「支度部屋」物語―大相撲報道を支える、力士と記者の“せめぎ合い”の場
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舞台の楽屋のような雰囲気漂う
東京場所(初・夏・秋場所)の舞台となる両国国技館の支度部屋は、向こう正面(土俵正面の向かい側)の後方、東西の花道を引き揚げた先に、土俵に平行する形で作られている。東方はコの字型、西方は逆コの字型の畳敷きの細長い部屋で、どことなく舞台の楽屋のような雰囲気も漂う。
支度部屋に入れるのは力士や床山(とこやま)など日本相撲協会員のほか、取材証を下げた記者とカメラマン。出入りは自由で、入り口の扉の前で世話人(相撲部屋に所属し、部屋や巡業における雑務、本場所の会場整理などを担当する。大半が十両、幕下経験者の元力士)がパスをチェックしている。
室内に飾りはまったくない。部屋の隅に等身大の鏡とテッポウ柱(突きや突っ張りの稽古に使用する丸い柱)があるだけという素っ気なさ。東方では入ってすぐ左、西方では右に、たっぷりとした広さの浴室とトイレがある。
幕下以下の力士もここで身支度を整えるが、熱気が高まるのは関取衆が場所入りする午後2時以降。付け人を従えた紋付き袴姿の力士たちが続々支度部屋に入ってくる。化粧まわしをつけて土俵入りを行い、続いて締め込み(まわし)に着替えて四股(しこ)などの準備運動を始める。付け人を前に立たせて立ち合いの動作を確認したり、テッポウ柱で突きの稽古をしたり、狭い通路ですり足をしたり……。出番になると、付け人に先導されて土俵に向かう。
関取たちが陣取る場所はほぼ決まっており、横綱はコの字の突き当たり、その両側を2人目の横綱や大関が占め、以下、番付順に関脇、小結、前頭と続く。
傍らに置かれているのは、「明け荷(あけに)」と呼ばれる重さ10kgほどのつづら折りの箱。化粧まわしや締め込み、さがり(締め込みに付ける飾り紐)、座布団、着替え、サポーターなどの荷物入れで、側面に朱色で大きくしこ名が記されている。本場所中は支度部屋に置きっぱなしにされるが、次の日の取組で東西が入れ替わる場合は、付け人が明け荷を担いで支度部屋を移動する。
髪を結い直している間が取材タイム
取組を終えて支度部屋に引き揚げてきた力士は、まず風呂に入って砂や汗を落とす。大阪(春)場所のエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)や九州場所の福岡国際センターも支度部屋は同様の作りになっているが、名古屋場所が開催されるドルフィンアリーナ(愛知県体育館)は、第2体育館をパーテーションで仕切って東西の支度部屋としているため、風呂は一つしかなく、取組で対戦した同士が“遭遇”することになる。
風呂から上がると、自らの明け荷の前に座って床山に髪を大銀杏(おおいちょう)からちょんまげに結い直してもらう。そこで我々記者の出番だ。髪を結い直している間に取材が行われるが、次々と関取たちは戻ってくる。記者たちは他の関取の邪魔にならないよう気を使いながら、部屋内を動き回る。
十両や幕内下位では集まる記者の数も少なく、取材されない力士もいるが、注目力士や幕内上位ともなるとかなり多くの記者が力士を取り囲む。特に横綱の場合は、記者の数が20人以上になることもある。だから、しっかり話を聞きたければ早めに場所をキープしておく必要がある。
力士の両脇や前列で話を聞くのはベテランや顔なじみの記者だ。相撲担当になったばかりの新米記者は、後方からのぞき込むようにメモを取るが、声の小さいお相撲さんは、よく聞こえない。そこで取材後に、前でしっかり聞いていた記者と内容のすり合わせをする光景もよく見られる。
