ロッテ・佐々木朗希に早期の米国移籍を促したものとは?─揺らぐ日本球界の存在感
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「25歳未満」のマイナー契約であっても
佐々木が米球界への挑戦を堂々と宣言したのは、2024年11月17日のファン感謝デーでのことだ。「球団に後押ししていただき、メジャーに挑戦することになりました。これまで頂いた熱いご声援、厳しい激励も力に変えてアメリカで頑張っていきます。本当にありがとうございました」。まだ交渉さえ始まっていない段階での明確な意志表示だった。
20年に岩手・大船渡高からロッテに入団。1年目は体力強化のために1試合も登板せず、2年目以降は3勝、9勝、7勝、10勝を挙げて通算成績は29勝15敗。昨年、やっと2桁勝利を挙げ、投手陣の柱に定着し始めたばかりだ。
潜在能力は折り紙付きだ。22年には20歳5カ月の史上最年少で完全試合を達成し、1試合19奪三振の日本プロ野球タイ記録も打ち立てた。23年は日本選手最速に並ぶ165キロの速球をマーク。だが、故障や疲労で登録を抹消されるケースも目立ち、シーズンを通して活躍したことはない。
米球界には通称「25歳ルール」と呼ばれる海外選手との契約に関する規定がある。25歳未満またはプロ6年目未満の海外選手を獲得する際、米大リーグの各球団は選手に支払う契約金や年俸の総額を制限される。
もともとは中南米の若手選手の青田買いや契約金の高騰を防ぐために作られたルールだ。日本や韓国などアジアの選手にも適用され、佐々木もその対象となる。選手はマイナー契約しか結べず、最初は3Aや2Aなどマイナーリーグからのスタートとなる。これまで所属していた球団への譲渡金も限定的だ。
ロッテが容認した背景には……
日本野球機構(NPB)の規定では、海外に移籍するフリーエージェント(FA)の権利を行使できるのは、入団9年を経過した選手に限られる。しかし、FAで移籍すると、日本の球団は利益を得られない。このため、FA権取得の前年に移籍を容認し、ポスティング(入札)システムという制度に基づいて移籍先の米球団から譲渡金を受け取るケースが多い。
少なくとも佐々木が25歳になるまで待てば、米球団とメジャー契約を結ぶことができ、ポスティングでロッテにも多額の譲渡金が入る。だが、ロッテは球団の利益やチームの強化よりも佐々木の希望を尊重し、早期の移籍を認めた。
「佐々木朗希の目線で考えれば、米球界への挑戦がロッテに容認されたことはめでたいことだろう。しかし、ロッテ目線で考えれば、日本一を目指し、チームを作り上げていくことが大前提のはず。日本一になるために球団経営しているのではないのか。チームを応援している人はどう思うのか」と自身のYouTubeチャンネルで疑問を投げ掛けたのは、ロッテOBの野球評論家、里崎智也氏だ。
佐々木の希望が尊重された背景の一つには、メジャーリーグでの経験を持つ吉井理人監督の存在が考えられる。ファン感謝デーでは「来シーズンから、マリーンズを飛び出して、高みに挑戦する選手がいます。朗希です」とあいさつ。チームを率いる指揮官が、何よりの理解者であったといえる。
吉井監督はロッテを指揮する前の2014年から2年間、筑波大の大学院に通い、コーチング理論を学んだ。師事したのは、野球の動作解析で日本を代表する研究者、川村卓准教授(現教授)だった。
不思議な縁だが、佐々木を大船渡高で指導した国保陽平監督(現盛岡一高野球部副部長)も、学生時代に筑波大で川村氏に指導を受けていた。つまり、吉井氏と国保氏は、野球理論で名高い研究者の門下生なのだ。
物議を醸した高校3年夏の登板回避
思い出されるのは、2019年夏の全国高校選手権岩手大会だ。決勝まで勝ち進んだ大船渡高のエース、佐々木は35年ぶりの甲子園出場がかかった花巻東高との試合に登板せず、チームは大敗を喫した。準決勝までの4試合で計435球を投げていた佐々木の温存について、国保監督は「3年間で(この試合が)一番壊れる可能性があると思った。故障を防ぐためです」と説明したが、世間では物議を醸したものだ。
