「もっと上手くなりたい」参加選手は全員80歳以上! 超高齢サッカーリーグの尽きせぬ向上心
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「久しぶり、ちゃんと生きてるよ」
WHO(世界保健機関)が発表した世界保健統計2023年版によると、日本人の平均寿命は84.3歳(男性81.5歳、女性86.9歳)で世界1位。そして総務省が23年9月に発表した人口推計によると、80歳以上の人口が初めて10%を超え、日本は10人に1人が80歳以上となった。
そんな長寿国を象徴するスポーツ大会が、昨春から東京で開催されている。「東京都シニアサッカーリーグSFL80(O-80)」、つまり80歳以上の選手によるサッカーのリーグ戦だ。
日本にはすでに80歳以上のサッカー大会がいくつかあるが、O-80には際立った特徴がある。短期間のトーナメントで行われる多くの大会と違って、3チーム以上の常設チームが1年間リーグ戦を戦うという点だ。そんな珍しさも相まって、サッカー発祥の国イギリスをはじめ、フランス、ドイツなどのメディアがすでに取材に駆けつけた。
記念すべき初年度のO-80リーグに参加したのは、首都圏に暮らす80歳以上の男性、計62人。これがレッドスター、ホワイトベア、ブルーハワイの3チームに分かれて戦った。チームごとに年齢差が生じないようにするため、選手は年齢順に振り分けられている。
Jリーグと同じ広さのグラウンドで11人同士が戦うO-80には、高齢者向けのルールが設けられている。
試合時間は15分ハーフで交代は自由。ショルダータックルとスライディングタックルは禁止で、ピッチサイドにはAED(自動体外式除細動器)の講習を受けたスタッフが待機している。試合は4月から翌2月まで月1回のペースで開催されるが、猛暑が心配される7、8月は中止に。その他の月でも、熱中症警戒アラートが発表されると試合は中止になる。
さて、筆者が取材に訪れた2月16日は全12節(うち4節は中止)で戦われたリーグ戦の最終節。つまり初代王者が決まる大事な一日だった。
「おお、久しぶりだなあ。元気だったか」
「ああ、ちゃんと生きているよ」
「俺はねえ、先日同級生の葬式に出たんだよ」
「この歳になると見送ってばかりだねえ」
会場となる東京都世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場の補助競技場に、次々と選手たちが集まってきて談笑している。少々背中が曲がった人や白髪の人もいるが、この時点で私の予想は早くも大きく裏切られた。80代にしては表情が若々しく、声には張りがあり、足取りもしっかりしているのだ。
高齢化で拡張したシニアリーグの実態
このO-80リーグを主催するのは、2000年に発足した東京都シニアサッカー連盟。同連盟は40歳以上の7つのリーグを運営しているが、このうちO-70、75、80を担当する青山哲司さんがシニアリーグの沿革を教えてくれた。
「O-60が6チームによるリーグ戦として始まったのが2008年度。以来、選手が年齢を重ねていくことでリーグ戦が拡大していきました。12年度にО-70が生まれ、17年度には年齢による格差を縮小するためにО-65とO-75が開幕。O-75の選手が80代に突入した22年度にO-80のプレリーグが行なわれ、今季正式にリーグ戦が始まりました」
つまりこの日、駒沢に集った選手たちは、長くサッカーを続けることでシニアリーグの道を切り拓いてきた草分けといっていい。
ちなみに2023年度のチーム数と登録人数は、以下の通り(複数のリーグに登録する選手を含む)。
O-65 31チーム 620名
O-70 18チーム 449名
O-75 9チーム 187名
O-80 3チーム 62名
68歳現役選手でもある青山さんが続ける。
「私もサッカーを続けていますが、50歳のころは70代になってサッカーをするなんて考えてもみませんでした。それが高齢になっても現役を続ける人が増え、O-80が生まれることになりました。もっともこの年齢になるとさまざまな問題が出てくるので、みんながずっと現役でいられるわけではありません。O-60から70までは9割方の人が続けますが、その先には75歳の壁が出てきて、自身の病気や体調不良だけではなく、妻の介護で来られなくなる人が少なからずいます」
なるほど、それもそうだと思った私は、選手のみなさんに「病気はしていませんか?」「コロナは大丈夫でしたか?」と尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。
「肺がんになったけど、早期発見できたので復帰できました」
「骨折は何度かあったなあ」
「俺はコロナに2度かかったけど、なんてことなかったよ」
