
渡米半世紀 : 90代になったNY前衛芸術家・篠原有司男のこれまでとこれから
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無から有を生む戦場
「どんどん聞いて。全然遠慮いらねぇから」。篠原有司男(以下、ギュウちゃん)はチャキチャキの江戸言葉でそう言いながら、友人から贈られたという、いす式階段昇降機に乗ってスイッと3階へ移動していった。
NYブルックリンの3階建てロフトの最上階にある制作スタジオ。ここでギュウちゃんの芸術が生まれ、息吹く。筆者は足を踏み入れる否や、思わず「わぁ!」と叫んだ。床には大量のカラフルな塗料や作業クズが散らばっている。「生」のエネルギーが渦巻いている空間だ。
91歳の前衛芸術家・ギュウちゃんはここで制作活動している ©安部かすみ
「生きてるって感じ!ここで働いているわけですね…」と言う筆者に、ギュウちゃんは「戦場だよ、戦場」と笑い飛ばす。さらに彼は一言も聞き流さない。「あのさ、働くって言葉使わないで。制作しているのよ、無から有に」。
彼が現在取り組んでいるのはピアニスト、そして人間を襲う巨大カマキリの新作オブジェだ。素材として、不要になったダンボール箱、マスキングテープや針金、家具の板の端などの廃棄物をアップサイクルし利用している。
彼とは今年に入り、NYのあるギャラリーの展覧会のオープニングで再会した。コロナ禍であらゆる人との交流が途絶えたが、久しぶりに会ったギュウちゃんは相変わらず元気だ。まずはパンデミックをどう乗り越えたかという質問から投げかけてみる。
「注射(ワクチン)打ったし、全然大丈夫」と即答。NYは新型コロナの感染状況がひどかったがと食い下がるも「全然関係なし!だって元気に生きてるじゃん。次の質問行って」と一刀両断し、一瞬いら立ちを見せるギュウちゃん。どうも体調についての質問をしつこく聞いたり健康を気遣ったりするのは彼にとって野暮のようだ。
エリート街道まっしぐらのお坊ちゃま、芸大退学処分に
北九州出身の詩人の父と日本画家の母のもと、東京・麹町で長男として生まれた。弟とは真逆な性格で自身は「わんぱく坊主でガキ大将だった」。
文化長屋というアーティスティックな環境の中で育った。「当時の山の手っていうのは戦前の日本を動かした政治家や、三味線(奏者)、ピアニスト、長唄の師匠、歌舞伎の人(役者)なんかの芸能人、文化人が住んでいて、東京でもっともモダンな地区だった」。
番町小学校から日大第二工業学校に進学し、2年生の年に疎開先の長野県・佐久で終戦を迎えた。その年の秋に麻布中学1年に編入。さらに、終戦後の50年から60年にかけて、小説家、詩人、デザイナー、建築家など文化人が特にパワーを持ち、日本の文化が底辺からの盛り上がりを見せていた時代に、40倍の倍率だったという東京藝術大学に入学し、「エリート街道まっしぐら。ところがだよ...」。
入学したら、「あまりにもくだらないから大学に行くのをやめた」。当時、世界と呼吸を合わせ始めた日本のアート界だったが、彼にとって日本の芸術は世界から遅れをとっているという認識があった。
落第を重ね、在学期間が6年にも及んだある日、大学の教授会から卒業のために絵の提出を求められた。大流行していたペレス・プラード楽団のマンボーの曲に合わせて(絵の具などの顔料を、体の動きを使って勢いよくキャンバスに当てながら描く手法の)「アクション・ペインティング」の作品を提出すると、教授がスケッチブックをジッと見て「君の絵には嘘(うそ)がない」と言った。「それが今でも俺の支えよ」。
しかし続きがある。「でも学校は辞めなさいって」。アクション・ペインティングへの理解はされなかったようで、とうとう退学処分となってしまったのだ。
「親友の田名網くん(画家の田名網敬一氏)と、現代美術の最先端に行こうという話をよくしていた。それで銀ブラするわけ。お金がないからいつも洋書屋に行ってさ」
破天荒だった若き日の思い出として、「当時誰もしてなかったから、周りにキチガイ扱いされちゃったよ」と、近所の銭湯で友人としたというモヒカン姿の写真を見せてくれた。愛知県の刈谷市美術館で2017年に開催された『篠原有司男展 ギュウちゃん “前衛の道”爆走60年』の図録より。©安部かすみ
進駐軍が残して行った色鮮やかなDCコミックスを(英語ができないため)パラパラと眺める日々。
「スパイダーマン、バットマン、スーパーマンとかそういうカラフルなDCコミックスからはすごい影響を受けたね。ワンダーウーマンなんて女の子が旗(星条旗)のパンツ履いてさ、ストライプの胸当てして敵をやっつけるわけよ。学校で習うミケランジェロとかダ・ヴィンチより刺激的だった」
「裕福にならない」ことがエネルギー源
その後、奨学金制度を利用し渡米。しかし一向に絵は売れなかった。
