能登半島地震の捜索に千葉から駆け付けた救助犬ルポ : ハンドラーが体験したドキュメント84時間 

気象・災害 社会

1月1日夕方に起きた能登半島地震の後、日本救助犬協会に所属する63歳のハンドラーは、行方不明者を捜索すべく愛犬で災害救助犬のメスのボーダーコリー・ココ(11)とともに被災地に向かった。地震発生直後からの待機、15時間かけての自家用車での現地入り、救助犬の捜索の様子、そして帰宅するまでの救助犬とハンドラーの活動を振り返る、ドキュメント84時間──。

地震発生直後、「出動があるかもしれない」

1月3日午後3時ごろ、輪島市付近──。前から来た白いSUVの車が突然、私たちの車の前で遮るように止まった。運転席から男性が降りてきて緊張した面持ちでこうまくし立てた。

「この先は土砂崩れがあって通行できません。今確認してきました。うかいしてください」

金沢から輪島に向かう道はひび割れ、民家の敷地内をうかいして通るよう誘導された
金沢から輪島に向かう道はひび割れ、民家の敷地内をうかいして通るよう誘導された

最初の地震が発生してから2日後のこの日、ボランティア団体の「NPO法人日本救助犬協会」(以下、協会)の能登出動チームは金沢市内で高速道路を降りて、海沿いの道を輪島に向かっていた。3日午前中の余震で、緩んだ地盤が崩れたのかもしれない。この先もいつどこでどんな二次災害が起きるか分からない。改めて、被災地を訪れることの厳しさを実感する。

私は、協会の会員になって10年。愛犬のココを仲間とともに災害救助犬(以下、救助犬)に育ててきた。協会の救助犬チームは2つあり、訓練場を千葉県市川市から借りている「TEAM7」と、東京都町田市にある「チームさくら」だ。私はTEAM7に所属し、チームの運営を担当、協会本部では救助犬部の副部長として活動している。

TEAM7のメンバーは30人弱で、会社員、公務員、会社経営者、専業主婦など職業はさまざまだ。年齢は20代から70代までと幅広く、女性が多い。愛犬をメンバー自らが指導手(ハンドラー)となって救助犬に育てる。「待て」や「来い」などをしっかりと身につけさせたうえ、災害時にがれきや倒壊家屋などに閉じ込められた人(要救助者)を捜す捜索訓練を積んでいる。

日本救助犬協会の訓練場(埼玉県富士見市)
日本救助犬協会の訓練場(埼玉県富士見市)

1月1日午後4時10分、能登半島地震が発生。「出動要請があるかもしれない」と胸騒ぎがして、テレビやネットの報道を注視していた。協会では震度6強以上が発生した場合、自宅待機を原則とする。

地震発生30分後の午後4時40分、協会からTEAM7で出動できるメンバーを取りまとめるよう連絡が入る。それをチーム全員に送り、出動メンバーを募る。TEAM7からの最終的な出動メンバーは、私を入れて男性2人、女性2人の計4人で、隊長のほか、ハンドラー3人、救助犬3頭が出動待機となった。

それと同時にTEAM7内に「後方支援グループ」が結成され、出動チームに交通情報から現地の天気、お役立ち情報までを送ってくれた。一方、自宅で見守るチーム員には出動チームが今どこにいて、どういう状況なのかを逐次知らせる。また、出動したメンバーの家族LINEを立ち上げ、家族が心配しないように随時連絡してくれた。出動チームは後方支援があってこそ、憂いなく活動できる。

2日午後、「3日の午前6時に中央自動車道の諏訪湖サービスエリアに集合して珠洲市を目指す」と決まった。

私たちの災害救助活動は、原則、寝泊まりも食事もすべて自分で用意し、交通費だけ協会が支給する。被災地では停電や断水が続き、店舗は閉店しているため現地での調達はままならない。今回は、水12リットル、カップ麺、缶詰、レトルト食品などの食料を買い込み、キャンプ用の鍋と卓上ガスコンロもそろえた。仲間に頼んで携行缶にガソリンも持参してもらう。現地では車中泊なので、厚手の寝袋と携帯カイロなど防寒具も用意した。

