手書きの感想文がつなぐ上皇ご夫妻と東北の高校生 : 田部井淳子さんの遺志を継ぐ「富士登山」

社会 教育

登山家の故・田部井淳子さんは、東日本大震災の翌年から復興を担う若者を元気づけようと「東北の高校生の富士登山」プロジェクトをスタートさせた。田部井さんが他界した後は、長男の進也さんが遺志を引き継ぎ、今年も26人の高校生を率いて登頂を果たした。そして被災地復興に心を寄せ続けてきた上皇ご夫妻も、富士山頂を目指す高校生たちの挑戦を、毎年届く「感想文」を通じて見守り続けている。

上皇ご夫妻から高校生への激励 「気を付けて」 

「もしもし、タベイさんですか? こちら、宮内庁です」

毎年初夏になると、田部井進也さんのもとに宮内庁の職員から電話がかかってくる。要件も決まっている。上皇ご夫妻からの「激励」の取り次ぎである。

上皇ご夫妻は、亡き母・淳子さんが始めたプロジェクト「東北の高校生の富士登山」(一般社団法人田部井淳子基金主催)に挑戦する高校生たちのことを気にかけ、こんな言葉で激励してくれるという。

「もうすぐ東北の高校生の富士登山ですか?  今年もよろしくお願いしますね。気をつけて行ってらっしゃい」

淳子さんは1975年、エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰のエベレストに女性で世界初めて登頂に成功。92年には女性初の7大陸最高峰登頂者となった。2016年10月20日に77歳で亡くなるまでに、世界中の山を訪ね歩き、76カ国の最高峰・最高地点を踏破した。

女性として初めてエベレスト登頂を果たした田部井淳子さん(左から2人目)は、東宮御所に招かれ当時の皇太子ご夫妻(東京・港区の東宮御所)と懇談した[代表撮影](1975年6月20日、時事)
女性として初めてエベレスト登頂を果たした田部井淳子さん(左から2人目)は、東宮御所に招かれ当時の皇太子ご夫妻(東京・港区の東宮御所)と懇談した[代表撮影](1975年6月20日、時事)

そんな淳子さんが東北の高校生の富士登山を始めたのは、震災の翌年、12年の夏のことだ。震災直後から、故郷の福島県三春町をはじめとする被災地支援に奔走する中、「これから復興を担う若い世代のために」と、各方面から寄付を募り、被災3県の高校生を富士山頂へといざなうプロジェクトを立ち上げた。

登頂した高校生を笑顔でたたえる田部井淳子さん(2013年、田部井淳子基金提供)
登頂した高校生を笑顔でたたえる田部井淳子さん(2013年、田部井淳子基金提供)

淳子さんの他界後は長男の進也さんがリーダーを継承してプロジェクトを続け、過去12回の参加者は延べ約800人。高校生2人に対して、登山の経験豊富な大人が1人随行することで、これまでの参加者全員が登頂し、無事に下山してきた。今年も7月に26人が富士山に挑み、全員が登頂を果たした。

被災地に寄り添う姿勢、譲位後も変わらず

上皇ご夫妻が、東日本大震災の発災当時は天皇と皇后の立場から被災地の状況に心を痛め、被災者たちに寄り添い続けたことはよく知られている。発災直後から7週連続で被災地を訪ね、避難所の床に膝をつけるなどして被災者に向き合い、見舞いの言葉をかけて回った。

19年の譲位以降もその姿勢は変わらず、東北復興を担う若者たちのためのプロジェクトを人知れず見守り、応援し続けているのだ。

進也さんのもとに上皇ご夫妻からプロジェクトへの「激励」が届くようになったのは、淳子さん亡き後のことだ。

17年3月、上皇ご夫妻(当時は天皇ご夫妻)は東京・昭島市で開かれた回顧展「田部井淳子・思い出の展示会」を見学された。この際、上皇ご夫妻を案内したのが長男の進也さんだった。見学後のご休憩の折にも、進也さんや父の政伸さん、そして姉の教子さんを部屋に招き入れ、淳子さんの思い出話や、「東北の高校生の富士登山」の話を、楽しげに聞き入っておられたという。

