伝説となったイチロー 米国ファンの価値観変えたスタイル

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米大リーグのマリナーズなどで活躍したイチローが米野球殿堂入りを果たした。米球界を席巻し続けた希代のプレーヤーを取材してきた記者が、その「伝説」を証言する。(敬称略)

反感持つ記者さえ認める実績

最高のフィナーレだった。イチロー(マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)は、声援に応えるようにしてグラウンドを1周。二塁ベース付近まで歩き、帽子を取ってファンに別れを告げた。2019年3月21日に東京ドームで行われたアスレチック戦でのことである。

「引退」の余韻冷めやらぬ中で、旧知の米記者がイチローを批判したSNSの書き込みを読んだ。そこにはこうあった。「イチローには裏表があり、実績は申し分ないが人間としてはどうか。彼はいずれ米野球殿堂入りすることになるだろう。しかし自分は(イチローへの)投票を見送る」

殿堂入りを決める投票は、全米野球記者協会(BBWAA)に10年所属する記者に権利が与えられるが、記者引退後10年でそれが消失する。今回の投票で、あの記者はどうするのか? 結果発表を前に連絡を取ってみると、彼は引退後10年が過ぎて投票権を失っていた。まだ投票資格があったらどうしたか尋ねると、意外にも「人間としては今も好きになれない。でも、(イチローに)1票入れるだろう」と答えた。非常に頑固な記者だったが、最終的にイチローを認めざるを得なかったのだ。

新記録でよみがえる過去の名選手

イチローの実績はやはり圧倒的だ。米スポーツ専門サイト「ジ・アスレチックス」の記者、ジェイソン・スタークは、「(イチローに)投票しない理由が見つからない」と話す。10年連続年間200安打だけでも大リーグ記録だが、ここに10年連続ゴールドグラブ受賞が加わる。「両方を合わせた場合、その半分の5年連続ですら、過去に達成した選手はいない」とスタークは指摘する。

イチローが残した主な記録

  • 大リーグ通算3089安打(大リーグ25位)
  • 日米通算4367安打(プロ最多)
  • 10年連続200安打(大リーグ1位)、ゴールドグラブ受賞、球宴出場
  • シーズン最多安打(262安打、大リーグ1位)
  • 2001年 リーグMVP、新人賞、首位打者、盗塁王

*筆者作成

長年シアトル・タイムズ紙でコラムニストを務め、2001年の大リーグデビューからイチローを取材してきた記者、ラリー・ストーンは、「どこをどう切り取っても、彼は殿堂入りにふさわしいが、262安打のシーズン最多安打は過小評価されている」と語り、04年の大リーグ記録を挙げた。「ジョージ・シスラーの84年も破られなかった記録を更新し、今後も破られないだろう。記録に近づく選手がいないので話題にならない。それがまた、この記録のすごさを教えてくれる」

ストーンの同僚でマリナーズの番記者だったボブ・シャーウィンは、「10年連続のシーズン200安打は、通算3000安打より難しい記録だ」と話す。「大リーグで一番難しいのは、安定して長く活躍すること。年間200安打は、年間で1人出るかどうか。10年も続けたというのは信じられない」

シーズン262安打目を放つイチロー選手。大リーグ記録を84年ぶりに更新した=2004年10月3日、米シアトル(REUTERS/Andy Clark)
シーズン262安打目を放つイチロー選手。大リーグ記録を84年ぶりに更新した=2004年10月3日、米シアトル(REUTERS/Andy Clark)

昨季200安打に到達したのは2人だけ。21年以降は4人だ。ルイス・アラエズ(パドレス)が2年連続で達成したが、昨季は最終戦でギリギリ大台に乗せた。10年連続200安打というのは、ウィーリー・キーラー(オリオールズなど)が1894年から1901年まで9年連続で達成した記録を更新したものだが、100年以上も前の記録が対象となること自体、異例だった。

このようにイチローの記録はしばしば、過去の名選手の業績を人々に知らしめた。イチローは2016年には5月21日からの3試合で、13打数10安打をマーク。42歳以上の選手が3試合で10安打以上を記録したのは、1894年8月にキャップ・アンソン(当時コルツ、現カブス)が記録して以来122年ぶりだった。それが大リーグで初めて3000安打をマークしたのはアンソンだと知るきっかけにもなるのだが、彼の時代には四球が安打としてカウントされたこともあるそうだ。

パワー重視の概念を変えた

イチローの大リーグデビュー当時は、大きな身体で本塁打を狙う野球が主流。筋肉増強剤の使用がまん延したが、大リーグ機構は規制に腰が重かった。1994年から95年にかけてのストライキでファンが離れ、その回復にマーク・マグワイア(カージナルス)、サミー・ソーサ(カブスなど)らの本塁打争いが一役買ったからだ。

