日本の避難所いつまで雑魚寝:能登半島地震でも課題「生活の質」、台湾に学ぶ民間主導型

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災害大国・日本の被災地における、避難所の環境に改善を求める声が強まっている。1年前の石川県を中心とする能登半島地震では学校の体育館などでついたてのない状態で床に寝る避難者の姿が多くみられ、改善が進まない実態が指摘された。プライバシー確保も含め避難環境が整備された4月の台湾東部沖地震などと比較し、日本の構造的な問題点も指摘されている。

段ボールベッドは被災3週目

2024年1月1日の能登半島地震。発災直後、体育館や公民館に身を寄せ、冷たい床に横たわる避難者の姿が伝えられた。隣の人とのスペースを区切る仕切りもない。1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災でも指摘された課題点が今回も見られた。

最大5481人が避難した能登町の報告書によると、学校体育館の避難所への段ボールベッドの一斉導入が決まったのは地震発生10日目の1月10日。避難所ではインフルエンザや新型コロナウイルスの感染も起きていた。実際に段ボールベッドが全体に導入されたのは発災から3週間目に入った1月16日。それでも能登の被災地では一番早く、他の被災自治体はさらに対応が遅れた。

政府は東日本大震災などを教訓に、既に16年には避難所運営のガイドラインなどを整備。雑魚寝ではなく、ついたて付きの段ボールベッドを避難所に配置し、床からの冷気やほこり、感染症やエコノミー症候群を防ぐことを提唱していたが、今回の能登半島地震では実現できないケースが目立った。

「レイアウト定められず」「資材活用されず」

政府検証チームが6月にまとめた「能登半島地震に係る災害応急対応の自主点検レポート」は、次のように今回の対応の問題点を指摘している。

「避難所開設の際にレイアウトが定められていない、パーティションや段ボールベッド等の簡易ベッドが設置されていない、避難所に土足で入るなど感染対策が十分でないといった事例がみられた」

「発災直後から3200個のパーティション、7000個の段ボールベッドをプッシュ型で支援したものの、必ずしも活用されなかった事例が見られた。サイズや耐久性などさまざまなものがあり、現場の判断で使用サイズを選別する事例も見られた」

プッシュ型とは、現地が混乱して必要な物資を要求できないことを想定し、支援者側の判断で物資を届けることだ。

滞った支援物資、配送システム活用できず

政府などがその「プッシュ型」で食料、燃料、生活用品を含め物資を被災地に送り込み始めたのは発災翌日の1月2日からだ。

だが、政府検証チームの「自主点検レポート」は事後検証で、「発災直後に避難所によっては食料などの物資が不足した事例がみられた」とした。実際、1月3日の読売新聞電子版は、輪島市の坂口茂市長が会議で「1万人の避難者に対し、物資は2000食しか届いていない。水、食料が足りない」と窮状を訴えたことを伝えている。

能登半島地震の避難所で食事や水の配給が未定であることを知らせる掲示板=2024年1月2日、石川県輪島市(共同)
能登半島地震の避難所で食事や水の配給が未定であることを知らせる掲示板=2024年1月2日、石川県輪島市(共同)

甚大な被害があった地域は能登半島の先端エリアにあり、県庁所在地の金沢と能登半島とを直結する自動車専用道路「のと里山海道」などが寸断。都市からの輸送ルートが消失し供給網が滞った。当初は自衛隊のヘリなど大量の輸送が難しい手段を使わざるを得なかったという面もある。

ただ、配送時の混乱やシステムの周知や訓練の不足も物資不足を助長したようだ。「自主点検レポート」によると、全国からの物資は一度、広域物資輸送拠点となった石川県産業展示館(金沢市)に集められたが、パレット積みとしてまとまっていなかったためフォークリフトが使えず、人力による荷揚げ・荷下ろしとなり、時間を要した。支援物資の分配は当初、手書きの紙を写真に撮り、メールで共有するなどのアナログな手法で行われていた。事前に準備したネット上のニーズ把握、在庫・分配管理システムが稼働したのは1月5日になってからだった。

能登では2007年にも大規模な地震が起きており、外部からの供給が途絶える中で避難生活を乗り切る必要性は認識されていたが、実際の混乱状況の中では教訓を生かすのは難しかったようだ。

