剥製や化石を手掛かりに絶滅したニホンアシカの生態を探る : 忘れ去られた悲劇の海獣を追う(後編)

環境・自然・生物 歴史 科学

水族館でしか見たことがないアシカが、つい100年ほど前まで東京にほど近い三浦半島や房総半島の近海に生息していたことをご存じだろうか。明治期に入り、皮と脂を取るための乱獲などにより実質的に絶滅してしまったニホンアシカの痕跡を、写真家・林道子が追った。

(前編)は こちら

生物教師の直感

大阪府立岸和田高校の鈴木保夫教諭は、2005年の「愛・地球博」で展示されていたニホンアシカの剥製を見て「うちのとほぼ同じや」と直感した。

岸和田高校は、1897(明治30)年創立の伝統ある進学校。学内には、「解体新書」「学問のすすめ」の初版本など1500点以上の和漢書や、生物標本、物理実験器具を集めた科学資料など、明治期から伝わる貴重な教育資料が豊富に保管されている。

校舎の改築工事が一段落した2003年、新校舎へ引っ越す際に、大きくて薄汚れた鰭脚(ききゃく)類の剥製が出てきた。一瞬、捨ててしまおうかと思ったが、ラベルに「明治38年 アシカ」の文字があり、創立間もない時期の1905年に指導者が科学教育のために入手したものだと分かり、思いとどまった。さらに、もう一体、1913年購入のオットセイのラベルがある幼獣の剥製も見つかった。

岸和田高等学校。内堀を挟んで聳え立つ岸和田城の天守閣を、校内から望むことができる立地にある ©Michiko HAYASHI
旧岸和田城廓内に立つ岸和田高校。校舎から内堀を挟んだ向かいに岸和田城の天守閣を望むことができる ©Michiko HAYASHI

ニホンアシカは、かつて北はカムチャッカ半島南端から南は宮崎市まで、日本近海沿岸各地に分布し、明治維新前には3万〜5万頭が生息していたと推定される。その後、乱獲などで激減し、環境省のレッドリスト1998年版以降では、「野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」に分類されているが、1970年代以降に確かな目撃例はなく、すでに絶滅している可能性が高いと考えられている。

剥製標本も、国外では、大英自然史博物館1体、オランダのナチュラリス生物多様性センター(旧:国立自然史博物館)3体、 国内では天王寺動物園ほか10体ほどしか知られていない。もしも、岸和田高校の剥製が「ニホンアシカ」ならば、世界的にも非常に貴重な財産ということになると考えた。

高校生がDNA解析に挑む

鈴木先生はなんとかニホンアシカであることを確認する方法がないか探ったが、形態からだけで判別するのは難しく、残る手段は、DNAを調べるしかなかった。

岸和田高校では、生徒の思考力・探究力をはぐくむため、「探究学習」に3年間かけて取り組んでいる。大学のゼミを先取りするようなもので、各自テーマを設定した課題研究により、学会や全国規模のコンクールで発表する高いレベルの研究成果を目指す。

2012年度から生物ゼミに所属する生徒の一部が、2体の鰭脚類の剥製の正体を突き止めることを課題研究のテーマに掲げ、DNA解析に取り組むことになった。

通勤電車の中で、英語の科学雑誌『Nature』を愛読する鈴木保夫先生の姿が生徒たちを刺激した ©Michiko HAYASHI
通勤電車の中で、英語の科学雑誌『Nature』を愛読する鈴木先生の姿が生徒たちを刺激した ©Michiko HAYASHI

当初は、高校生レベルでDNA解析に取り組むのは無謀に思えたが、折しも、岸和田高校が2011年度に、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定を受けたことがプラスに働いた。各地のSSHが全国的規模でゲンジボタルの遺伝子を調べる共同研究の研修会を通じて、必要な薬品や実験方法などの基本情報を学び、遠心分離機などの実験用具もSSHの予算で購入することができた。

ただ、さすがに大学での研究に使うような装置までは揃えることができず、サンプルから本当にDNAを抽出できたのか確信が持てないまま手探りの実験も多く、初年度の12年度は失敗続き。先輩の試行錯誤を通じて得たコツを後輩が受け継ぎ、翌13年度に、やっとDNAの抽出と増幅に成功し、検査機関に送って塩基配列を調べることができた。その結果、岸和田高校の2個体は、ニホンアシカであることが確定した。