持参した食料品。寒かったのでカップ麺が何よりのご馳走だった
持参した食料品。寒かったのでカップ麺が何よりのご馳走だった

犬の宿泊用にドッグフードは4日分、水におやつ、ボールなどのおもちゃ、厚手のマット、排せつ処理用の袋やシートなど。珠洲まではかなりの長旅なので、人も犬も休憩と排せつをこまめにしないといけない。個人の装備に加えて、チームでは、デジタル無線機、ザイル、ホワイトボードなども持参する。

通常の倍近い15時間かけて車で現場に

準備と緊張感で2時間ほどしか眠れず、3日午前1時半すぎ、ココとともに自家用車で千葉県にある自宅を出た。

都内で出動メンバーの1人と犬1頭を乗せ、中央自動車道を西へ。早朝6時すぎ、諏訪湖サービスエリアでほかのメンバーと合流、チームさくらの2人も加えた6人全員がそろった。その間も、現地の消防などから情報が入り、行き先は輪島市門前町に変更された。救助犬が必要とされていて、ここを管轄している愛知県緊急消防援助隊とともに捜索活動をすることになった。

途中、何度か休憩しながら金沢森本インターで北陸自動車道を下り、一般道へ。道はしばらく変化はなかったが輪島に近づくにつれ、道路のひび割れ、隆起、陥没が増えてきた。危険なところには赤色の三角コーンが置かれていて、その度に反対車線にはみ出して通過する。

雨も降り始めた。大雨警報も発令されている。とそんな時、冒頭の通行止めシーンとなった。Uターンして別の道で輪島市門前町を目指す。時間はかかるが仕方ない。私たちが事故にでも遭えば、ただでさえ忙殺されている警察や消防などに迷惑をかけてしまう。絶対にそれだけは避けなければならない。

輪島市の隣町、志賀町では、住宅の外壁が崩れ、瓦が道端に落ち、屋根をブルーシートで覆った家が増えた。いよいよ地震の被害の大きい地区に入ってきたのだと緊張した。輪島市内に入ると被災はさらに激しく、電柱や家屋が斜めに傾いていたり、1階が押しつぶされたりした倒壊家屋があちこちから目に飛び込んでくる。そこに住んでいた人は無事に逃げ出せたろうかと、心配になる。

午後4時半すぎに、救助などの拠点の1つである輪島消防署門前分署に到着。自宅を出て15時間、通常の倍近い時間を要した。本来なら疲れがどっと出てもおかしくないが、これから要救助者の捜索に向かうという緊張感と、ココが倒壊家屋の中でどこまで捜索ができるだろうかという期待と不安が交錯する。

時間との闘い、到着後すぐに捜索開始

到着早々、名古屋市消防本部から出動の要請を受ける。すぐに捜索現場へ向かった。車で5分ほど、家屋の1階部分が全壊した家の前に着いた。近くの電柱は傾き、電線は垂れ下がり、危険と分かるように電線には黄色いテープが下がっていた。

夕闇が迫る。捜索は時間との闘いでもある。私はヘルメットをかぶり、車のケージからココを出す。初めての現場に慣らすため、普通なら周辺をまず歩かせるのだが、その時間も惜しまれ、すぐに捜索態勢に入る。仲間の一人が風向きを調べるため粉をまく。粉は白い幕となり東から西にゆっくりとなびいた。

