ニッポンの異国料理を訪ねて: 5つ星ホテルの料理人が腕を振るう東京・東十条のバングラデシュ料理店「プリンスフードコーナー」
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知られざるエスニックフードの名店
東京都北区、万国旗がはためく昔ながらの東十条駅前商店街。この商店街には毎週金曜日になると、見慣れない服装に身を包んだ男たちがどこからともなく集まってくる。
頭にちょこんと載せた白い帽子と、首から手首、足首までを覆ったふっくらとした服装。あごひげをたくわえた人も少なくない。彼らはムスリムと称されるイスラム教徒たちで、駅から徒歩3分の小さなモスク「マディナ・マスジド東京」に吸い込まれていく。金曜日はイスラム教の礼拝が行われる、大切な一日だ。
モスクにやって来るのは、人口の9割がムスリムというバングラデシュからの移民たち。東十条には「リトル・ダッカ(同国の首都の名)」と呼ばれる日本最大のバングラデシュ・コミュニティがあり、同国から移り住んだ人たちが1000人ほど暮らしている。近隣の王子や赤羽、十条などを含めると、その数は1500人を超えるらしい。
1990年代前半、バングラデシュからやって来た人がハラル食材店を出したことをきっかけに、東十条には同国の留学生やITエンジニアなどが集まり始めた。それに伴って食堂や食材店が増え、近年ムスリムの寄付によって、ついに念願のモスクが建つまでになった。
実は東十条には、バングラデシュの住民をさまざまな形でサポートしてきた日本人男性がいるという。小松健一さんだ。
「2018年だったかな、バングラデシュ出身の知人がハラルマートを出すというので内装工事なんかを手伝っていたら、店番まですることになったんです。お菓子や野菜、スパイスの名前を覚えるのが大変でしたね」
次第にバングラデシュの知り合いが増えていき、複雑な役所の書類、例えばコロナの給付金の書類なんかを手伝うようになったという。
東十条駅の東口にはスパイスの香りが漂い、いくつかの“バングラ食堂”、食材屋が目につく。その中でぼくはモスク裏手の「プリンスフードコーナー」に飛び込んだ。オーナーのアリ・ジャラルさんが、この店を始めたのは3年前。界隈のバングラ食堂の中では新参だが、エスニックフードの愛好家にはけっこう知られているらしい。
小屋と呼んで差し支えない小さな店は、店内が定員6名。屋外に面したカウンター席もあり、こちらは2、3人が座ることができる。恐ろしく暑い8月の正午過ぎだったが、ぼくは気分を優先してカウンターに陣取り、店員のアリフさんに勧められたビーフビリヤニを注文する。
やがて出てきたビリヤニは、ライムにトマト、キュウリがふんだんに盛りつけられた色鮮やかな一皿だった。量はかなり多い。だが、スパイスの香りと風味豊かなビーフに食欲を刺激され、スプーンと額の汗が止まらなくなった。野菜の爽やかな食感もアクセントになり、気づけば完食。
「あー、満腹」と天を仰いでいたら、アリフさんが「これはバングラデシュで、みんなが飲んでいるんですよ」と言って、細かく刻んだショウガを入れた甘酸っぱいミントチャイをごちそうしてくれた。チャイをいただきながら、アリフさんと雑談していたら、彼が日本に来た経緯が少しずつ分かってきた。
フレンドリーなムスリムたち
現在38歳になるアリフさんが来日したのは5年前。7人兄弟の末っ子で、父が若くして亡くなったこともあって、中学卒業後に働き出したそうだ。
「ダッカの5つ星ホテルで料理人をしていたんです。そのホテルにはインド料理やイタリア料理など多くのレストランがあって、シェフは50人もいました。私ですか? イタリアンを担当していましたが、料理ならなんでもつくる自信があります。でもホテルのレストラン部門は厳しい競争社会で、出世するのが難しい。私はグループのリーダーまで行きましたが、景気の悪化とともにサラリーが減らされていったので辞めることにしました」
17年間勤めた職場を辞め、アリフさんは日本行きを決意する。というのも、東京に暮らす友人が「こっちはいいところだぞ」と誘ってくれたからだ。
「日本に来て東十条に暮らし始めたぼくは、東京でも高級ホテルで働きたい、できればインド料理のシェフとして、と思っていろいろ当たりました。でも難しかった。日本のホテルにはそもそもインド料理を出すところがほとんどないし、加えてぼくは日本語がうまくないからです。そんなこともあって、ぼくはいまここで働いています」
