ニッポンの異国料理を訪ねて: 元大統領専属シェフがキッチンカーで伝える祖国の味・ブルキナファソ料理「FOFO」
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「高潔な人々の国」のキッチンカー
近年、街角でよく見かけるようになったキッチンカーには、ベトナムやタイなどのエスニック料理の店が珍しくない。その中で異彩を放つのが、品川や川崎などで出店している『FOFO』。日本でたったひとつの、ブルキナファソの料理を提供するキッチンカーだ(品川や川崎のほか、各種イベントにも出店。スケジュール等の情報はX、FacebookなどのSNSで確認できる)。
ブルキナファソという国名を聞いて、具体的なイメージが湧く人はどれくらいいるだろう。サッカー取材歴が長いぼくが知っているのは、10年ほど前、浦和レッズでブルキナファソの代表選手がプレーしたことくらいだ。
ブルキナファソは西アフリカ内陸の国。調べてみると、マリ、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワールと国境を接し、国名は現地語で「高潔な人々の国」を意味することがわかった。
一度見たら忘れない、国旗と同じユニークなカラーのキッチンカーを営むのはエミール・イルブードさん。いったいどうして日本に? とさっそく彼の人生を掘り下げていきたくなるが、その前に気になる料理をいただいてみた。
キッチンカーにはメニューのプレートが貼られているが、これらはブルキナファソを中心とした西アフリカでポピュラーな料理だという。初めて目にするものが多いので迷っていると、エミールさんは『ベンガ』を勧めてくれた。
「ベンガというのは現地語で豆のこと。黒目豆と呼ばれる豆を玄米に混ぜた料理です」
いわばブルキナファソ版豆ごはん。キッチンカーではエミールさんがごはんを盛りつけ、香ばしく焼けたチキンを手際よく切って載せていく。これに真っ赤な唐辛子ソースを添えて出来上がり。
それは意外にも日本の豆ごはんにも通じる、どこか親しみやすい味だった。サクサクした豆の歯ごたえと玄米の相性がよく、ジューシーなチキンが食欲をそそる。唐辛子ソースを少しずつ混ぜながらいただくと、身体がほかほか温まっていく。
10分足らずで完食したぼくに、エミールさんは教えてくれた。
「ブルキナファソでは豆料理がよく食べられていて、ベンガもそのひとつです。屋台や家庭料理の定番で、ぼくにとっては大好きな母の味。子どもの頃、母がつくり置きしたベンガを兄弟と分け合って食べたんですよ。玄米だから栄養価が高いし、化学調味料もゼロ。水と塩しか使っていないから、とてもヘルシーです」
ベンガのおいしさもさることながら、ぼくが舌を巻いたのはエミールさんの日本語の流暢さ。それもそのはず、彼はすでに30年近く日本で過ごしているのだった。
国境を越えて学んだ料理
「私が生まれた1959年、祖国はまだフランスの植民地でした。その翌年、オートボルタとして独立して、84年にブルキナファソという名前に変わりました」
経済的に恵まれた家庭で育ったエミールさんは、料理が得意な母の影響やフレンチシェフの長いコック帽への憧れから、やがて料理人を目指すように。両親の後押しもあり、17歳で隣国コートジボワールの料理学校に入学する。
日本の感覚だと「いきなり外国?」と思うが、アフリカでは珍しいことではないようだ。そもそもアフリカの国境は、ヨーロッパの国々が現地の実情を無視して確定させたところがあり、実際には国境を越えた親戚付き合いや交易が日常的に行われている。
「私が学んだのはコートジボワールのアビジャンの学校。当時のアビジャンはアフリカ屈指の大都会で、いろんな国の人たちが集まり、多様な文化が融合していました。そこでぼくはコートジボワールやカメルーンのミュージシャンとバンドを組んで、ギターも演奏していたんです。ものすごく楽しかったですね」
青春を謳歌したアビジャンで、エミールさんは料理に打ち込み、学校では常にトップの成績を収める。そして、世界への扉が開かれていくことになった。アビジャンの次はモロッコで修行し、いよいよフランスへ。パリやマルセイユに暮らした6年間で本場のフレンチをマスターし、晴れて料理学校を卒業することになった。
ホテルのシェフとして再びコートジボワールで働き始めた彼は、やがて大統領のパーティーの料理を手がけたことから大統領専属のシェフに。数年後に大統領が亡くなったことで、その仕事は終わったが、外国から複数の勧誘があり、迷わず次の行き先を決めた。それが日本だった。
「アフリカやヨーロッパの国々についてはよく知っていたんですが、アジアについてはほとんど何も知りませんでした」
そう語るエミールさんだが、日本とはちょっとした縁があった。当時、日本のバイクに乗っていたのだ。
ものづくりの国へ
「ほかの国のバイクはよく壊れるのに、ぼくの日本のバイクはまったく壊れない。そこから日本はいいものをつくる国だというイメージが植えつけられ、ならば日本に行ってみようと思ったんです」
国境を軽やかに越えていく人生。1996年に来日したエミールさんは、コートジボワール、ギニア、ブルキナファソの大使館で順番にシェフを務め、2004年にはアフリカ料理を専門に提供するレストランを立ち上げる。東京都内、山手線の浜松町駅前の『カラバッシュ』だ。
カラバッシュは人気を博し、エミールさんはシェフとして多忙な日々を過ごしたが、そのうち新たなアイデアが浮かんできた。キッチンカーだ。
「キッチンカーをやろうと思ったのは、ブルキナファソが全然知られていないことが大きかった。自分の国のことを少しでも知ってほしいと思うようになって、ならばキッチンカーがいいかなと。車体を国旗の色に染めて、行きたい街に行けますからね」
こうして2014年、彼は自分で塗装をしたキッチンカーFOFOで首都圏を走りまわるようになり、ファンを増やしていく。ぼくが取材に訪れた時も行列ができていて、お客さんとの会話を楽しむエミールさんの姿があった。
キッチンカーを始めてから、エミールさんは慈善事業にも本格的に乗り出した。
「私には尊敬する祖父がいて、彼はよくだれかのために尽くしなさいと言っていました。そこでキッチンカーを始めた時から、売り上げが10万円たまるたびに祖国に送金するようになりました。ブルキナファソの恵まれない子どもや若者のために、学校を建てようと思ったんです」
2年がかりで故郷に小学校を建てたエミールさんは、現在2校目の建設にまい進しているという。
「キッチンカーを始めたことで、ブルキナファソのことを少しずつ知ってもらえるようになりました。学校にアフリカのことを話しに行く機会もあるせいか、ある時子どもに、ブルキナファソさんだ! と呼ばれたんですよ。あの時はうれしかったなあ」
人懐こい笑顔と温かい料理を載せて、今日もブルキナファソのキッチンカーは街から街へと走り続けている。
バナー写真:ブルキナファソの鮮やかな国旗の色に彩られたエミールさんのキッチンカー 写真:熊崎敬