「ハチ公」だけじゃない!ニッポン「忠犬像」物語
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南極観測隊を支えたカラフト犬の群像(東京都立川市)
立川市役所から徒歩5分、研究施設が立ち並ぶエリアの一角に立つ「国立極地研究所 南極・北極科学館」。隣接する国立極地研究所が行っている南極や北極の調査成果を体感できる施設の庭に、カラフト(樺太)犬15頭の群像がある。第1次南極観測(1957~58年)の際、南極に取り残されて殉死した犬たちを慰霊するモニュメントだ(バナー写真)。
カラフト犬は、サハリン(樺太)および千島列島で品種改良により生まれた犬。マイナス40度でも平気で、人間に従順で力が強く、2週間ぐらい食べなくても大丈夫なことから、古くから北海道では使役犬として飼われていた。
南極観測にカラフト犬による犬ぞりの使用が決まると、当時北海道にいた約1000頭の中から40頭ほどを選んで訓練し、22頭の精鋭が第1次越冬隊と共に南極に派遣された。
ところが──1958年2月、第2次越冬隊の南極上陸が悪天候のため急きょ中止されると、第1次隊が引き揚げる際に昭和基地内に鎖でつながれた15頭のカラフト犬は、そのまま置き去りにされてしまう。
翌59年1月、基地に戻って来た隊員たちは感嘆の声を上げた。15頭のうち2頭が鎖から抜け出て生き延びていたのだ。「タロ」と「ジロ」である。奇跡のエピソードは『南極物語』として映画化され、海外でも話題となった。
7頭は鎖につながれたまま死んでおり、残る6頭は行方不明とされた。ところが9年後の68年、昭和基地近くの解けた雪の中から、1頭の死骸が見つかる。タロ、ジロ以外にも鎖から離れ、基地周辺でしばらくの間生きていた「第3の犬」がいたのだ。
第1次越冬隊の「犬係」で、タロジロとの再会を果たした唯一の隊員である北村泰一氏は、新聞記者の嘉悦洋氏の力を借りると、2020年、「第3の犬」が「リキ」であることを突き止め、さらにリキはタロとジロを守っていた、という結論を導き出す。2人の地道な検証作業は、『その犬の名を誰も知らない』(嘉悦洋・著、北村泰一・監修、小学館集英社プロダクション)に詳述されている。
15頭のモニュメントは1959年9月、日本動物愛護協会が東京タワーの入り口に設置。その後、東京タワー周辺の整備事業により撤去されることになり、2013年、国立極地研究所に寄贈、移設された。彼らは、およそ半世紀ぶりに南極観測隊のお膝元に帰ってきたわけだ。
悲しそうに遠吠えしている犬がいれば、体を寄せ合って寝そべる犬たちがいる。故郷北海道の懐かしい風景を思い浮かべながら、越冬隊員たちが戻って来るのを待っているのだろうか──。
火事現場で活躍した消防犬「ぶん公」(北海道小樽市)
れんが造りの倉庫群と石畳がノスタルジックな雰囲気を醸し出し、明治~大正時代の港湾都市の趣を今に伝える小樽市。小樽駅から歩いて10分ほどの小樽運河沿いに立つ「旧小樽倉庫」の前に、1頭の犬の銅像がある。その名は「ぶん公」。観光客らが記念撮影に訪れる、小樽の観光名所の一つだ。
ぶん公は、昭和の初め(1910~30年代)に小樽の消防本部で飼われていた雑種の雄犬。消防自動車が出動する際は、真っ先に乗り込み、ステップに立って現場に向かったという。出動回数は1000回超。火事場ではやじ馬たちを追い払い、ホースをくわえて隊員に渡す、などの武勇伝が、新聞や雑誌、ラジオを通して全国に伝えられた。
1938年2月3日、多くの人たちにみとられて亡くなった。享年24歳。人間でいえば100歳の大往生だった。絵本『消防犬ぶん公』(水口忠・作、梶鮎太・絵、文渓堂)でその“犬生”をたどることができる。
かつて小樽には木造の家がたくさんあり、何度も大規模火災が発生した。そのため、消防の整備が進められ、石造りの建物がつくられるようになった。ぶん公が活躍したのはちょうどその頃だ。