「サッカーは医療費削減につながるから、みなさんにお勧めです」
多くの人が、なにかしらの病気やケガを乗り越えてグラウンドに立ち続けているようだ。
元日本代表や「幻の最強チーム」のレジェンドも参加
キックオフの時間が近づき、チームごとでのミーティングが始まる。どのチームも戦術ボードを持ち出して真剣な表情で言葉を交わしているが、首位のレッドスターではなにやら問題が起きているようだ。
「野村さんはどうした?」
「ケータイに何度も電話したけど、全然つながらないんですよ」
「それなら娘さんに電話したらどうだい?」
みんなが探しているのは野村六彦さん(84歳)。元日本代表で日本リーグ(JSL)で初代得点王にも輝き、14年に日本サッカー協会の殿堂入りを果たした人物だ。O-80には、この野村さんに加えて、もう一人レジェンドがいる。ホワイトベア所属の金明植(キム・ミョンシク)さん(86歳)。60年代から70年代にかけて幻の最強チームとうたわれた「在日朝鮮蹴球団」のキャプテンである。私は、この二人のプレーを楽しみにしていたが、あいにく二人とも欠場。エース野村さんの不在に加え、たまたま参加者が少なかったレッドスターは、10人でゲームを始めることになった。
ブルーハワイとレッドスターの対戦から始まった最終節は、思いの外ちゃんとしたサッカーになっていた。両チームともしっかりとフォーメーションを組み、丁寧にパスをつなぎながら攻め、組織として守る。さすがにスピード感は乏しいが、それでも足はしっかりと動いている。選手の多くは高校や大学、社会人で鳴らしていたらしく、動きの端々からその片りんが感じられる。
強風が吹きすさぶグラウンドでは、大きな声が活発に飛び交う。
「来たぞ、うしろに気をつけろ!」
「そこじゃない! 前に行って!」
仲間を叱咤する声も多く、勝ちたい気持ちが伝わってくる。
選手たちと会話をするうちに、しっかり動ける理由が分かってきた。「月に何日くらいボールを蹴っていますか」と尋ねたところ、10日前後(つまり3日に一度!)という人が多かった。「昨日も蹴ったんだよ」という人も。「そりゃあ動けるわけだ」と納得する筆者に、青山さんが教えてくれた。
「高齢者のサッカー人口が増えたことで首都圏O-75というグループが結成され、都内や川崎、横浜などのグラウンドで毎週練習会が開かれているんです。行けば一緒にボールを蹴る仲間がいる。そうした環境があることが、シニアリーグ活性化の背景にあると思います」
白熱のゲームは対戦カードを変えながら続き、ホワイトベアの選手がスピードに乗ったドリブルから見事なドリブルシュートを決める。「いいゴールですねえ」と思わず拍手する私に青山さんは言った。「決めたのは80歳。若手だからスピードがありますね」。80歳で若手!? O-80リーグを見ていると、年齢の尺度がおかしくなってくる。
「面白い世界だなあ」と感心する私に、青山さんが教えてくれた。
「ここでは選手は5年おきに若返ることができるんです。例えばO-75でも79歳の人は75歳の人ほど動けないので、俺ももう無理かと自信がなくなることもある。でもO-80に入ると今度は期待の新人として生まれ変わって、またイキイキしてくるんです」
「力では若い人には勝てんから、これからは頭で勝負します」
O-80リーグの栄えある初代王者にはレッドスターが輝き、表彰式のあと、2人の選手に話を聞いた。
まずはホワイトベアの半田進さん(86歳)。
「ぼくは若い頃からプレーしているみんなと違って、50歳からサッカーを始めたんです。練習は週2、3回やっていますよ。ボールを蹴ったあとに飲む日本酒が旨(うま)いんです。今日のプレーですか? 全然ダメです。2度もチャンスが来たのに、下手くそなもんだから慌てて外しちゃった。少しは上手くなって、もっと点を取りたいねえ」
続いて、優勝したレッドスターの竹内民雄さん(85歳)。前出の野村さんとともに高校時代、国体を制した実力者は、自らの履歴書にO-80初代王者という新たな栄光を加えることになった。
「体は日々衰えていくし、今日は相棒の野村がいなかったから調子が出なかったなあ。長くプレーできる秘訣? それは野村というライバルがいるのが大きいね。でも若い人がどんどん出てくるから、押し出されないように必死ですよ。力では若い人には勝てんから、これからは頭で勝負します。私が尊敬するイニエスタ、彼なんてタイミングで勝負しているでしょう。私もそれを極めて、もっと上手くなって、またここに帰ってきますわ」
もう歳だ、体が動かんとボヤきながらも、尽きることのない上手くなりたいという思い。これがある限り、彼らのサッカー人生に終わりはない。
バナー写真:接触を伴うプレーも辞さず、全員が80歳以上とは思えないプレーを見せる参加者たち 写真=天野久樹