さらに、14年度には、同じく大阪府立の大手前高校が保有していた「オットセイ」と書かれた幼獣1体の剥製標本についてもDNA塩基配列を調べ、ニホンアシカであることを確認することができた。

1905年購入の「アシカ」メスの亜成獣の剥製。一般的に剥製標本は、皮だけを残し、内部は芯棒と詰め物で作ること多いが、この剥製は頭骸骨の前半分、歯、耳、爪、後肢の骨は本物が残っており、生きていた頃のリアルな姿が再現されている ©Michiko HAYASHI
1905年購入の「アシカ」メスの亜成獣の剥製。一般的に剥製標本は、皮だけを残し、内部は芯棒と詰め物で作ること多いが、この剥製は頭骸骨の前半分、歯、耳、爪、後肢の骨は本物が残っており、生きていた頃のリアルな姿が再現されている ©Michiko HAYASHI

1913年購入の幼獣の剥製。ラベルには「オットセイ」と記載されていたが、ニホンアシカであると同定された ©Michiko HAYASHI
1913年購入の幼獣の剥製。ラベルには「オットセイ」と記載されていたが、ニホンアシカであると同定された ©Michiko HAYASHI

日本哺乳類学会2014年度大会中高生ポスター発表で、『DNA塩基配列の分子系統によるニホンアシカ剥製標本の同定』が最優秀賞を受賞。日本動物学会第85回学会大会(2014年9月13日)でも、優秀賞を受賞した©Michiko HAYASHI
日本哺乳類学会2014年度大会中高生ポスター発表で、『DNA塩基配列の分子系統によるニホンアシカ剥製標本の同定』が最優秀賞を受賞。同じ年の日本動物学会大会でも、優秀賞を受賞した ©Michiko HAYASHI

鈴木先生は「遺伝子研究が進化し、標本のかけらから、どんなものを食べていたかまで推定できるほど精度が上がっている。標本を持っているところからの協力があれば、ぜひ、今後も調査と研究を続けたい」という。

鈴木先生は2023年度からは別の高校に転任したが、岸和田高校に頼もしい後継者がいる。鈴木先生の指導の下で、2013年度の高校2年時にニホンアシカ剥製標本の同定に携わった正田(まさだ)幸太郎教諭だ。高校時代に、最先端の研究に取り組んだことがきっかけで生物学への興味が高まり、大学では理学専攻。「鈴木先生に、普段から好奇心を持って、主体的に学んでいく姿勢を教えていただいた。今度は、自分がそのことを次世代に伝えたい」と教職の道を選んだ。

課題研究当時は師弟関係だった鈴木先生(右)と正田先生(左)©Michiko HAYASHI
課題研究当時は師弟関係だった鈴木先生(右)と正田先生(左)©Michiko HAYASHI

化石から絶滅の理由を探る

一方、化石からのアプローチで絶滅したニホンアシカに迫ろうとしているのが、国立科学博物館の地学研究部生命進化史研究グループの甲能(こうの)直樹グループ長だ。

2020年に岐阜県瑞浪市で発見された1800万年前のアシカ類の最初期の化石・ミズナミムカシアシカ(仮)のレプリカを手にする甲能直樹教授 ©Michiko HAYASHI
2020年に岐阜県瑞浪市で発見された、1800万年前のアシカ類の最初期の化石・ミズナミムカシアシカ(仮)のレプリカを手にする甲能直樹博士 ©Michiko HAYASHI

地球上に哺乳類が誕生したのは約2億3000万年前。陸から海へと進出した海獣のうち、2800万年前には、手足をヒレ状に進化させ、水中で餌を獲り、陸上で出産や子育てする水陸両棲の鰭脚類が現れた。鰭脚類はアシカ科、セイウチ科、アザラシ科の3科に分かれ、それぞれ数十種以上の絶滅種が知られている。

甲能博士によると、狭義のアシカには、ガラパゴスアシカ、カリフォルニアアシカ、ニホンアシカの3種がいる。ニホンアシカとカリフォルニアアシカは体格は似ているが、成獣のオスの頭蓋骨にある矢状稜(しじょうりょう)という高まりが、ニホンアシカは1.5倍くらい高く、その点で判別がしやすいそうだ。

