京都国際高校の校歌:日韓の隣人関係考える糸口に
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8月23日の第106回全国高校野球選手権大会決勝戦。阪神甲子園球場の三塁側アルプススタンドに用意された京都国際分の2800席は、すべて埋まっていた。
主催者側が当初、割り当てた応援席は1600席だったという。京都国際は、生徒数がわずか138人の小さな男女共学の高校でしかない。家族や卒業生がいくら駆けつけたとしても、1600席さえ埋めるのは難しいと考えられていた。
だから生徒数2400人という対戦相手の関東第一とは、応援団の数でそもそも比較にならないはずだった。ところが、京都国際の応援席は最終的に2800席まで増やされた。大勢の京都の小中高生たちが、地元の高校を応援しようと甲子園に集まったからだ。
三塁側で目を引いたのは、赤いユニホームを着た80人あまりのブラスバンドだ。京都国際の生徒ではなく、近隣にある京都産業大付属高の吹奏楽部だった。女子生徒が主軸のブラスバンドは、炎天下で続いた2時間の試合中、トランペットを吹き、太鼓をたたいて選手たちを応援した。
今夏の京都大会で京都国際に初戦で惜敗したライバル校、京都成章の野球部員たちもスタンドで応援した。京都から来たという小学4年男児は「10人くらいの友だちと電車で来ました。野球の練習を頑張って、京都国際に絶対入ります」と話していた。日本人だけではない。スタンドにはソウルのヤンチョン中学の野球部員15人の姿があった。
「野球は偉大だ」と尹大統領
2800人が詰めかけた応援席は、「反日」や「嫌韓」とは無縁だった。京都国際の優勝を願う気持ちだけがそこにあった。0対0でタイブレークになった延長十回表、京都国際が押し出し四球と犠牲フライで2点を奪った。後攻の関東第一に1点を返されたものの、最後は2死満塁から左腕の2年生エース、西村一毅が空振り三振で勝負を決めた。球場には「東の海を渡りし大和の地は」で始まる韓国語の校歌が響き渡った。今夏の甲子園で6回目の校歌斉唱だ。
京都国際の優勝が報じられた直後、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は「野球を通じて韓日両国がもっと近しくなるといい。野球はやはり偉大だ」とフェイスブックに投稿した。応援席には、韓国を代表する知日派の朴喆熙(パク・チョルヒ)駐日大使が陣取っていた。
韓国最大手の朝鮮日報は24日朝刊1面に「韓日合作の『奇跡のドラマ』だ」という見出しの記事を掲載した。さらに私は5面のすべてを使って、「韓国が建てた学校で日本選手がやってのけた『甲子園神話』」と書いた。これだけ多くのスペースを割いて報道した理由は、これからの韓国と日本がどんな隣人同士であるべきかという答えの糸口を京都国際の活躍に見たからだ。
ルーツは在日の民族学校
京都国際のルーツは、1947年に在日韓国人たちが資金を出して設立した民族学校「京都朝鮮中」だ。90年代に財政難に見舞われ、学生数が激減したため、韓国の外交通商省(現外務省)や在日大韓民国民団などと協議のうえ、日本の学校への転換を決めた。2003年に日本の学校教育法第1条が定めた学校として認可を受け、翌年から日本人生徒を受け入れて校名を京都国際中高に変えた。
現在は中学生を含む在校生159人の7割が日本人だという。スタンドにいた2年の男子生徒は「京都国際が初めて甲子園に出た2021年の試合を観て入学した。グラウンドの仲間も、ベンチの選手も、応援席の私たちも心を一つにして戦った」と話した。
この学校にはストーリーが多い。自前のグラウンドは左翼方向70メートル、右翼方向60メートルしかなく、フリーの打撃もできない。しかも男子生徒が全校で約70人しかいない学校の野球部が優勝したというのは、読者の目を引く。
一部の日本人は、NHKの野球中継で韓国語の校歌が流れたことに否定的な反応を見せたという。X(旧ツイッター)には「京都国際の高野連除名を求める」「やっぱり韓国語の校歌は不快だ」というような投稿がなされた。これに対し、京都府の西脇隆俊知事は23日の記者会見で「差別的な内容などが含まれる4件についてソーシャルメディアの管理者に削除を要請した」と明らかにした。
一部の韓国人も変わらない。京都国際の校歌には韓国語で「東海(トンヘ)のうみ」という表現があるが、NHKが日本語字幕を「東海」ではなく「東の海」としたことを批判する投稿が少なくなかった。韓国で「東海」は、日本の「日本海」を指す。
こうした条件反射のような反応の背景には、民族感情があるのかもしれない。さらに慰安婦や徴用工のような過去の問題が絡むと、双方の世論は特定の政治勢力に悪用されもした。安倍晋三首相と文在寅(ムン・ジェイン)大統領の時代には、民主主義の価値を共有し、急変する国際政治の中で同じ立場にあるだけでなく、人口減少などの似通った社会問題を抱えるにもかかわらず、両国は極端な対立関係に陥った。「ノージャパン(日本製品不買運動)」や「半導体素材の輸出制限(韓国半導体メーカーへの日本製素材輸出の一部制限)」のように、互いの国益を損なうことが自国内での政治的な支持固めに使われるようなことも起きた。
しかし、京都国際の野球部員たちにとって「校歌」は文字通り学校の歌に過ぎなかった。野球部員のほとんどは日本国籍で、ベンチ入りした選手では「1番・レフト」の金本祐伍(3年)が唯一の韓国系だった。
スポーツ専門誌「Number」のオンライン版にノンフィクションライターの中村計氏が書いた記事によると、その金本にしても校歌について「僕はいちおう歌えますけど、意味はまったくわからないです。ずっと日本に住んでるんで、韓国語はぜんぜんわからないんですよ。こういう学校なんで、(韓国に)興味あるんだろうみたいに思われるかもしれませんけど、正直、特別な意識はないです。僕は野球をやりにきているんで」と話しているという。
甲子園に京都国際の校歌が流れた時、関東第一の一塁側アルプススタンドからも拍手が沸き起こった。校歌が韓国語か、日本語かで、拍手するかどうかが変わるわけではないだろう。それは純粋に、京都国際の選手たちが野球のために流した汗に敬意を示す拍手だった。
バナー写真:高校野球、夏の甲子園大会で初優勝を果たし、校歌を斉唱する京都国際の選手たち=2024年8月23日、甲子園(時事)