つば九郎、ドアラはデビュー30年:個性豊かなプロ野球のマスコットたち
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独特の存在感を示すつば九郎とドアラ
夏本番を迎え、連日熱戦が繰り広げられている日本のプロ野球(NPB)。鍛え抜かれた一流選手たちの真剣勝負の舞台において、ファンのみならず選手たちの癒やしとなり、同時に球場内を大いに盛り上げる存在、それが球団マスコットだ。球団ごとに複数のマスコットがいて、それぞれが個性を発揮している。
中でも独特の存在感を示しているのが、2024年にデビュー30年を迎えたヤクルトのつば九郎(バナー写真の後列右端)と中日のドアラ(同写真の前列左端)である。両者ともにファンに向けて直接しゃべることはないけれど、代わりにスケッチブックによる筆談で自らの思いを伝えている。愛くるしいルックスとは裏腹に、時には毒を吐き、時にはシニカルに、メディアやファンとコミュニケーションを図っているのだ。筆談ながら雄弁に語り続ける「フリップ芸」は、すっかり球界の名物となっている。
つば九郎とドアラは互いの存在を「ビジネスパートナー」と語る。球団の垣根を越えて、何度も筆談トークイベントやディナーショーを一緒に開催し、いずれもチケット発売と同時に完売を記録する人気を誇っている。また、それぞれがテレビ出演やブログ執筆、書籍の出版といった活動を通じて、野球ファン以外にも自らの存在を積極的にアピール。SNSでは「野球のことはよく知らないけど、つば九郎やドアラは好き」といった投稿も見られるほどだ。
つば九郎は神宮球場の試合前アトラクションの中で、「きょうのひとこと」と題して心情を吐露するコーナーを持っている。そこで扱うテーマは、野球に限ったものだけではない。政治家や芸能人のスキャンダルなどの時事ネタをふんだんに盛り込み、鋭い批判精神を交えながらも、ユーモアたっぷりにフリップ芸を披露する。筆談の字が全てひらがなであるのも、毒舌的な内容との対比で面白みを増している。
村上宗隆が史上最年少で三冠王を獲得した2022年を例外とすれば、グッズの売り上げは並みいるスター選手を差し置いてつば九郎がチーム1位。つば九郎目当てのファンも球場に足を運び、球団にとっては立派な「戦力」だ。シーズンオフには彼の契約更改も注目を集める。過去には球団側と交渉が決裂したとして、フリーエージェント(FA)を宣言して他の球団や企業への移籍を試みたこともある。
筆者がつば九郎にインタビューした際に、ときにはユーモラスに、ときには真剣に、どんな質問に対しても次から次へと当意即妙な回答を連発する姿を見ていると、常にファンを大切にするプロフェッショナルとしての矜持(きょうじ)を感じさせたものだ。
良い意味で野放図、自由奔放
日本のプロ野球初のマスコットがどの球団のキャラクターであるかは明確になっていないが、等身大のマスコットが球場に現れ始めたのは1970年代とみられている。プロ野球意匠学研究家であるコラムニストの綱島理友氏が監修した『スポーツ・マスコット図鑑』(PHP研究所、2009年)によれば、米大リーグでは60年代にマスコット文化が誕生したのだという。米国の影響を受けて後発で始まったものの、やがて日本のプロ野球マスコットは「野球」を離れ、独り歩きするようになる。つまり、野球ファン以外にも幅広く認知され、野球に興味のない人でもグッズを買ったり、ブログにアクセスしたりするようになるなど、「野球」以外で存在感を高めていくという独自のキャラクター文化を生み出していったのだ。
ひと口にスポーツ・マスコットと言っても、90年の歴史を誇るNPBと、1993年に誕生したプロサッカー・Jリーグとでは異なる面があるのではないだろうか。発足当初から明確なトータルコンセプトを掲げ、「リーグ一丸となってまい進していくJリーグ」に対し、「個々の球団がそれぞれの経営方針のもとに独自の道を歩んできたプロ野球」という歴史的経緯の違いを表すかのごとく、プロ野球には際立った個性を持つマスコットが多いように思われる。