台湾では発災2時間で避難テント

能登と比較されたのが2024年4月3日に起きた台湾東部沖地震への対応だ。

被災の中心となった花蓮県ではマグニチュード7.2の強い地震に見舞われ、18人が死亡、1155人が負傷した。

地元の花蓮県政府の対応は早かった。地震発生後1時間以内にメッセージアプリ「LINE」で関係者の連絡ネットワークを確立。避難所スペースを開放し、発災2時間後には民間団体がプライバシーに配慮したテントを避難所に設営し、避難者に提供した。

台湾・花蓮の地震の後、小学校に設けられた臨時仮設避難所で休む人々。テント型でプライバシーを守った方式の避難所を迅速に準備し。注目された(AFP=時事)
台湾・花蓮の地震の後、小学校に設けられた臨時仮設避難所で休む人々。テント型でプライバシーを守った方式の避難所を迅速に準備し。注目された(AFP=時事)

避難所は冷房が効き、温かい食事なども提供。行政対応窓口や無料Wi-Fi、スマートフォンなどの充電サービス、無料アロママッサージ、無料クリーニングなどが利用できる環境を整備した。子どもが遊ぶスペースにはゲーム機も用意した。

避難所の環境整備は、仏教系の「慈済基金会」などの民間団体が機動的に動いた。慈済基金会は災害対応の専門ボランティアを擁して事前準備を進め、災害があれば国内外を問わずすぐに駆け付ける体制を整えている。この団体が外国の専門工学博士と協力して開発した「プライバシーに配慮したテント」は、上部が空いているものの四方が囲われる構造になっていて、一つのテントは1分で完成できる。内部には2台のベッドとテーブルと椅子のセットを装備。慈済基金会の劉鈞安・広報部責任者は「テントによりプライバシーが保たれ、避難者の話し声が小さくなった。避難所では心の安全が何よりも大切です」と語る。

6年前の反省生かし「速度重視」

迅速な対応ができた背景には、17人が命を落とした2018年の花蓮地震の反省がある。

花蓮県の楊玉如科長は当時、政府側が緊急開設した避難所が大混乱したことを思い出す。「不安を抱えた人々が避難所になったスタジアムに押し寄せ、雑魚寝になり、非常に騒がしかった」。当時、医師として災害対応に当たった花蓮県の朱家祥衛生局長は「6年前は全てが混乱していた。災害救援の手順をよく知らない人ばかりで、入院患者向けの紙の問診票に記入するのにも時間がかかり、多くの問診票がぬれて汚れてしまった」と振り返る。

2018年2月の台湾花蓮地震で開設された避難所。簡易ベッドはあるが、仕切りは未整備(鄭仲嵐撮影)
2018年2月の台湾花蓮地震で開設された避難所。簡易ベッドはあるが、仕切りは未整備(鄭仲嵐撮影)

6年前の地震ではボランティア団体も全国から押し寄せ混乱した。人員を配置する専任の担当者がいなかったため、被災者の支援につなぐまでに多くの時間がかかったという。

この教訓を受け、花蓮県政府は「被災者に対する災害救助強化の実施要項」を改訂。災害後の通報の区別や責任、コミュニケーションの方法などを定めた。

最重要課題に位置付けられたのは「対応速度」。訓練では、行政だけでなく民間組織の役割も明確にし、いざという時に備えた。

それが今回の地震で、プライバシー配慮型テントの展開や民間団体による精神的なケアも含めた多様なサービス、温かい食事、バーコードによる被災者の病歴管理と人工知能(AI)による病理診断など、避難者向け支援の迅速な提供につながったという。災害時に支援が重複しないように調整する民間の「アドバイザー」の配置も効果的だったとされる。

台湾東部沖地震と能登半島地震は、規模も地域の特性も異なり、単純比較はできない。それでも、日本の課題を見い出すためにも台湾の取り組みとの比較は重要だ。

トップダウン、民間活用、情報共有

台湾の防災対策を研究テーマのひとつとしている兵庫県立大学の青田良介教授によると、台湾における対策には3つの特徴が見られた。

それは(1)トップダウンによる迅速な対応(2)民間の特色を生かした支援(3)クラウド上に構築した横断的な情報共有の仕組みだ。

まず(1)の行政トップの動き。花蓮県はトップの県長や幹部らが発災直後から被災現場や避難所を視察。状況を共有しながら、災害対策本部で対策を決定していった。中央政府も発災当日午後に副総統(副大統領)が現地入り、2日目には行政院長(首相)が被災者を前に支援方針を発表した。

台湾・花蓮の地震の後、支援物資を準備する救助隊員=2024年4月5日(AFP=時事)
台湾・花蓮の地震の後、支援物資を準備する救助隊員=2024年4月5日(AFP=時事)