こうしてロッカールームとプレスルームの機能を持ち合わせているのが支度部屋である。着替えもするので女人禁制だが、なぜか引退相撲やトーナメント等の花相撲では女性の出入りが許されている。
喜怒哀楽、人間ドラマを垣間見る
勝った力士はご機嫌な場合が多いが、それでも無口な関取はいる。負けた力士はブスッとして口を利かなかったり、怒りを抑え切れない表情を浮かべたりする。中には「ここが痛い」「体がだるい」といった“泣き”が入ることも。角界は白星、黒星が直接、自らの出世につながる世界だ。支度部屋は人生の縮図、ある意味、土俵よりも見ていて面白い。
力士に対するインタビューは、他のスポーツとはかなり勝手が異なる。まず、分かり切ったことは聞かない。相手にかなり気を使い、気分を悪くするような質問はなるべく避ける。そして、同じことを根掘り葉掘りしつこく聞くようなことはしない。
長年取材していると、毎場所同じようなことを質問しているので、ちょっとしたひと言や表情の変化で、その力士がどんな状態にあるか、ある程度推察できるからだ。「目と目が合って50行、一言聞いて80行、話し込んだら企画が書ける」――新聞記者は駆け出し時代、先輩の相撲記者からこう教えられたという。
以前、取材意欲に燃えた新人記者が相撲担当に配属された。某大横綱が初日に勝って引き揚げてきたあと、感想を聞かれ「必死だよ」と答えた。すると、やる気満々のその記者はもっと具体的に知ろうとして、「何で必死なんですか?」と追い打ちの質問。これに横綱は「何を聞くんだ。必死は必死なんだ。そんなことを聞くなら、もうここには来るな」と大激怒し、その場は気まずい雰囲気が漂ってしまった。
こうしたケースは、質問者が横綱の顔見知りではないことも少なからず影響している。だから駆け出しのうちは質問を封印し、まずは朝稽古に通って顔を覚えてもらい、支度部屋では先輩の取材方法をよく観察するよう指導している新聞社もある。
それでも現役力士の錦木(にしきぎ)や、かつての旭天鵬(現・大島親方)のように、勝っても負けても、どんな新人記者に対しても丁寧に答える“人のいい”関取もいる。近年は中学を出てすぐに入門する、いわゆる「生え抜き」の関取が減り、学生相撲出身力士が増えたせいもあり、支度部屋の取材は以前よりスムーズにいくことが多くなった。
突然饒舌になった貴乃花、受け答えも才気にあふれた朝青龍
横綱・大関ともなると、責任感からうかつなことは言えない。大関時代の高安や琴欧洲(現・鳴戸親方)のように、負けるとほとんど口を開かない上位力士は多い。
ある場所、琴欧洲が得意の上手を取りながら相手の下手投げで逆転負けを喫したことがあった。支度部屋でいくつかの質問が出たが、すべてノーコメント。そこである記者がノートに「……」と書き込んだ。琴欧洲はその動作を見逃さず、「何にもしゃべっていないのに、何を書いた?」とやや気色ばんだ。記者は「いや、別に」と答えたが、重い空気がさらに重くなって、大関と記者のにらめっこが続いてしまった。
平成の相撲ブームの立役者である貴乃花は、出世街道を突っ走っていた頃の貴花田時代、取材が過熱していたこともあって寡黙だった。
支度部屋でもそれは変わらず、勝った時でもほとんど言葉を発せず、負けた時には「弱いから負けるんです」の一言でコメントを終えていた。
横綱昇進後は、饒舌とまではいかなくても丁寧に質問に答えるようになっていたが、1998年名古屋場所で突然、リップサービスを始めて驚いた。なんでも、当時信頼を置いていた整体師から「思ったことはドンドン話したほうがいい」とアドバイスされたとのことで、時には相撲以外の話題にも触れ、支度部屋でいつまでも報道陣と話していた。
「横綱のリラックス方法は?」と質問され、「ここでこうして皆さんとお話しすることですよ」と笑顔を見せ、担当記者からは「本当の貴乃花はあんなにおしゃべりだったんだ」と驚きの声も出たほどだった。ところが、翌秋場所直前に「兄弟絶縁」を激白し、それが「洗脳騒動」にまで発展すると一転、寡黙に戻ってしまった。