田部井淳子さんの回顧展を、長男進也さん(左)の説明を受けながら見学される天皇、皇后両陛下(2017年3月29日、東京都昭島市)(時事)
田部井淳子さんの回顧展を、長男進也さん(左)の説明を受けながら見学される天皇、皇后両陛下(2017年3月29日、東京都昭島市)(時事)

この見学から数日後。侍従から進也さんのもとに「すぐ来ていただけますか」と電話があった。若かりし頃は淳子さんもお手上げの「やんちゃ息子」だった進也さんだけに、「怒られると思いました。陛下に対する口調が悪かったとか」と覚悟したという。

緊張して皇居に出向くと、予想に反して侍従は笑顔で迎えてくれた。「皇后さまが、これを進也さんにと」。手渡されたのは、美智子さまが「山」をテーマに詠まれた和歌を集めた本だった。

高校生の感想文 ありのままを「皇居」に送る

このお気遣いに大いに感激した進也さんは、「おふくろ譲り」と自認する大胆な行動に出る。前年に実施された「富士登山」の報告書を、皇居あてに郵送したのだ。こんな手紙を添えたという。

「もう来年の富士登山は始まっています」と田部井進也さん。1年がかりで寄付金集めに奔走する ©IKAZAKI Shinobu
「もう来年の富士登山は始まっています」と田部井進也さん。1年がかりで寄付金集めに奔走する ©IKAZAKI Shinobu

〈和歌の本、ありがとうございました。先日お話させて頂いた「富士登山」の、高校生たちの感想文をお送りします。もしもよかったら、読んでください〉

プロジェクトでは毎年の登山から戻ると、参加した高校生に感想文を書いてもらい、「報告書」として製本し、プロジェクトに寄付をしてくれる企業や個人に届けてきたものだ。高校生のありのままを伝えたいからと、一人ひとりの手書きのまま、印刷する。

参加した高校生の感想文を冊子にして、資金を提供してくれた個人や企業などに送っている(田部井淳子基金提供)
参加した高校生の感想文を冊子にして、資金を提供してくれた個人や企業などに送っている(田部井淳子基金提供)

「誤字脱字があっても直したりせず、そのままにしています。それも彼らの等身大の姿ですから」

この皇居あての報告書がどうなったかは、進也さんにも分からない。だがこの後から、「富士登山」の季節になると、お2人からの「激励」が寄せられるようになった。そして「激励」を頂いたあと、きまって宮内庁の職員からこう念を押されるという。

「報告書も、必ずお願いしますね。お2人がとても楽しみにしておられますので」

進也さんはこう語る。

「上皇さまと上皇后さまに応援して頂き、本当にありがたいです。高校生のありのままをお伝えしたいので、事前に『上皇ご夫妻が読む』とは伝えません。そしてこれまで通り、彼らが書いたものをそのまま製本して、お送りしています」

高校生たちには、報告書を発送する段階になって初めて、「感想文は上皇ご夫妻のもとに届ける」と伝えているという。「驚くでしょうが、大きな励みになると思います」。

22年夏の「富士登山」の報告書を見せてもらった。

宮城県の高校2年生の女子生徒は、悪天候の中で後悔の気持ちに揺れながらも、仲間に助けられて登頂し、無事下山できた喜びをつづっている。「自分の足で富士山の山頂まで登り、下りてきたことで、自分も何かできるかもしれないと思い始めた」。

登頂して笑顔の記念撮影(田部井淳子基金提供)
登頂して笑顔の記念撮影(田部井淳子基金提供)

宮城県の高校2年生の男子生徒は、「富士登山」で深めた思索を記している。

往路の早い段階に高山病で苦しむ数人の高校生に遭遇したが、周囲に支えられて頂上を目指す姿に、「仲間たちと、自然に応援の声をかけてしまいました」。その後、自身も高山病に襲われた。だが、「あの人たちが頑張って今も歩き続けている」と自分を鼓舞し、歩き通した。「人の姿は他の人に大きな影響を与えることができる」ことを実感したとつづる。

