北口榛花:やり投げ “逆転の女王”が満を持して挑む、日本女子初のフィールド競技金メダル【パリ五輪:頂を目指す選手たち】
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後半に強い「6投目のスペシャリスト」
昨年8月、ハンガリー・ブダペストで開催された陸上の世界選手権。割れんばかりの拍手と歓声がスタジアムに響きわたる中、北口が放った一投が夜空を鋭く切り裂いた。
66メートル73センチで女子やり投げのトップに立つ。最終投てき者のフロルデニス・ルイスウルタド(コロンビア)はその記録に及ばず、フィールド種目で日本女子選手としては初の世界選手権金メダルが決まった。さらに9月には世界最高峰シリーズ・ダイヤモンドリーグ(DL)の年間チャンピオンを決めるファイナルにおいて、日本人初の優勝という快挙を成し遂げた。
北口の強さは後半の投てきに集約されている。「逆転の女王」、そんな言葉がしっくりくる。
昨季は世界選手権以外でもDLシレジア大会、ブリュッセル大会、そして今季も4月のDL中国大会、5月の水戸招待陸上、世界からトップ選手が集まったゴールデングランプリ陸上(東京)で、最終6投目にビッグスローを見せて逆転優勝を遂げるか、または記録を更新している。
追い込まれてからがめっぽう強い6投目のスペシャリストには、どんな状況になっても最後にひっくり返せるという自信がある。
「ぶっちゃけていうと、私、練習では55メートル飛べばまあまあいいライン。本番では65メートルとか投げるタイプなので、自分も予想できずに試合に臨んでいるという感じで。1投目を投げてみないとその日の調子が分からない。投げてやっと分かることが多い」
練習で飛ばないのは、本人いわく「めちゃくちゃ考えて投げているから」。
「気をつけたいところが10個あるとしたら、練習ではそれを全て考えながら投げるけど、試合では2、3個に減らす。その分、迷いなく全力で投げられるので」
1投目を投げて見えた課題を2投目で修正し、2投目の課題を3投目で修正する。その作業を繰り返しながら、その日の最終投てきへと向かっていく。
北口が高校記録を出した時も6投目、さらに2019年5月に初めて日本記録を樹立した時は5投目だった。いずれも後半に記録を伸ばした過去の経験が、たとえ前半の投てきで伸び悩んでも、“後半でしっかりと投げられる”という近年の自信につながっている。
やり投げ大国チェコで得た自信
快挙達成の裏には、やり投げ大国・チェコでジュニア世代のナショナルコーチを務めるデービッド・セケラックの存在がある。
北口は2019年から単身でチェコに渡り、継続的に指導を受けてきた。昨季大きく飛躍した助走もセケラックの指導のたまものだ。
それまでの北口は助走で加速しても最後に減速することが多かったが、昨季はリズミカルかつスピードのある助走でその勢いをやりに乗せられるようになった。さらにウエートトレーニングでパワーもつけた。
以前の北口は、やり投げとウエートトレーニングの関連性が「全く理解できなかった」という。セケラックにその必要性を説かれた北口は、持ち味であるしなやかさを保ったままパワーという新たな武器を身に付け、飛距離を伸ばすことに成功した。
指導の当初はつたない英語やチェコ語でコミュニケーションを取っていた北口だが、今では流暢(りゅうちょう)なチェコ語で意見をぶつけ合い、時には自らの考えを主張。「本来あるべき選手とコーチの姿になりつつあるかな」と笑う。
今季前の冬には助走スピードの向上を図りつつ、栄養士のサポートを受けるなど新たな試みを取り入れ、パリ五輪へ向けさらなる強化を行ってきた。
練習パートナーとのスプリント(短距離走)練習では「いい勝負ができるようになってきた」と手応えを感じた。助走が速くなると技術とのかみ合わせが難しくなるが、「試合が何よりの練習になる」と、試行錯誤を繰り返しながら夏場にピークがくるよう調整してきた。
プレッシャーを力に変えて
今季も開幕から、昨季の勢いのまま調子を上げた。DLでは中国大会の優勝以来これまで6戦5勝。6月のクオルタネゲームズ(フィンランド)では準優勝に終わったものの、記録は64メートル28センチと今季ベストを記録する意地を見せた。
6月の日本選手権では2年ぶりに日本一に返り咲いたものの、2投目で62メートル87センチをマークして以降は記録を伸ばせなかった。「もったいない試合をした」「正直あまり順調じゃない。かなり危機感があります」と反省の言葉ばかりが口をついた。
昨年の日本選手権で3連覇を逃した際も、「気持ちが前のめりになってしまった。自分の良さを出すことができなかった」と反省しつつ涙を流したが、結果的にはその悔しさが日本記録更新、世界選手権初制覇の原動力となった。
パリ五輪で金メダルを獲得すれば、昨季の世界選手権同様、日本の女子選手としてフィールド種目初の快挙となる。
「やっぱりメダルは取りたいし、それが金であればより良いということは、私自身も、そして皆さんも分かっていると思う。簡単なことではないが、しっかりと準備をして臨みたい」
世界選手権の金メダル獲得により、追う立場から追われる立場となり、今季はこれまでにないプレッシャーを感じているだろう。日本選手権後も、「最近のシーズンでは一番悩んでいる」「自分の中では(調子が)上がりきっていない」と苦悩を明かすなど、会心の一投を放てていない状況にある。
しかし、それでも歩みは止めない。危機感もプレッシャーもポジティブな力に変えて、パリの空にビッグスローを放ってみせる。
バナー写真:ダイヤモンドリーグ・ロンドン大会の女子やり投げで投てきする北口。パリ五輪で表彰台の頂点を目指す= 2024年7月20日、ロンドンスタジアム(Action Images、ロイター)