子犬の頃、火事の焼け跡で鳴いているのを消防隊員によって助け出され、消防本部で飼われるようになった。制帽をかぶるのが大好きで、病気の時はひとりで動物病院に行く利口な犬だったという。
2006年、ぶん公の68回目の命日に、消防団在籍者が中心となり記念碑建立のための募金活動がスタート。同年7月、旧小樽倉庫前の広場に銅像が完成した。以来、季節や行事に合わせてさまざまなスカーフやマフラー、衣装をまとったおしゃれな“ぶんちゃん”が、訪れる人たちの目を楽しませている。
“着替え”を手伝い、写真を撮ってSNSなどにアップしているのが、小樽観光協会の吉田理恵子さん。「春と秋はスカーフやバンダナ、夏は小樽伝統の『潮(うしお)まつり』に合わせて法被、冬は毛糸のセーターにマフラー、クリスマスバージョンもあります。市民のみなさんが差し入れてくれるんです」と吉田さんは話す。
小樽市にはもう1カ所、ぶん公に会える場所がある。旧小樽倉庫に隣接する小樽市総合博物館運河館だ。ぶん公のはく製が展示されており、白い毛に茶色のぶちがある、少し耳が垂れた、ちょっとおちゃめな「ぶん公」に対面できる。
主人に代わって“お伊勢参り”―代参犬「おかげ犬」(三重県伊勢市)
日本に約8万あるといわれる神社の総本家で、「お伊勢さん」の愛称で親しまれる伊勢神宮。その外宮参道に店を構える老舗土産店「伊勢せきや 本店」の前に、人気のフォトスポットがある。
柄杓(ひしゃく)を背に犬に跨(またが)る子供──題して「柄杓童子(ひしゃくどうじ)」の銅像だ。
作者である彫刻家・籔内佐斗司(やぶうち・さとし)氏による紹介文が台座にある。
「古来より、神宮参詣は人々の憧れでしたが実際にお詣りができないひとたちの願いを叶えたのが、犬の代参でした。柄杓を背にした犬が、たくさんの善意に守られながら道中を続けたといいます。犬に跨っている童子は、優しいこころの象徴です」
江戸時代に入って東海道五十三次が整備されると、“お伊勢参り”は庶民の誰もが「一生に一度は」と憧れる一大イベントとなり、約60年に一度、大流行する現象が起きる。神々のおかげをいただくことから「おかげ参り」と呼ばれた。
病気などで伊勢参りができない主人の代わりに参詣したのが「おかげ犬」。柄杓を背負った犬が単独で伊勢神宮を目指した。
『犬の伊勢参り』(仁科邦男・著、平凡社新書)によると、代参犬が初めて文献に登場するのは1771年。山城国(京都府)の高田善兵衛という者の飼い犬が外宮と内宮を参拝してお札をもらった、と伊勢神宮の神官が書き残している。
その後も犬の伊勢参りは続いた。福島県須賀川市の十念寺不動堂の裏には、寛政年間(1789年~1801年)に病気の主人に代わって伊勢神宮からお札をもらってきた「シロ」という名の犬の像がある。
おかげ犬は、飼い主の住所と伊勢代参の犬であることを示した木札と、ひもに通した銭を首に巻いていた。
もちろん、犬が見たこともない伊勢神宮まで自力で行けるわけがない。実際には、「村送り」と呼ばれる“サポートシステム”があり、沿道の人たちに導かれ、村から村へと送り届けられたようだ。当時は、おかげ犬を手厚くもてなすと自らも功徳を積めると信じられており、犬の銭を奪うような者はほとんどいなかったという。
ちなみに、津軽黒石(青森県)から伊勢神宮まで、往復約2400キロを3年かけて歩いたおかげ犬がおり、これが日本における犬の長距離単独旅行記録とされている。
明治時代になっても、数は減ったものの伊勢参りをする犬は見られた。だが、1873年に東京に導入された畜犬規則が全国に広がり、飼い犬の管理が厳しくなると、事態は一変。以後、おかげ犬の音信は途絶える。
ところが──それから150年が経った今、おかげ犬が再び話題を呼んでいる。伊勢神宮内宮門前町の中ほどにある「おかげ横丁」で、飼い犬がおかげ犬に扮する体験サービスが好評だ。しめ縄と巾着を飼い犬の首につけて散策するもので、特典として疫病よけの木札がもらえる。
