脱「スモールベースボール」で世界一奪還──侍ジャパンがWBC優勝で示した進化と真価
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画期的な野球で勝利した侍ジャパン
第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が3大会、14年ぶりに世界一に返り咲いて幕を閉じた。
野球の母国・アメリカを撃破しての世界一奪還。マイアミの空に10回舞った栗山英樹監督は「選手たちが本当にうれしそうな顔をしていた。それがうれしかった」と目を潤ませたが、改めてその“力の野球”に注目が集まった戦いでもあった。
1本の安打を足掛かりに進塁打や送りバント、盗塁など小技と機動力を使って1点をもぎ取っていく。その積み重ねでメジャーリーガーがそろう米国や中南米のチームに対抗する。それが日本代表の土台にある野球のスタイルだったはずだ。
これまでの国際大会で日本代表を象徴してきた「スモールベースボール」という野球観が、このチームにはほとんどなかった。そこがまさに栗山野球の画期的なところだった。
一つのデータがある。
過去4大会での日本代表の送りバントの数だ(かっこ内は各大会の日本代表監督)。
第1回大会(王貞治監督)…9回
第2回大会(原辰徳監督)…7回
第3回大会(山本浩二監督)…6回
第4回大会(小久保裕紀監督)…9回
試合数が異なるので単純に比較することはできないが、いずれの大会でも送りバントが日本野球の基本的な戦術であったことは、この数字から読み取れるはずだ。
しかし今大会で、栗山監督が送りバントを選択した場面はわずかに3回である。
1次ラウンドのチェコ戦では、2点をリードした4回無死一塁で甲斐拓也捕手に。また、2度目のサインを出したオーストラリア戦は、3点リードの2回無死一塁で打席に中村悠平捕手を迎えた場面。いずれも勝負がかりの大事な局面ではなかった。
3度目のサインが出たのは、準決勝のメキシコ戦だった。
この試合では、2点を追う8回無死一、二塁で8番の源田壮亮内野手にサインを出したが、源田は2度バントを失敗。しかしここは送りバントにこだわってスリーバントのサインを出し、源田も今度はしっかり決めて二、三塁とした。そこで代打・山川穂高内野手を満を持して打席に送り、左犠飛で1点差とした。これが最終回の逆転劇の布石となっていくわけだ。
結果的に大会を振り返ると、栗山監督が送りバントという戦術にこだわり、試合の流れを左右する場面でそのサインを選択したのはこの1度だけだったのである。
戦術変化の背景にあるもの
こうした戦術変化の背景にあるのは、大谷翔平投手や村上宗隆内野手を筆頭とする侍ジャパンのチーム構成にあるのはいうまでもない。
その中で栗山監督が「スモールベースボール」を捨てる覚悟を見せた象徴的な出来事が起こったのは、大会直前に鈴木誠也外野手(シカゴ・カブス所属)が左脇腹を痛めて出場を辞退したときだった。
本来の栗山構想の目玉は「2番・大谷」だった。ただ、その「2番・大谷」を成立させるキーマンが、実は「3番・鈴木」だったのである。3番に右の鈴木が入ることで、1番のラーズ・ヌートバー外野手(セントルイス・カージナルス所属)から大谷、鈴木と続いて4番の村上へとつなげていくバランスのいい上位打線が組めるはずだった。
しかしそのキーマンが突然、いなくなったのである。
打線の組み替えを余儀なくされた栗山監督の最初の決断は、大谷の打順を3番に下げることだった。その上であくまで攻撃的な上位打線を模索した結果、出塁率の高い近藤健介外野手を2番に起用する決断をしている。
「こんちゃん(近藤)の使い方が一つのカギになる」
こう語った通りに「2番・近藤」という選択をした時点で改めて、スモールベースボールではなくもっと攻撃的な野球、バントで「次につなぐ」のではなく打って「チャンスを広げていく」ことを目指した。まさに従来の日本野球からの脱却を示したのである。
そして栗山監督がすごかったのは、その決意が最後の最後まで折れなかったことだった。
大会中も話題になったが、劇的な逆転サヨナラ勝ちとなった準決勝・メキシコ戦、その最後の場面は1点差の無死一、二塁だった。打席は不振にあえぐ村上である。強攻して最悪のケースは内野ゴロ併殺という結果が、頭に浮かばないわけはないシチュエーションだった。
おそらくこれまでの監督なら、ほぼ送りバント(状況によっては代打を送って送りバント)を選択するケースである。何より打席に向かった村上自身も、ベンチから城石憲之内野守備・走塁兼作戦コーチが出てきたのを見て「バントかなと思った」と吐露している。
