ニッポンの異国料理を訪ねて: 日本人の妻が本場の味を再現した千葉・柏のコンゴ料理店「モティンディ」
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コンゴ人の夫と日本人の妻の邂逅
コロナが始まって外国が遠くなった2020年、ぼくはひとつの目標を立てた。
外国に行けないなら、日本の中でたくさんの国の人に会おう──。
そう思って異国食堂やお祭りに顔を出すうちに、いろんな国の友だちが増えていった。その中で最も多くつながったのが、自分でもまったく想像していなかったコンゴの人たちである。
アフリカ中部にはコンゴと呼ばれる国がふたつあり、コンゴ川をはさんで隣接している。ざっくりいえば川の北西がコンゴ共和国で、南東がコンゴ民主共和国。本稿で出てくるのは民主共和国のコンゴである。
ぼくがコンゴ人と仲良くなったのは、たまたま友人がコンゴ人と知り合ったのがきっかけだった。そこから同国で広く話されるリンガラ語を仲間と学ぶようになり、知識や人脈が広がっていった。リンガラ語で自己紹介するだけでゲタゲタと笑ってくれる彼らの笑顔が、学習の励みになっている。
ちなみにぼくが付き合っているコンゴ人は、ほとんどが難民だ。内戦が長く続いたこの国はいまも政情不安定で、祖国を追われる人が後を絶たない。多くは欧米に新天地を求めるが、日本に来ることになる人もいる。来日した彼らのほとんどは難民として認定されず、そのため就労できない苦しい日々を過ごしている。
さて、そんなコンゴのメシを味わえる店が千葉県柏市にあると聞いて、居ても立ってもいられず飛んできたのがJR・東武柏駅から徒歩5分、水戸街道沿いの『MOTINDI(モティンディ)』。 店を切り盛りするのは、コンゴ人のショーンさんと舞さんの夫婦。ショーンさんは難民ではない。
フランス生まれ、フランス育ちのコンゴ人、ショーンさんが仕事で日本にやって来たのはかれこれ20年前のこと。もともと日本文化に関心があった彼は、やがて日本に移住。柏で暮らすようになった。
「ぼくは幼い頃からサムライやニンジャに興味があって、日本に詳しかったんだ。それに休みのたびに訪れたコンゴの祖父母の家には白い冷蔵庫があって、そこには(パナソニックの旧社名の)『National』のロゴがあった。どんな家の冷蔵庫より大きくて、左右に開くんだ。思えば、そんなところから日本に縁があったのかもしれないね」
そして来日から5年後、彼は舞さんと出会う。そのストーリーがちょっと面白い。
舞「ショーンは私が働いていた携帯電話販売店の常連でした。そうそう来るところじゃないのに、ほぼ毎日来る。いつもプレゼント持参で。テンションが異様に高いから、最初はおかしい人なんじゃないかと思いました。でも彼は持ち前の明るさで、すぐに店のみんなと仲良くなり、気がついたらお付き合いが始まっていたんです」
当時、ショーンさんは自ら興した芸能事務所で社長をしていた。そこには多くのダンサーが所属し、さまざまな店やイベントに派遣されていたが、やがてそこに舞さんも名を連ねるようになる。
舞「ある時、彼のスタジオで踊ったらすごく楽しくなっちゃって、これで食べていけたら面白いと思ったんです。携帯電話の店はすぐやめて、ダンスを懸命に学んでステージに立つようになりました」
面白い! と思ったら直感を信じて突き進む。舞さんはまっすぐな人なのだ。
コンゴやアフリカのために
だが、ふたりの充実した日々に暗雲が垂れ込める。コロナ禍が始まり、仕事は次々とキャンセルに。ショーンさんは事務所を畳まざるをえなくなった。そして新たな道を模索するふたりが思いついたのがコンゴ・レストラン。2020年、ふたりは地元の柏に『モティンディ』を開店する。
販売員からダンサー、そして飲食店経営という目まぐるしい展開。ここで、ぼくはふと思う。
──コロナ禍に飲食なんて、よくもまあ思い切ったことを。
ぼくの疑問を引き取ってショーンさんが語り始める。
「ぼくには実業家としてコンゴの発展に尽くした叔父がいて、自分も彼のようにコンゴやアフリカに役立つことをしたいと前々から思っていました。コンゴ料理のレストランも、そのころから温めていたアイデア。店の名前も、その尊敬する叔父からつけることにしたんです」
厨房には舞さんが立ち、ショーンさんが接客を担当するが、舞さんはレストランを出すことになってコンゴ料理を身につけたわけではない。初めてコンゴに滞在した時、現地の料理のおいしさに感激した彼女は勢い余ってコンゴ料理を習い始め、試行錯誤の末にマスターしていたのだ。
舞「ショーンと出会うまで、コンゴなんて全然知りませんでした。でも(コンゴの首都)キンシャサに行って、料理のおいしさに驚いたんです。これは自分でも作りたい! そう思って、泊めてくれた彼の親族の家で習いました。みんなが調理をしている時に、ペンと紙を手に傍らに立って、作り方を一から教えてもらったんです。私はコンゴの言葉ができないし、当時はまだスマホがなかったから動画も撮れない。そんな中でも、みんな親切に手順や分量を教えてくれました」
ショーン「初めて一緒にコンゴに行った時は、外でも家でも、いつも食べてばかりだったよね。舞がコンゴの料理を気に入りすぎて、念のために持って行ったカップラーメンは手つかずだったくらい」
舞「コンゴで教わった料理を、日本に帰ってきて何度も作って食べてもらったよね」
ショーン「これはまずいよ、なんて何度もダメ出ししたけど、舞は全然あきらめなかった」
舞「あの時はお店を出すなんて考えてない。それなのになぜあれほどがんばれたかというと、私が単純に美味しいコンゴ料理を食べたかったから。現地で食べた、あのおいしさに少しでも近づきたい。その一心だったんです」
日本人の口に合う都会的コンゴ料理
メニューには日本では見慣れないユニークな料理が並ぶが、その中でも舞さんが最も思い入れがあるのが、「マデス、ンドゥンダとマカヤブのプレート」2,500円。
白いんげんをトマトソース、鶏のだし汁で煮込んだマデスはまろやかでコクがあり、ほうれん草を炒めたンドゥンダは、おひたしにも通じる柔らかな食感。これを干しダラのマカヤブに混ぜると、塩気がちょうどいい塩梅にプレート中に行き渡ってスプーンが加速。
「ああ、これは日本人の口に合いますねえ」とぼくが感嘆すると、舞さんはうれしそうに言った。
「そうなんです。これが私がコンゴで最初に食べて感動した味なんです。なんて美味しいんだ! って」
ショーンさんの親族が暮らすキンシャサは洗練された文化の発信地であり、アフリカを席巻する「リンガラミュージック」や、高級ブランドをまとって通りを練り歩く集団「サプール」が広く知られている。素材の風味を生かした舞さんのコンゴ料理も例外ではない。音楽やファッションに通じる、都会の垢抜けたセンスが感じられる。
ふたりが手作りしたアフリカンテイスト満載の店で、リンガラミュージックに包まれながら舞さんのコンゴ料理を堪能する。それは『モティンディ』でしか味わえない唯一無二の時間。店や料理の写真をたくさん撮って知り合いのコンゴ人に送ったら、すぐさまリンガラ語で興奮気味にLINEが返ってきた。
「あなた、いまキンシャサいるの⁉」
今度連れて行ったら、故郷の味に大喜びするだろうな。
バナー写真:『モティンディ』を切り盛りする、ショーンさんと舞さん夫妻。衣装も本場風だ 写真:熊崎敬