川村氏が提唱しているのも、目の前の勝利にのめり込むのではなく、選手の将来をつぶすような起用は絶対に避けるべきという指導だ。川村氏は自著『監督・コーチ養成講座』の中で「私の理念はエリートを作ること」と書き、「弱者を救えるような人間=エリート」として、成長した選手がいつか社会に貢献することを目指しているという。世の中に影響を与えるような逸材は、より大切に育てなければならない。吉井監督もその考えを受け継ぎ、佐々木を「未完の大器」のまま米国へ送り出すのだろう。
代理人、ウルフ氏の言葉にヒントが
佐々木の早期移籍を理解するには、もう一つの「鍵」がある。昨年12月、米球団のゼネラルマネジャー(GM)らが一堂に集まるウインターミーティングの後、佐々木の代理人を務めるジョエル・ウルフ氏が語った言葉にヒントがあるのではないか。スポーツニッポンなどの記事によれば、大勢の報道陣を前にこう述べたという。
「彼(佐々木)の人生で起きたいくつかの悲劇を見れば、彼は何事も当然のことだと思っていないことが分かる。彼は世界をとても違った目で見ていると思う」
「悲劇」が14年前の東日本大震災を指すことは間違いない。当時9歳の佐々木は予期せぬ災害により、父親と祖父母を亡くした。そのことが、今回の決断に影響しているというのだ。ウルフ氏はさらに続けた。
「朗希の観点では野球にも人生にも絶対的なものはない。だから、彼に『2年後に3億~4億ドルの契約が取れる』とは言えない。朗希を説得できる人は誰もいない。彼が私たちを説得する。彼は自分で自分の船を操縦し、彼がボスだ」
大切な肉親を突如失った佐々木には、何より「今」を大切にしなければならないという強い意志があるに違いない。数年後の契約金額や所属球団への恩義を先に考えるのではなく、メジャーのマウンドに立てるチャンスがあるのなら、一歩を踏み出すしかないという覚悟だ。
「世界で最も才能のある投手の1人」と米メディア
大谷翔平が日本ハムからエンゼルスに移籍した時も、23歳でのマイナー契約だった。投打の「二刀流」で日本ハムの日本一に貢献し、史上初となる投手と指名打者の両部門でベストナインを受賞。パ・リーグの最優秀選手にも選出された。日本で十分な実績を積んだ上での移籍だった点は佐々木と異なるが、世界を代表するスーパースターに成長した今の大谷を誰が想像できただろう。若い選手の可能性は計り知れない。
大谷ら日本選手の活躍を踏まえ、米メディアも佐々木に高い期待を寄せている。著名なスポーツライター、ジェフ・パッサン記者が、スポーツ専門局ESPNのサイトで「世界で最も才能のある投手の1人だ」と評するなど、佐々木の移籍は今冬のストーブリーグで屈指の注目を集めている。
1月15日からは米球団との契約が可能な期間に入る。昨年末からの交渉を経て、佐々木の入団するチームがいよいよ決まる。大谷のように、トップスターが集まる舞台で羽ばたく姿を早く目にしたいものだ。
一方、メジャーの注目度が高まることに対し、日本のプロ野球には焦りや危機感がのぞく。昨秋、日本シリーズを生中継している同時間帯に、大谷が出場したワールドシリーズのダイジェスト番組を放送したフジテレビの日本シリーズの取材証を、NPBが没収した一件は、そのことを象徴している。「大谷一色」のスポーツ報道が示すように、日本球界の存在感は揺らいでいる。
今後もメジャーの舞台を目指す有望選手が相次ぐことだろう。シーズン56本塁打の日本選手最多記録を持つヤクルトの主砲、村上宗隆も、今季終了後には米球界に移籍する考えを表明した。グローバルな環境の中で、将来の日本球界をどう位置付けていくべきか。移籍の制度も含め、改めて考えるべき時期に来ているのではないか。
バナー写真:ファン感謝イベントであいさつするロッテの佐々木朗希投手(左)と吉井理人監督。佐々木はこの催しで米国に移籍する意向を明らかにした=2024年11月17日、千葉・ZOZOマリンスタジアム(時事)