青田教授は「部下から情報が上がるのを待つ首長だと、即座に対応できなくなる。自ら現地に赴き被災者と接することで事態を認識し、既存の方針にもとらわれず、即座にニーズに対応しようとする。被災者への励ましにもつながる」と指摘する。

次に(2)の民間による支援。台湾では従来から慈済基金会などの民間団体が、災害対応に関する経験やノウハウを蓄えており、今回も行政の指示を待つことなく、民間ならではの対応をスタート。避難所のテント設営や避難者の心のケアを実施した。

そうした民間団体に行政から支援を要請する仕組みも構築され、生かされた。日常的に自治体と民間側が顔を合わせ、災害時の避難訓練や研修を実施。どのボランティア団体がどんな支援を提供できるかを行政が事前に把握した。民間団体はそれぞれの得意分野を生かす。避難所には精神的なカウンセリングや食事、マッサージサービスの提供など多様なメニューが並んだ。

一方、日本では現地の社会福祉協議会がボランティアの受け入れの窓口を担うのが通例となっている。能登地震も含め、被災地の状況が落ち着くまで自粛を求めることが多く、支援が手詰まりとなることも多い。

(3)のクラウド上の情報共有の仕組みは、台湾ではEMICと呼ばれる。中央政府の各省庁、県、市町村など行政間の情報共有はもちろんのこと、一部はマスメディアや支援団体、市民などにも開放されている。これにより、末端の避難所で起きた問題や国の動きなどを照会することなく把握できる。青田教授によるとこうした情報のオープン化が、迅速な対応につながった。

内閣府によると、日本政府の支援物資に関する情報共有システムを利用可能なのは行政関係者だけ。能登半島地震では、行政関係者にも使い方が周知されていなかった。

改善に動き出した日本

内閣府は能登半島地震1年を前にした2024年12月、災害時の避難所の寝食やトイレの環境を改善するため自治体向けの指針とガイドラインを2年ぶりに改定した。能登半島地震で避難所の環境が問題となったことなどを受け、政府として改善を迫られた格好だ。

具体的には、災害時にも人道的な環境を確保するための国際基準「スフィア基準」を踏まえ、「20人に1基のトイレ」「1人3.5平方メートルの居住スペース」といった数値を明確にした。また段ボールベッドなどの備蓄、キッチンカーの活用など食事の質の確保、仮設風呂など生活用水の確保なども記した。

坂井学・内閣府防災担当相は会見で、「全国どこで災害が起きても、同等の避難所の環境が確保できるよう、環境改善を全国レベルで進めていきたい」と述べた。石破茂首相は12月24日の記者会見で「人権を基本に置いたスフィア基準を踏まえ、避難所の環境改善を強力に進めるべく、防災庁の在り方も具体的に検討を深めていく」と決意を語った。

ただ、避難所の運営は、市町村の担当事務で、実際には現場の状況に合わせて対応することになる。能登半島のような過疎が進むエリアでは、自治体は予算、職員ともに十分な状態ではない場合が多く、緊急事態時のスムーズな対応はハードルが高い。

能登半島の自治体関係者からは「1年前の能登半島地震では、住民だけでなく正月の帰省者も避難所に押し寄せ、取りあえず雑魚寝してもらった面もある。避難所の状況はさまざまで、ガイドラインを整備したところで、その通りに実施できるかどうかはわからない」「地域によっては住民の結束が固く、仕切りやテントは必要ないという声もあり、状況に応じた対応も重要」との指摘もある。

坂井担当相は「非常時は混乱の極みにあると想定される。場所によっては基準を満たすような環境をつくれない所も想定はされる。しかし、最善の対応ができるよう事前に訓練やさまざまなトレーニングをしていただきたい」と述べた。

民間の生かし方焦点

青田教授は「政府がきめ細かなガイドラインを作っても、手ほどきなしに避難現場で実践できるとは限らない。日本は主に行政が避難所の運営を担う形式だが、経験やノウハウがないと支援に融通が利かなくなる。避難所の環境改善に向けて台湾から学ぶべきことは、自治体職員が丸抱えするのではなく、民間の力を活用できるよう連携し訓練を重ねることだ」と話している。

バナー写真:能登半島地震で避難所となった小学校の体育館で過ごす人たち。被災から時間がたっても十分な生活環境が整わなかった=2024年1月12日、石川県輪島市(共同)

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