台北のレトロな問屋街・大稲埕: 日本人観光客にも人気 からすみ専門店「李日勝」の伝統と革新

文化

台北市西側にある迪化街は、淡水河の近くにあり、清朝・日本統治時代には「大稲埕」と呼ばれていた。1860年の開港以来、台湾のあらゆる食料品の集散地として栄え、日本統治時代には多くの裕福な実業家が集まった。第二次世界大戦後、市街地の発展により一時は衰退したが、ここ10年ほどで町の再開発が進み、レトロな街並みを生かしたおしゃれなエリアとして注目されている。

150年以上にわたる商品の集散地

大稲埕の古い街路には、さまざまな乾物店が軒をつらねる(筆者撮影)
大稲埕の古い街路には、さまざまな乾物店が軒をつらねる(筆者撮影)

台北で最も歴史ある問屋街とされる迪化街。漢方薬、からすみなどの乾物、布地を扱う問屋が集積している。迪化街地区に入ると、どこからともなく漢方薬やお茶の香りが漂ってくる。数百メートル続く古い街区には、日本統治時代からの築100年級の洋風建築が多い。奥に向かって歩いていくと、伝統的な乾物を中心とした食材を扱う、おしゃれな「李日勝」という店が見えてくる。出迎えてくれた三代目の店主は、店の名前と同じ李日勝さん。

店は10年ほど前にリノベーションして、商品がよく見えるようなディスプレイで、こだわりのあるパッケージも目を引く。看板商品の「からすみ」は4台の冷蔵庫にサイズごとにきれいに並べられていた。食材が入った麻袋をずらりと並べ、量り売りしているような昔ながらの乾物屋と比べると、広々として清潔感のある「李日勝」は、若者もフラリと立ち寄りやすく、買い物している人も多かった。

「李日勝」の店舗は内装が改装して、おしゃれな外観になっている(筆者撮影)
「李日勝」の店舗は内装が改装して、おしゃれな外観になっている(筆者撮影)

「李日勝」はもともとは祖父が開いた店だ。日本統治時代、李日勝氏の祖父は、乾物屋の見習いとして大稲埕にやってきて、日本語と台湾語で食料品の販売を手伝うようになった。「15歳になると、別の店の従業員として雇われた。昔は進学しなければ、若いうちから働くのが普通だったから。祖父は長い時間をかけて乾物の知識を蓄えた」 と李さん。

第二次世界大戦後、一大決心をして、それまで培ってきた人脈をもとに、食料品や乾物などの卸売を中心にした店を開いた。1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、当時の日本は主権的独立の国として、改めて台湾における中華民国との国交を回復した。その後、日本は高度経済成長期に入り、1960年代以降、日本の商社が頻繁に大稲埕に買い付けに訪れるようになった。

李さんはドライマンゴーやドライグアバなどの製品を見せながら「うちが日本に輸出している乾物は、地元の干しシイタケやドライフルーツ。特にドライフルーツは好評だよ」と話した。

祖父は 1980年代に引退した後、店を3人の息子に引き継いだ。「李日勝」は次男が任された店であり、次男は息子が生まれると、店の名前と同じ「日勝」と名付けたため、三代目にして店の名前と経営者の名前が一致したのだ。

天然で手作りにこだわったカラスミ

台湾でのカラスミの生産の歴史は古く、日本の江戸時代には「三珍味」の一つにも挙げられた(李日勝提供)
台湾でのカラスミの生産の歴史は古く、日本の江戸時代には「三珍味」の一つにも挙げられた(李日勝提供)

大稲埕に軒を連ねる店には、それぞれにユニークな人気商品がある。「李日勝」の一番人気は、からすみだ。からすみは、安土桃山時代に中国を経由して長崎に伝わり、江戸時代には「三大珍味」と称され、今も長崎の特産物として全国的に知られている。

李さんは、「回遊魚のボラは世界中でとれるので、地中海諸国から南米のブラジルまで、世界各地に独自のからすみ文化がある」と教えてくれた。台湾のからすみも、その気候風土によって独特の風味を持つ。「日本のからすみはカリカリでサクサクしているのに対して、台湾のカラスミはねっとりとした食感で、噛むと油分が歯に残るような感じ」だという。

手作りのカラスミは、職人の経験に基づいて塩分や食感を丁寧に調整している(李日勝提供)
手作りのカラスミは、職人の経験に基づいて塩分や食感を丁寧に調整している(李日勝提供)

伝統製法にこだわる「李日勝」のからすみの熟成には、日光による自然乾燥と適切な湿度が必要だ。 「台湾語では『柔らかな日差し』と言いますが、灼熱の太陽であってはならないんです」と説明する。日差しが強すぎると、外側だけが早く乾燥し、中央部分には水分が残り、味が酸っぱくなってしまうそうだ。「柔らかい日差し」「柔らかい風」で、脱水と乾燥という地味な作業を繰り返してこそ、からすみはゆっくりと熟成することができる。

日照量や降水量のほかに、塩加減や裏返すタイミング、硬さの確認も大事だ。 李さんが「ちょっと触ってみて」と渡してくれたからすみには、心地よい弾力があった。「良いカラスミは、グミや手をぎゅっと握った時の親指の付け根のような弾力が必要で、製造の過程では水分と乾燥の臨界点を把握することが大切だ」という。「李日勝」は“唯一野生、唯一純手工” をうたう。台湾で、天然のボラの卵巣を使い、手作りにこだわった製法を取っているのは彼らだけだという。