当時、二塁ゴロが内野安打になることは、大リーグの常識では考えられなかった。イチローの打球がショートに転がると、それだけでファンは腰を浮かせた。加えて、走塁、守備において頭を使った野球を実践した。当時、外野のコーナー(左翼、右翼)を守る選手への期待は、長打を打てばいいという程度で、守備は当てにされていなかった。ところがイチローは右前安打で一塁から三塁を狙う走者を「レーザービーム」と呼ばれた送球で刺し、玄人ファンをうならせた。

マーリンズ時代のイチローを取材したマイアミ・ヘラルド紙の元記者、スペンサー・クラークは「イチローは、子供のころに見たピート・ローズら往年の選手のスタイルを思い出させてくれた。イチローのベースボールIQは本当に高く、『ボーン・ヘッド・プレー』(判断の悪い間抜けなプレー)を見た記憶がない。どんな選手だって1度や2度はあるはずなのに。野球を知り尽くし、その楽しさ、難しさを思い出させてくれた」

陰口を乗り越えて

イチローが自らを強く追い込んだ原動力は何だったのか? 2008年7月30日に日米通算3000安打を達成した際のインタビューで尋ねると、彼はこう語った。「人のことを見て学ぶことが多い。人の行動を見ていると、気になることがたくさん見えてくる。それを自分に生かすというやりかたで、今の自分があるような気がする」

だが、真摯(しんし)さを貫いて記録を積み重ねることへの反動は小さくなかった。勝てないチームでシーズン最後まで高いモチベーションを保つには、記録達成が支えになった。だが、周囲からは「イチローは個人記録にしか興味がない」といった陰口をたたかれた。

苦悩は当然あった。08年のインタビューでは「マイナスの空気が皮膚から入ってくる。負けているチームには、足を引っ張ろうとする人がいる。引っ張られないようにとは思っている。それには結果を出していくしかない」と漏らした。記録を達成しても球場の電光掲示板で紹介するのをやめるよう球団に依頼したこともある。

10年に10年連続200安打を達成したとき、チームメートから心からの祝福を受けた。このとき、何かが氷解したという。「喜んで良いんだなと思いましたね。(陰口は)トラウマだったから」。そして、殿堂入りを受けて1月21日に行われた会見。イチローは球団職員から「イ・チ・ロー」コールで迎えられた。多くの人であふれた会見場には、立ち見のメディアに交じって元チームメートのジョン・オルルド、元球団社長のチャック・アームストロングらの姿があった。再び旧知の人々に祝福されたイチローは、苦悩を乗り越えた者だけが見せる穏やかな笑みをたたえていた。

野球人としての新たな道

イチローは現在、シーズン中はマリナーズでインストラクターとして若い選手らと汗を流している。日本では高校野球の指導、女子野球の普及にも力を入れる。現役を離れ、今の野球界をどう見ているのか。

イチローは、大リーグの過度なデータ依存に対して危機感をたびたび表明している。2015年にSTATCAST(大リーグ独自のデータ解析ツール)が導入され、打者のスイングスピード、打球初速、打球角度など、肉眼では分からないことが数値化されるようになった。投手なら投球の回転数、ボールの縫い目の影響などだ。それを受けて選手評価の物差しも変わってきた。次に紹介するのは、17年7月のインタビューでのイチローの言葉だ。

「スイングスピードや打球スピード(のデータ)なんて、何の役にも立たないことは選手は分かっている」。スピードが速ければいいのか。それだけで安打を打てるのか。ファンが楽しむのにはいい。否定はしない。だが、選手評価のツールとなることには抵抗があった。

「2アウト三塁で、速い球をショートの後ろに詰まらせて落とすという技術がある。でも今の大リーグでの評価は、チームによってはそこで1点が入ることよりも、球を真芯で捉えたセンターライナーの方が評価が高い。ばかげている。野球が頭を使わない競技になりつつあるのは憂うべきことだ」

イチローが嘆くのは、データの使い方についてである。データだけにとらわれるのは本末転倒なのだ。「(スイングスピードを速くするだけなら)頭を使わないやつにもできる」とイチローは語る。

いまイチローが大リーグにデビューしていたら、どんな選手になるか? 誰よりも数字の持つ意味を正確に解釈し、投手のデータ活用においてはトレバー・バウアー(レッズなどで活躍したサイ・ヤング賞投手)がパイオニアであったように、打者のスタンダードをつくるに違いない。だからこそ、イチローが指導者としてデータ活用に正しい道筋をつけるのを見たい。データと、数字だけでは測れない部分とをどのように連動させ、化学反応させるのか。その解決は、イチローという野球人が後世に残す新たな功績になるだろう。

バナー写真:米野球殿堂入りを受けて記者会見するイチロー氏=2025年1月21日、米ワシントン州シアトル(AFP=時事)

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