そもそも救助犬とは、犬が持つ鋭い嗅覚を使って、人が閉じ込められた時などに出すストレス臭をかぎ取り、要救助者を捜す。そのため捜索エリアの風下から捜すのが鉄則だ。

ココは空気中に漂うストレス臭をかぎ取ると、その発生源、つまり閉じ込められた人の近くまで行って吠えるように訓練されている。

午後4時45分、チームの隊長から最初にココで捜索を始めるよう指示が出た。私は消防士に部屋の中の状況を聞く。表通りから見て左から、押しつぶされた駐車場、居間、仏間と並んでおり、部屋同士は行き来できず、消防隊が中に入って懐中電灯を照らし目視し、声掛けしたが反応はなかったという。

まずは居間から捜索する。屋根に上り、ココを1メートルほどの屋根と屋根の隙間に入れた。唯一、居間と通じているところだ。

消防士から部屋の中の様子を聞き取る(輪島市門前町)
消防士から部屋の中の様子を聞き取る(輪島市門前町)

ココは居間の入り口の前を行ったり来たりしたが、特に吠えるような素振りや人を見つけた時によくやる尻尾を水平に振る仕草もしなかった。居間には反応を示さなかったので、戻ってくるように「来い」と指示を出した。

捜索現場の前の通りは集落のメインストリートのようで、時折、車が行き交う。その度に「車が通ります」と呼び声がする。救助犬はリード(引き綱)をはずして自由に捜索させるので、車が来ると「飛び出すなよ」と念じて、緊張する。

次に2階の下敷きになった駐車場の捜索だ。隙間を指して「捜せ」の指示。がれきとホコリが積もる暗がりの駐車場へ入って行く。ココは右に左に動き、最後は奥の方へ行ってしまった。どこにいるか足音で察知しようとするが、体重14キロの軽いココががれきを踏み締める音はなかなか聞こえてこない…。

ココが捜索していれば呼び戻すことは大事な活動を妨げることになるし、捜索していなければ呼び戻して、次の捜索を考える。しかし見えないところでは、ココに任せるしかない。

しばらくして隊長から別の救助犬を捜索に出すと指示が出た。というのも、犬の集中力は10分も続けばいい方だ。「来い!」と大きな声を出してココを呼んだ。すると駐車場の脇、建物の外側から戻ってきた。2頭目の救助犬は居間を、3頭目の救助犬は家屋の裏を捜索したが、結局、吠えることはなかった。

午後5時11分、現場が暗闇に包まれてきたので、「捜索を終了します」と隊長は告げた。

東日本大震災を胸にこれまでに山梨県道志村、静岡県熱海市で捜索活動

待機場所の門前分署に戻ってきても疲れは感じない。現場の捜索を二次災害なく終えられたという気持ちと、明日の捜索こそ援助隊の一助になりたいという思いでいっぱいだった。

それは2019年9月、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった小学生の女の子をココと捜索した時と同じだった。TEAM7の捜索は1日限りだったが、その日は大雨となり、大風も吹いた。靴の中は水浸し、下着まで雨水が染み込み、休んでは体を拭き、体を拭いては捜索に出た。そんな状況で丸一日、ココを連れて捜索したが、その時も現場ではまったく疲れを感じなかった。必死に捜す女の子の両親を前に、なんとか見つけたいという強い思いが疲れを感じさせなかったのかもしれない。ちなみに、ココと私は21年7月に発生した静岡県熱海市伊豆山土石流災害にも出動している。

2021年7月の静岡県熱海市の土石流災害で、捜索直後のココ
2021年7月の静岡県熱海市の土石流災害で、捜索直後のココ

私が協会に入るきっかけになったのは、2011年に発生した東日本大震災だ。自分が何もできなかったことがずっと心に引っかかっていた。その後、学習能力が高いといわれるボーダーコリーのココを飼い始め、その能力を何か役に立てられないかと思ったのだ。

救助犬は、基本的には協会が実施する育成試験と認定試験に合格してはじめて認定される。資格は2年間(新型コロナウイルス流行時は3年間)なので2年ごとに認定試験をクリアしないと救助犬でいられない。TEAM7の救助犬は現在、ココを入れて5頭いる。ココは3期連続で認定試験に合格、今年で救助犬7年目を迎えるベテランだ。