日本初のセラピードッグになった保護犬「チロリ」(東京都中央区)
ビジネスパーソンや観光客が行き交う東京・銀座。東京メトロ銀座駅から徒歩5分、歌舞伎座近くにある「中央区立築地川銀座公園」内に、犬の母子の銅像がある。保護犬から国内初のセラピードッグとなった「チロリ」とその子犬たちの記念碑だ。
セラピードッグは、医療や介護の現場などで患者や高齢者たちと触れ合い、心身のケアに貢献する犬のこと。精神の安定や認知症の改善、脳梗塞の後遺症の回復を促すなど、数々の効果が報告されている。
チロリは1992年の夏、動物愛護センターで殺処分されるすんでのところを、音楽家であり一般財団法人 国際セラピードッグ協会の創始者である大木トオルさんに救い出された。それからセラピードッグとなるまでの物語は、大木さんの著書『名犬チロリ』(岩崎書店)に詳しく記されている。
チロリは、雑種で捨て犬、さらに右足の障害というハンディをものともせず、2006年春に亡くなるまでの12年間を高齢者や弱者の治療に捧げた。最大の魅力は「愛くるしい瞳」。相手の目を優しくのぞきこむアイコンタクトで、多くの傷ついた人たちの心のケアに努めた。
チロリの物語はこれまで5つの教科書で取り上げられ、国内外で書籍化されている。
チロリに触れたい一心でリハビリに励むうちに、使えなかった手が動くようになった人、会話ができるようになった人、生きる意欲を取り戻した人、さらには不登校を乗り越えた中学生……。エピソードは数限りない。
だが、チロリが遺した一番の財産は、自分と同じ捨て犬たちにセラピードッグとして生きる道を切り開いたことだ、と大木さんは言う。
「東日本大震災のあとに訪れた病院では、みなさんセラピードックの存在を知っていて大歓迎してくれました。自分の愛犬が津波に流されたという方は、愛犬の写真を抱きながら、セラピードックを強く抱きしめていました」
──ほかにも人気の忠犬・愛犬像は全国にたくさんある。以下にいくつか紹介しよう。
【老犬神社の忠犬シロ像】秋田県大館市。江戸時代、飼い主のマタギ・定六が狩猟免状を携帯せずに猟をして投獄された際、主人が処刑されるのを防ごうと奔走した「シロ」。家内安全などを祈願する老犬様としてまつられ、犬の玩具が多数奉納されている。
【落語『元犬』像】東京都台東区。蔵前神社の鳥居の先に、犬像が社殿を拝むように鎮座する。元は犬だった「シロ」が願掛けをしたのが同神社。おかげで人間になれたという古典落語にちなみ、2010年に建てられた。
【西郷隆盛の像】東京都台東区。上野公園の入り口近くにある、明治維新の立役者の一人、西郷隆盛と愛犬の像。彫刻家・高村光雲の作。西郷は愛犬家として知られ、好物のうなぎを飼い犬にえさとして与えた、という言い伝えもある。
【盲導犬サーブ像】 愛知県名古屋市、岐阜県郡上市。ジャーマンシェパード「サーブ」は、主人を守るために車にはねられ前足を失った盲導犬。事故翌年の1983年、児童書『がんばれ!盲導犬サーブ』が刊行されベストセラーに。
【高野山の案内犬ゴンの碑】 和歌山県九度山町。弘法大師(空海)が開いた聖地として名高い高野山。その玄関口・九度山駅に降り立った参詣者を、弘法大師の母公の寺・慈尊院まで道案内した「ゴン」の碑。
【目の見えない犬ダンの碑】 愛媛県松山市。潮見小学校敷地内にある「ダン」の像。捨てられていた目の見えない子犬を児童たちが見つけたが、校則があるため飼うことができない。だが、子供たちの生き物に対する愛情やハンディを持つものへの思いやりが、ついに大人たちを動かした……。
バナー写真:「国立極地研究所 南極・北極科学館」の庭にあるカラフト犬15頭のブロンズ像。第1次南極観測の際に殉死した犬たちの慰霊のため、東京・渋谷駅前の「忠犬ハチ公像」の作者、安藤士が制作した 写真=天野久樹
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