西武のレオ(バナー写真の後列左端/手塚治虫『ジャングル大帝』の主人公をマスコットに採用)、ソフトバンクのハリーホーク(同写真の後列左から2番目)のように、精悍(せいかん)で勇ましい「王道キャラ」がいる一方、DeNAのDB.スターマン(同写真の前列右端)のように、愛嬌(あいきょう)やかわいらしさを売りにしている「脱力系キャラ」もいる。
あるいは、かつてロッテに存在した「謎の魚」のような「不思議キャラ」も忘れてはいけない。家族や子供がいるとか、趣味は犬の散歩であるとか、妙に細かい設定は明らかにされていたものの、チョウチンアンコウのような外見が時とともに変化して、最後まで何の魚なのかも分からないまま消えていった。
良い意味で野放図、自由奔放に展開しているからこそ、野球ファンか否かを問わず、また老若男女も問わずに愛されるプロ野球マスコットの文化が花開いたのだと言えよう。
地域密着もマスコットたちの重要な役割
各球団のマスコットたちは、観客を盛り上げ、選手を応援するだけでなく、野球を通じて地域を結束させ、地元の魅力を発信するミッションも担う。
その一例が日本ハムのマスコット「B・B」だ。2006年から15年までの10年で北海道の全212市町村(当時)を訪問。各地の観光名所、名産品やご当地グルメを紹介しながら、地域の人々との交流を図るという一大プロジェクトを成功させた。現在はメインマスコットの座をフレップ(バナー写真の後列右から3番目)に譲ったが、球場外で地域貢献活動を続けている。道内市町村数と同じ背番号「212」を背負った「B・B」は、04年に球団が北海道に移転したときから、当時の本拠地球場があった札幌市だけではなく、道内全域に根差したチームになることを見据えていたのである。
広島のスラィリー(同写真の後列右から4番目)も、デビュー20周年の2015年に出版したフォトブック『スラィリー、じゃけん。』(KADOKAWA)で宮島、尾道、三段峡、大久野島など、広島県内のさまざまな土地を訪れ、風光明媚(めいび)な景色とともに地元の魅力をPRした。
一方で純粋にアイドル的存在として人気なのがオリックスのバファローベルだ。メインキャラクターであるバファローブル(同写真の前列右から2番目)の妹として誕生するや、そのルックスから「かわいすぎるマスコット」と話題をさらった。2011年には本拠地ほっともっとフィールド神戸でグラビア撮影に臨み、公式フォトブック『ベルがいっぱい』(PHP研究所)を発表。ちなみに、ベルの由来は「勝利の鐘=ベル」と、フランス語で美しい、かわいいを意味する「Belle」をかけたものだ。
米球界の名物マスコットにも影響与える?
現在、日本全国に数多く存在するマスコットの中には、熊本県のくまモンのように言葉をやり取りするキャラクターも少なくないが、その先駆けになったのはつば九郎、ドアラなど、筆談するプロ野球マスコットではないかと思われる。
大リーグ・フィリーズの名物マスコットであるフィリー・ファナティックは、2023年8月のエンゼルス戦で大谷翔平に対し、スケッチブックに大谷の絵と名前を描いたのを見せて交流を図った。そのファナティックは18年に神宮球場を訪問し、つば九郎とドアラに出会っている。はたしてフリップ芸を得意とする両者は、米球界を代表するキャラクターにまで影響を及ぼしたのだろうか。
もしこの疑問の答えが「Yes」であるならば、日本のプロ野球マスコットは誕生から約50年を経て、「本家」のマスコットにインパクトを与えるほどの独自性を確立したということなのだろう。
バナー写真:プロ野球オールスターゲーム2024・全セ対全パ第2戦の試合後、記念撮影するマスコットら。前列左からドアラ(中日)、トラッキー(阪神)、クラッチ(楽天)、バファローブル(オリックス)、DB.スターマン(DeNA)、後列左からレオ(西武)、ハリーホーク(ソフトバンク)、マーくん(ロッテ)、つばみ(中央手前、ヤクルト)、スラィリー(中央奥、広島)、フレップ(日本ハム)、ジャビット(巨人)、つば九郎(ヤクルト)=2024年7月24日、神宮球場(産経新聞社)