する。
トヨタは、高い走行性能と快適な居住性能の2つを同時に実現させることが求められている。筒井氏は「宇宙飛行士が暮らす居住スペースは、横になって眠ることはできるが広い空間ではない。約1カ月単位のミッションの中で、クルーにはできるだけ快適に過ごしてほしい。無機質でドライな空間ではなく、例えば2人の宇宙飛行士がプライバシーを守りつつ相手を拒絶しないで済むような、人間にとって気持ちの良い空間を検討してくれると期待している」と話す。
25年度から設計や実証機製作、各種試験が本格化する。アルテミス計画では、第3段階の「アルテミスIII」で有人月面着陸の再開、「アルテミスV」でLTVのミッション開始が予定されている。有人与圧ローバーの出番は第6段階「アルテミスVI」以降になる。30年代、これまでに見たことのない月面の景色が「日の丸ローバー」から届けられるかもしれない。
バナー写真:日本が開発を進めている月面有人与圧ローバーの構想図=2023年(JAXA / TOYOTA 提供)