「ただし、メスや幼獣には、形態上の明確な違いがなく、体の大きさや歯の本数の違いだけでは、個体差なのか種の違いなのか判断がつかない。そのため、集団を認識する上で、地理的情報に頼らざるを得ず、日本近海にいたアシカをニホンアシカと呼んでいたが、DNAははっきりと違いを示している」と説明する。

北海道の礼文島の縄文時代後期後半(約3200年前)の遺跡から出土したニホンアシカのオスの頭蓋(伊達市噴火湾文化研究所保管)。高く発達した矢状稜が特徴(画像提供:甲能直樹博士)
北海道の礼文島の縄文時代後期後半(約3200年前)の遺跡から出土したニホンアシカのオスの頭蓋(伊達市噴火湾文化研究所保管)。高く発達した矢状稜が特徴(画像提供:甲能直樹博士)

縄文時代のニホンアシカの骨から抽出した古代DNAのミトコンドリアDNA(以下、mtDNA)制御領域解析(2007)により、ニホンアシカとカリフォルニアアシカは200万年以上前に枝分かれしたらしいということが分かってきたという。

甲能博士は「mtDNAは母系遺伝。アシカ類は、繁殖期にメスが一定のコロニーを作って、そこにオスが移動していく。つまりオスの挙動も分からないと、集団全体の挙動は分からない。とすると、父親由来のDNAも受け継ぐ核DNAの情報が必要になる」という。

幻のニホンアシカの空間的挙動を見出せるか

「今は技術も機械も進歩して、もっと正確に、カリフォルニアアシカとニホンアシカが分かれた時期を知ることができる。さらに核DNAが分かってくると、オスとメスの両方の個体群の挙動が分かり、個体群や集団が、どのように拡大・縮小したかを詳細に復元することができる。それを、ニホンアシカの200万年史として探りたい」

さらに、古生物学では、化石とその絶対年代から、「たとえば現生と比較した体の大きさの情報と、その時期が暖かかったのか寒かったのかといった外部要因も組み合わせることができる。そのようなデータが集まってくると、体の大きさの変動と環境の変動が調和的かどうかも含めて、様々な要因が見えてくるだろう」と語る。

左は約2500万年前の鰭脚類の原型とされるエナリアークトスの一種、右は千葉県で出土した約80万年前のオリエンスアークトス。いずれも成獣の口蓋部で、体のサイズが大型化し、2歯根から単歯根へと海棲に適応したアシカ類の進化の特徴が見てとれる ©Michiko HAYASHI
左は約2500万年前の鰭脚類の原型とされるエナリアークトスの一種、右は千葉県で出土した約80万年前のオリエンスアークトス。いずれも成獣の口蓋部で、体のサイズが大型化し、2歯根から単歯根へと海棲に適応したアシカ類の進化の特徴が見てとれる ©Michiko HAYASHI

以前は、形態を拠(よ)りどころとする古生物学、遺伝子を拠りどころにする分子系統学、といった分野ごとに研究を進めていたが、ここ15年ぐらいの傾向として、様々な分野において共同研究の形で取り組むことが普通になり、必要な情報も十分に共有できるようになってきているそうだ。

甲能博士は、「ニホンアシカは近くて遠い幻の動物だった。絶滅動物の遺伝子研究は目覚ましく進歩し、化石を扱う私も古代DNAという形でこの分野に深く関わるようになった。化石からと遺伝子からとで、時間軸の中の欠落を埋めて、できるだけ複合的な情報から、空間的な挙動も見出したい」という。今後は、明治・大正期にアシカ猟が行われていたとみられる遺跡の発掘調査に取り組む予定だ。

ニホンアシカは、十分な研究がなされないまま、1970年代の目撃以降は確かな情報がなく、実質的には絶滅したと考えられている。

人と野生動物との生存のせめぎ合いの中で姿を消してしまったアシカ達には申し訳ないとしか言いようがないが、わずかに残る剥製や骨や皮などの標本から、新たな研究が進み、進化の歴史や、生物多様性、絶滅危惧種の保護等について、私たちが学ぶきっかけとなれば、せめてもの救いである。

バナー写真:岸和田高校のメスの亜成獣の剥製。奥歯の頂点はすべて円錐形。アシカは獲物を丸のみして胃の中で消化するため、獲物に噛みついて引っ掛けるだけの役割の歯に“進化”した ©Michiko HAYASHI

絶滅危惧種 環境省 ニホンアシカ レッドリスト アシカ