5つ星ホテルの夢はかなわず、仕事場となったのは東十条駅前の小さなプリンス。日本での第2の人生は、思ったほど順調ではないらしい。だがアリフさんは、日本に来たことを後悔はしていないようだ。むしろ、日本での暮らしを気に入っている。
「日本はとても安全で、とてもきれいじゃないですか。それに人々も親切ですから」
すると店内にいる彼の同胞たちが、口々に「日本は安全できれいで素晴らしいですよ」などと言い出した。屋外カウンターにいるぼくは厨房のアリフさんとしゃべっているが、厨房の向こうのテーブル席も近いので、カウンター、厨房、テーブル席のみんなが一緒に会話できる。プリンスはとても風通しがいい店だった。冬は寒くて困るらしいけど。
異国食堂というと、日本人のひとり客には敷居が高い印象もあるが、プリンスは違う。この店はとてもフレンドリーだ。通りの向こうのモスクから礼拝を終えた人たちが店の周りに集まり始め、カウンターでひとりビリヤニに励む私に気さくに話しかけてくれる。
「ここのビリヤニはいかがですか? 東京でいちばん旨いんですよ」
「キュウリとトマトをもっと混ぜるとおいしくなります」
「ぼくは大工をしているけど、東京の夏は暑すぎて死にます!」
「この狭いカウンターはダッカの屋台みたいで、ぼくも好きなんですよ」
日本語学校に通っている人も多いようで、会話も弾む。その雑談の中から分かったのが、この国の人たちには親日家が多いということだった。それは日本が長年、ODAなどで開発援助を行っていることが大きいようだ。農業、教育、IT、道路といった、さまざまな分野での日本の貢献が、多くの人たちに浸透しているのだ。
さらにもうひとつ。1990年代には同国で日本のドラマが放送され、親日家の拡大に貢献したという。戦中、戦後の混乱期をたくましく生き抜いた女性の一代記。そう、朝ドラの『おしん』である。海外でも68の国と地域で放送された『おしん』については、かつてイラン人に「放送時間になると街なかから人通りが消えた」というエピソードを聞いたことがあるが、バングラデシュでもかなり人気だったらしい。アジアでも貧しいとされる同国だけに、並外れた苦労の中でも前向きに人生を歩む主人公の姿は、多くの人の胸を打ったのだろう。
「ビリヤニにはコーラがいちばん」
店の周りの路地では、モスクから出てきた人たちがプリンスの軒先に並ぶキュウリやマンゴーを買い、仲間たちと分け合って頬張っている。
「バングラデシュでは、みんなこんな感じでやっているんですよ」
そう言ってカウンターの隣でしゃべり出したのは、来日わずか2カ月のラナさん。故郷でボランティア活動にいそしむ中で、JICA(国際協力機構)の日本人女性と知り合い、結婚して日本で暮らし始めたのだという。
「ぼくはビリヤニには、コーラがいちばん合うと思うんだよね」
彼はそう言って、すでにビリヤニを食べ終えたぼくに、コーラを1本おごってくれた。チャイに続いてコーラ、おまけにキュウリまで勧められるので、ついつい長居することになった。その中で私は気になる情報を耳にした。どうやらこの日の晩、モスクに大勢で集まり、食事会をするらしい。
アリフさんが、大鍋をかき混ぜながら教えてくれた。
「イスラム教にはラマダンという断食月があって、それが明けるとイードという犠牲祭をするんです。このカレーも、そのために仕込んでいるんですよ」
大鍋でグツグツ煮込んでいるのは、犠牲祭で供されるビーフカレーだった。丸太のような骨がカレーから飛び出している。あまりに旨そうなので、ぼくはダメ元で尋ねた。
「えー、私はムスリムではないのですが、モスクでそのカレーをいただくことはできないですか?」
すると、みんなはあっさり「大丈夫だと思うよ」と言う。ただ、半ズボンではモスクには入れないというので、ぼくは一度帰宅し、長ズボンに履き替えて東十条に出直した。
モスクでの作法がまったく分からないぼくは、黙ってプリンスで知り合った人に倣い、じゅうたんの上に座ってカレーを待つことにする。やがてイスラム教の聖典クルアーンがスピーカーから流れ、館内は重々しい空気に包まれる。ある一節になると人々は読書をするように手のひらを広げて目をつむり、それが終わると黙々とビーフカレーを食べ始めた。
ぼくは見よう見まねで、右手でカレーとライスを混ぜながら口に運ぶ。さらっとしているカレーは、ライスと混ぜるほど味わいが増していく。ほろほろと崩れていく骨付きビーフもやみつきになりそうだ。
ふらりと立ち寄ったバングラ食堂。そこには気のいい人たちがいて、思わぬところからムスリムの世界を垣間見ることができた。これだから異国食堂はやめられない。
バナー写真:料理なら何でも作れるという「プリンスフードコーナー」の料理人・アリフさん 写真:熊崎敬