「僕らは “売り絵” を描いている人とは全然違うよ。売り絵って分かるかい? 食えるように、人の趣味に妥協して日本風の分かりやすいもの、例えば富士山とかを描くことなんだ。そっちの路線にいくのは自分からすると現代美術に挑戦していないのよ」
ギュウちゃんは商業主義に迎合することなく自分の信念を貫いてきた。50年間も健康で活動を続けられてきた秘訣を聞いてみたところ、「裕福にならないこと」と即答した。ハングリー精神かと確認すると「そうだね」。それが活力の源のようだ。
「現代美術に挑戦して売れたのは数人しかいない。その中の一人は俺より3つ年上の草間さん(前衛芸術家の草間彌生氏)よ。草間さんはあれ以上の成功はないってくらい大成功している。そんな彼女でも最初はキチガイ少女扱いだったよ」。
ギュウちゃんがNYに来た翌年の70年、草間氏から電話があり撮影をしたことがあった。「突然『写真撮ってよ』って言うから『あぁいいよ。どこに行けばいい?』って。理由も分からないまま向かった先は、マンハッタンのビルの屋上。まだ、カメラを持っている人が少ない時代に、ニコンの廉価シリーズのニコマートを人から贈られて持っていたので、依頼が来た」という。
撮影に行ったら10人くらいが素っ裸だった。いわゆる「ハプニング」(裸に水玉をボディペインティングする草間氏のパフォーマンス)の現場に呼ばれたのだ。「当時、アート活動なんて誰も思わないよ。裸で気持ち悪いことやってる、キチガイがいるぜって通報されて、おまわりがやって来たんだけど、捕まえることなくじっと見てるわけ。素っ裸だから面白いやって」。
自分が悩んでいたら感動させられない
NYは刺激的な街だ。一方で日本の文化や環境とまったく違うことで、留学に来た芸術家には「周りにまったく溶け込めない、食えない」で精神を病んだ例も少なくなかったそうだ。「ものすごいラジカルな最先端の作品を日本でバンバン発表しているあいつなら新天地でも大丈夫だろう」とギュウちゃんには期待がかかった。「(絵は)1点も売れなかったけどね」。
著名人や芸術家が心を病むのは、現代においても同じである。しかしギュウちゃん自身は、気持ちの波なんてものは一切ないと言う。
「僕は作る側なんだよ。見る側とは全然違うんだから、分かる? 見る側は好きだったら買ったり売ったりして遊んでりゃいんだけどさ、作る側はさ、いいかい?無から有を生じるの。このゴミ(スタジオでアップサイクルしている素材)を見れば分かるじゃない。これ無だぜ。これから有を生じるんだよ、ポンポンとね」
「(落ち込みや悩みについて)そんなのあったら(アーティストを)やめた方がいいよ。人を感動させなきゃならないのに、自分が悩んでいたら感動させられないじゃない。今は社会が複雑になっていて人を感動させる質が変わってきてる。でも自分は感動のセールスマンで、人に感動を与える方だからね。人が感動しないんだったら作ったってしょうがないじゃん」
体力もアイデアも持っている若者は敵だ!
50年間、同じことを継続をしてきたギュウちゃんに、人生の先輩として若者に伝えたいことを尋ねたら...
「ゼロ!」と即答。
ギュウちゃんと長男アレックス・空海・篠原さん。アレックスさんもアーティストで、同じ屋根の下で制作活動をする。©安部かすみ
「若い奴はね全部俺の敵だもん。体力があってフレッシュなアイデアを持って、しかもデジタルに強くて情報はたくさんあるわけでしょ。自分なんてケータイも持ってないんだから」
アドバイスもないですか?
「ないね。絵が売れない時代なんだ。アート(で食べていく)って大変なんだよ。今だってそうだよ。いいアドバイスあるんだったら、逆にちょうだいよ」
筆者は長年、さまざまな人物をインタビューしてきたが、ギュウちゃんはもっともエネルギッシュで刺激的で楽しく、そして正直な人物だと感じた。また、ものの見方や捉え方が(良い意味で)奇天烈でユニークだから魅力的、それがインタビューした感想だ。
「当たり前じゃない。一般的な方向に行くんだったら、生きてるより死んだほうがましだよ。給料もらってさボーナスもらってさ」
91年に及ぶ自分の人生を振り返って今どう思うのか、最後にこの質問をぶつけてみた。
「全然振り返ったことない」と即答。「もう出なきゃいけないから。ゆっくりしてって。記事は遠慮しないで思いっきり書いてね。じゃ!」。スタジオに筆者を残し、ギュウちゃんは風のように去って行った。
さらに元気いっぱいなギュウちゃん、この調子で90代もかっ飛ばしていきそうだ。
2023年5月 JAA(ニューヨーク日系人会)のグループ展でのギュウちゃん。木やワイヤー、段ボールなどで作った最新作「ピアニスト」などと共に ©安部かすみ
注 : 記事中にはnippon.comでは使用しない単語を含んでいる。インタビューでの篠原さんの言葉の勢いと雰囲気を伝えるため、あえてそのまま引用した。
バナー写真 : 前衛芸術家・篠原有司男 ©安部かすみ