「柔らかい日差し」と「柔らかな風」で、最高の品質に仕上げる(李日勝提供)
「柔らかい日差し」と「柔らかな風」で、最高の品質に仕上げる(李日勝提供)

伝統工法と新世代パッケージ

伝統的な製法を守るため、李さんの祖父はかつて台湾中部の雲林県に自家工場を設立し、今でも多くの職人がからすみづくりをしている。「手作業には教科書がないので、経験を重ねるしかない。うちの職人たちは全員が台湾でも有数の技術を持っている」。現在台湾のからすみ製造業者は、ほとんど養殖魚を使い機械乾燥による大量生産に切り替えたが、「李日勝」は、天然漁法と手作りにこだわるため、月に数百キロしか生産できない。

天然の魚を扱う難しさは、魚のサイズがまちまちであることだ。「養殖は非常に成熟した技術だ。科学的かつ標準化された方法で商品を効果的に管理でき、時間も短縮できる」と考えている。しかし、養殖はボラは狭い生け簀の中で育ち、同じ餌を食べるという欠点がある。天然のボラは、肉がしっかりしていて脂がのっているが、大きさが一定しないので、手作業によるサイズを分類など手間がかかるのが欠点だ。

それでも、「李日勝」では、祖父の代から変わらず同じ船主と契約して、天然のボラを仕入れている。「うちが伝統的な手作りのからすみの “最後の砦” ですから」と冗談めかしていったが、その価値には、絶対の自信を持っているようだ。

カラスミを気軽に食べてもらおうと、手軽に食べられる「一口サイズ」パッケージも販売(筆者撮影)
カラスミを気軽に食べてもらおうと、手軽に食べられる「一口サイズ」パッケージも販売(筆者撮影)

最近では、若者にも手軽に食べてもらおうと、あぶったからすみを薄くスライスして真空パックにした一口サイズパッケージも販売している。手間いらずで、保存もらくとあって、日本人観光客にも人気だ。

店内の中にある乾物には、種類ごとにレシピや保存方法など紹介した小さなカードを用意してあり、商品を買った人は自由に持ち帰ることができる。また、英語と日本語が話せるスタッフがいるので、観光客にとっては心強い。

かつての日本統治時代や第二次世界大戦後、大稲埕は多くの日本人が買い付けに来た場所だったが、1972年に日本が中華民国政府と国交を断絶した後、両国間の貿易は深刻な後退に見舞われた。また、1980年代以降、台北市の発展の中心は徐々に東部に移り、西部の大稲埕や万華などの古い町は衰退し、若い世代は寄り付かなくなった。

日本統治時代の大稲埕付近は、台湾で最も栄えた劇場「永楽座」や永楽市場を擁する「永楽町」など多くの町で構成されており、その一帯は東京の浅草のような雰囲気で、毎日夜遅くまで賑やかだった。 近年、行政主導で、歴史ある建物がリノベーションされ、新しいカフェやパブなどに生まれ変わり、どこか懐かしい雰囲気が漂うおしゃれな街となっている。

大稲埕では近年、都市再生が進み、新しいスタイルのカフェや書店が数多く登場している(筆者撮影)
大稲埕では近年、都市再生が進み、新しいスタイルのカフェや書店が数多く登場している(筆者撮影)

「変わる」と「変わらない」こと

特にドラマ『孤独のグルメ』台湾編が出張編が放送されてからは、大稲埕の名が日本の若い世代にも知られるようになった。俳優・松重豊演じる主人公・五郎が、人気の食堂の道路にはみ出して並べたテーブル席に座り、魯肉飯や鶏肉飯、台湾風野菜の煮込みなどをおいしそうに食べる姿が印象的だった。

五郎が食べた店と、そのすぐとなりの「永楽市場」も1915(大正4)年に設立された古い市場で、台湾料理屋や大衆酒場が軒を連ねている。多くの新世代の日本の若者が大稲埕を旅行し、台湾ビールを飲み、台湾の居酒屋料理を食べるようになった。取材中も、路地を散策していると、たくさんの若い日本人ツーリストに遭遇した。

李さんによると、「最近は外国人観光客の大半が日本人で、ほとんどが20代、30代」だという。かつて、ここを訪れる日本人は、ビジネスマンや台北に住んでいた日本人だが、近年MRT(地下鉄)の開通や都市再開発により、この界隈はまた違った様相を呈している。

大稲埕は、再開発で新しく生まれ変わろうとしているが、李日勝さんは、「時代に流されすぎない方がいい」と考えている。

「京都と同じように、地元の人たちは、この街が昔ながらの風情を残していることを今でも誇りに思っている。近所の顔見知りがあいさつを交わす、ぬくもりのある街」。

150年以上にわたって一大商業地としての歴史を重ねてきた大稲埕は、新しさの中にも絶妙のバランスで伝統を維持し、この地を訪れる観光客に地域の歴史と文化を伝えている。

大稲埕乾物店「李日勝」の三代目店主の李日勝氏(筆者攝影)
大稲埕乾物店「李日勝」の三代目店主の李日勝氏(筆者攝影)

バナー写真:「唯一野生、唯一純手工」をうたう「李日勝」のからすみ。天然のボラの卵巣を職人が手作業で加工する(李日勝提供)

台湾 乾物 からすみ