しかし栗山監督の決断は違った。
「ムネ、お前に任せた。思い切っていってこい」
城石コーチを通じて伝えられた監督の信頼に村上も腹を据えた。その結果があのサヨナラ二塁打だったのである。
「彼を信じる気持ちは揺るぎないものがある。『最後はおまえで勝つんだ』と、ずっと言ってきた」
不振の村上を巡っては大会開幕以降、何度も打順論争があった。その中で準々決勝のイタリア戦以降、打順を4番から5番へと下げはしたが、打席で何かを仕掛けることは決してしなかった。村上の力を信じ、ただじっと打つのを待ち続けたのである。
こうした「ビッグボール」への流れは、近年の日本球界の一つの潮流であることは間違いない。特に2019年に巨人・原辰徳監督が2番に坂本勇人内野手を起用してリーグ優勝を飾ってから、「2番最強打者」という攻撃的オーダー編成が一つの潮流となりつつあるのは確かだ。
だが実は先駆けがある。
それも日本ハム時代の栗山監督だった。
2017年4月6日のロッテ戦で、栗山監督は二刀流の大谷翔平投手を「2番・指名打者」で起用している。ただ、このときはまだ「2番の役割はつなぎ」という意識が支配的で、起用された大谷自身もこの打順に戸惑いを見せ、わずか1試合で挑戦は終わった。
しかし栗山監督の頭には、ずっと理想の野球として、そんな「つながない2番打者」を考え、選手の力を引き出すことで相手を圧倒する──そういうビッグボール構想があった。
それが6年後のこの大会で見事に花開いたわけである。
日本の勝利が証明した野球のポテンシャル
世界と伍して戦う。
第1回大会と第2回大会の連覇は、いわば相手を日本野球の土俵に引っ張り込んで戦い、倒した優勝だった。しかし今回の優勝は、日本が自らメジャーの土俵に上がって、力で世界を制した大会だった。
そういう意味では日本国内だけではなく、世界に日本野球の持つポテンシャルの高さを示した大会でもあった。そこにこれまでとはまた違う、勝利の意味があったはずである。
結果的に優勝という栄冠を手にしただけでなく、今大会は大谷にヌートバー、吉田正尚外野手にダルビッシュ有投手とメジャー組が参戦し、日本では過去にないほどの大きな盛り上がりを見せた。アメリカでは代表チームのキャプテンであるマイク・トラウト外野手の呼びかけで、ポール・ゴールドシュミットニア内野手やムーキー・ベッツ外野手などが“チームUSA”に集結し、アメリカ国内でも大会への注目度が格段に上がった。
野球の世界一を決めるというコンセプトの大会そのものの成長も大きな注目点だが、その一方で浮き彫りになった問題も忘れてはならないだろう。
栗山監督は帰国後の記者会見で次のような課題を挙げていた。
2月の宮崎合宿からフル参加したダルビッシュが、大会規定により3月6日の強化試合まで実戦登板が許されず、調整が遅れたことをこう指摘した。
「普通に考えるとあの球数で試合に出すことはあり得なくて。(規定上)一切試合に出られず、練習試合1試合だけ中日がやってくれましたけど、いきなり韓国戦にいかないといけない。そういうことがあるとメジャーリーガーは本当に参加しにくい。そういうことは徹底的にMLBにお願いしてもらうよう伝えました」
アメリカ代表で出場予定だったクレイトン・カーショー投手は、出場を希望しながらも大会中のケガを保障する保険が下りず、出場を断念させられた。
「3年後にまた出られたらいいなとは思っている」
2026年に予定される第6回大会への参加についてこう語った大谷も、3年後にはおそらくメジャー史上最高年俸で契約しているはずだ。そうなるといくら本人が出場を熱望しても、保険の問題から出場ができなくなることもあり得るわけだ。
真の世界一を決める大会には、まだまだ乗り越えなければならない障壁は多い。
それでも、海のものとも山のものとも知らずに始まったこの大会が、ここまで成長したことには大きな価値がある。
「今夜の勝者は野球界そのものだ」
こう語ったのは準決勝で日本に敗れたメキシコのベンハミン・ギル監督だった。
「今夜の勝者は野球ファンだ」
これは決勝で敗れたアメリカのマーク・デローサ監督の言葉である。
これは決して負け惜しみではない。
日本が野球の母国・アメリカで演じた激闘が、WBCという大会に大きなうねりを生んだということなのだ。だからこそ3年後には、ここからまた1歩前進した大会が開催されることを望むばかりである。
バナー写真:WBCで3回目の優勝トロフィーを手にし、栗山監督を中心に記念撮影に臨む日本代表の選手たち(2023年3月21日、フロリダ・ローンデポパーク)時事