参加費3000円の意味 「被災者だからこそ、強くなれ」

「東北の高校生の富士登山」のプロジェクトリーダーとして、進也さんが東北の高校生に向き合う時に必ず伝えることがある。それは「被災者だからこそ、強くなれ」ということだ。その象徴が、高校生たちが応募する際に必要な「参加費3000円」である。

淳子さんはプロジェクトを始めた時、「無料にする」と考えたが、進也さんは「被災者のためにならない」と反論した。自身も福島県猪苗代町で被災した身だったからだ。

「プロジェクトの趣旨は、被災した彼らが富士登山を通じて何かを乗り越え、何かを感じることです。高校生自身が自分の意思と責任で参加できる形じゃなきゃ意味がないと、反論しました」と進也さん。高校生の小遣いの平均額とされる月5000円を基準に考えて3000円に決め、応募動機などで参加の可否を決める「選考制度」とした。

頂上に到達し、リーダーの進也さんとハイタッチする高校生(田部井淳子基金提供)
頂上に到達し、リーダーの進也さんとハイタッチする高校生(田部井淳子基金提供)

「被災地で育つ子どもたちは、ほかの土地の同世代に比べ、しんどいことが多いわけです。でもだからこそ、強さを身につけなくては」

しんどいよな。でもそれを乗り越えるために、一緒に強くなろうぜ―。それが、進也さんがこのプロジェクトに込めるメッセージなのだ。

メディアから「富士登山」の意義を尋ねられると、進也さんがよく紹介するエピソードがある。初回の参加者で、見るからにやんちゃな男子高校生がいた。登りながら「だりぃ」を連発する少年に、進也さんは「だったら帰れよ。申し込んだのはお前自身だろう」と叱った。少年は何とか登頂し、携帯電話を取り出してうれしそうに頂上の写真を撮りまくっていた。

後日、少年の母親から手紙が届いた。「息子から初めて、メールが届きました」。少年が富士山に持参した携帯電話は、津波に巻き込まれ、命を落とした父親の形見だったという。

震災を知らない世代 ゆらぐプロジェクト存続の「大義」

一方で、プロジェクトを継続する難しさは年々増している。

東北からバスで富士山へ向かい、無事に下山させるまで、交通費や山小屋の宿泊費、サポーター(登山家)の人件費などで、一人当たり8万円から9万円になる。不足分は企業や個人から募る寄付金をあてているが、燃料費や物価の高騰で、「富士登山」の経費も上昇している。

そしてあと数年で、東日本大震災を経験していない世代が高校生になる。その時にこのプロジェクトを続けていく「大義」を保てるのか否かは、進也さんにも分からない。

「寄付を頂いている方々の意向から、判断するしかないと思います。おふくろは『1000人までお願い』と言っていましたが、僕はもう人数じゃないと思っていて。必要なら一人や二人でも富士山に連れていくことの方が、大事ですから」

卒業生たちが社会の一員として頑張っている知らせは、毎年のように届く。去年の「富士登山」の前には、11年前の初回に参加した高校生が社会人となり、「これからは支える側に立ちたい」と、寄付金を出してくれたという。

プロジェクトは間違いなく、被災地を生きる子どもたちを力づけてきた。進也さんは「形を変えてでも続けられるなら、その方がいいのかも」と苦笑いする。

世界的登山家が遺し、被災地復興への思いを託して上皇ご夫妻が見守る「東北の高校生の富士登山」。震災の記憶と同様、風化させないための模索は続く。

「ゆっくり、一歩一歩」。生前の田部井淳子さんの人生訓を高校生たちが受け継いで歩く(田部井淳子基金提供)
「ゆっくり、一歩一歩」。生前の田部井淳子さんの人生訓を高校生たちが受け継いで歩く(田部井淳子基金提供)

「東北の高校生の富士登山」プロジェクトについてはこちら

取材・文:浜田奈美、POWER NEWS編集部
バナー写真 : 「東北の高校生の富士登山」2023年の参加者(田部井淳子基金提供) 

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