認定後も消防などとの合同の実働訓練を積み、災害現場でも力を発揮できる救助犬を育成する。日ごろの訓練は月に数回、週末に埼玉県富士見市にある協会の訓練場で行う。訓練場は小学校の校庭ぐらいの大きさで、倒壊を想定された家屋や2、3階建てのビルの高さがあるがれきの山などがあり、救助犬とハンドラーは要救助者などを捜索する訓練をしている。

捜索を終えた3日午後7時。夕食は熱いカップ麺と栄養補助食品などでお腹を満たした。それでも夜になると寒さが深々と身に染みてくる。私たちはわずか2日の滞在だが、避難所の人たちは停電、断水と厳しい環境が続き、被災した自宅の整理がこれから始まる。一刻も早い災害復旧を心から願う。

午後8時すぎ、犬の散歩。「今日はよく頑張ったな、明日も頼むぞ」とココをねぎらい、サツマイモのおやつをあげる。就寝するため私はダウンを着て、寝袋に下半身を入れる。それでも寒さと、たまに起きる地震とで眠りは浅く、夜中に4回ほど目がさめ、車の暖房を入れた。

被災者の思いに応えるために、訓練を積む

1月4日午前6時すぎに再び犬の散歩に行き、帰ってきたらすぐに出動するというので、準備して7時40分、門前分署を出発した。5分ほどで捜索現場に近い駐車場に着いた。すでに自衛隊が捜索していて、間もなく行方不明者を発見したと知らせが入った。ココたちが出動することはなかったが、「本当に良かった」と胸をなでおろした。救助犬が活躍しないに越したことはない、といつも願う。しかし、災害大国日本にいる限り、それは難しい。

午前7時50分、出動要請が解除された。緊張を解くため、犬たちをケージから出して、駐車場に残っていた雪の上でしばし遊ばせる。

門前分署に戻ると、今日は救助犬による捜索活動はなくなったということだった。明日もあるかどうか分からない。知り合いの救助犬団体が輪島市役所で待機しているので、連絡を取ると、輪島市中心部でも出動待機がずっと続いていて、今日も出動する可能性が低いらしい。その報告を受けて、TEAM7内で協議し、こちらへ向かっている後発隊のチームさくらの到着を待って、被災地から引き揚げることにした。

午後1時40分すぎ、後発隊が到着する。簡単な報告をして、TEAM7は2時半ごろ、門前分署を出発、帰りも道中は長い。メンバーを送って家に着いたのは翌5日の午前4時18分だった。帰りは14時間だった。

今回の出動で印象深かったことの一つは、避難所の方々が私たち救助犬チームの姿を見て、深々と頭を下げたことだ。熱海の土石流災害の時も地元の住民の方が私たちの前を通る時立ち止まって丁寧にお辞儀をした。「捜索、よろしくお願いします」と聞こえた。ココと懸命に捜索することがその返礼になるのだろう。

出動から帰宅した翌日、今年初の自主訓練に参加した。訓練を積めば積むほど、ココとの絆が深まる気がして、とても心強いのだ。

写真提供・日本救助犬協会TEAM7
編集協力:POWER NEWS編集部

〈災害救助犬育成への協力のお願い〉

いつ起こるか分からない災害時に出動するため、犬もハンドラーも定期的に訓練を重ねています。災害救助犬育成のための募金を以下で受け付けています。

郵便振替 00110-0-176779 特定非営利活動法人 日本救助犬協会
(郵便振替用紙には「募金」と明記してください)

2023年12月6日に実施された取手・我孫子消防との合同訓練でがれきの中を捜索するココ
2023年12月6日に実施された取手・我孫子消防との合同訓練でがれきの中を捜索するココ

訓練を重ねハンドラーと救助犬の信頼関係は深まる
訓練を重ねハンドラーと救助犬の信頼関係は深まる

災害 地震 災害対策 能登半島