記者は支度部屋で何人もの関取を取材するため、取材前にノートに、対象となる関取のしこ名やあだ名を書いて臨む。例えば朝青龍なら、「朝青龍」とか「(本名の)ドルジ」と記し、その下にコメントを書く。ところがある日、某記者は忙しかった(?)せいか、「ドル」と書いていた。
こういう時に限ってカンのいい朝青龍は、いくつかの質問に答えたあと、「ちゃんと書いているんだろうな」と言いながら、その記者のノートをのぞきこんだ。すると表情が一変し、「なんだこの『ドル』というのは!『ドルジ』なんてたった3文字じゃないか。何で1文字省くんだ!」。続けて、「俺は『円安ドル高』のドルか」と苦笑いを浮かべながら、記者の頭を軽く小突いた。
このエピソードが物語るように、朝青龍は頭の回転や機転が早い。ただし喜怒哀楽が激しいので、機嫌の良い時には秀逸なコメントを提供してくれるが、不祥事を起こした時などは、威圧的な態度で取り付く島もなかった。
コロナ禍を機に導入された「ミックスゾーン」
ロッカールーム(支度部屋)で、試合(取組)前から選手(力士)に密着できるスポーツというのは、世界広しといえども大相撲だけではないだろうか。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、この“古き良き”慣習が一変してしまった。
2020年の春場所は史上初の無観客での開催となった。報道陣も相撲関係者との接触を禁止され、支度部屋取材も許されなかった。東西の支度部屋の外に、2㍍ほどの距離を置いてミックスゾーンが設けられ、相撲会場から引き揚げる直前の力士を呼び止めて話を聞くことになったのだ。当然、ミックスゾーンで足を止めずに、そのまま帰ってしまう取材拒否の力士もいた。
しかし、距離が離れたとはいえ、力士の声を直接聞けるうちはまだよかった。
翌夏場所は、緊急事態宣言が発令されたこともあり、開催そのものが中止に。本場所の中止は史上3度目のことだった。続く名古屋場所は、7月場所の名称で観客を制限して東京・両国国技館で開催された。本場所での力士取材は全てリモートで行うこととなり、地方場所が再開されてもそれは変わらなかった。
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けがインフルエンザと同じ5類に引き下げられた5月の夏場所では、横綱・大関に限り取組後の支度部屋取材が復活した。ただし、本人の承諾が必要であり、カド番大関の貴景勝は初日から取材拒否を続けた。
三役以下の力士には、相撲会場に隣接した相撲教習所の前にミックスゾーンが設けられた。2020年春場所のように完全に仕切られた状態ではなく、力士の取材スペースから約1.5mの距離にテープを張って報道陣が近づき過ぎないように配慮。当然ながら、取材をスルーする力士も目立った。
コロナ禍を機に、本場所の支度部屋取材が禁止されるのではないか、と不安視する声もあったが、相撲協会もできるだけベターな取材方式を模索してるのは間違いない。
ともかく、なるべく早く支度部屋の全面解禁を目指してほしい。リモート取材が続いた3年間、大相撲の記事で面白いコメント、味のある談話は激減していた。先述の琴欧洲の例を見ても分かる通り、たとえ無言を貫こうとしても、顔と顔、膝と膝を突き合わせているからこそのエピソードも生まれる。
世界のスポーツ界で唯一ともいっていい貴重な取材現場を失ってはいけない。
バナー写真:支度部屋で番記者らと歓談する横綱・貴乃花。出世階段を駆け上っていた頃は無口だったが、横綱として円熟味を増す中で次第に胸の内を語るようになっていった 写真提供:天野久樹