
日本と台湾のサッカー交流の歴史
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国際政治に翻弄(ほんろう)された台湾サッカー
台湾サッカーの歴史は日本統治時代にさかのぼる。台南の長栄中学校長を務めた、英国人宣教師のエドワード・バンドが台湾にサッカーを持ち込んだ。さらに1940年には長栄中学を台湾代表にまで育て上げ、「第22回全国中等学校蹴球選手権大会」に出場。試合会場は甲子園南運動場だった。
第二次大戦後、台湾に来た中華民国政府は香港華僑を中心とした代表チームを編成し、1958年に東京で開催されたアジア競技大会に出場。大会2連覇を成し遂げている。だが1974年、台湾はAFCを脱退、ポストは中国に取って代わった。国際大会に出場するには、翌年、オセアニアサッカー連盟(OFC)に加盟するしかなく、AFC復帰は、日本がW杯初出場を目指して奮闘していた1989年まで待たねばならなかった。
周台英の成功とJFAの指導者派遣
台湾では早くから女子サッカーが盛んだった。「ムーラン」の異名を持つ女子代表は、1970年代後半から1980年代にかけて何度もアジアを制覇。スター選手の周台英は、1989年に日本に渡り「鈴与清水FCラブリーレディース」でプレーする。同年、なでしこリーグの前身であるLリーグが発足し、周は12得点を挙げて得点王に輝き、リーグ優勝に貢献した。その後、3年連続でリーグ準優勝、1993年に退団した。現在は台湾師範大学女子サッカー部の監督として、後進の育成に努めている。
日本がアジアを制覇したことは、体格が似ている台湾人を大いに奮い立たせた。さらに日本サッカー協会(JFA)は指導者の海外派遣を通してアジア諸国の発展に積極的に取り組んでいた。そのような中、2005年にJFAは中華民国サッカー協会(CTFA)と覚書を交わし、JFAから代表監督が派遣されることになった。初代監督には早稲田大学でプレーしコーチ経験もある今井敏明に決まる。
今井は2007年まで監督を務め、2006年の第1回AFCアジアチャレンジカップでベスト8入り。2007年には女子代表の監督も兼任した。
戦術面で台湾は伝統的にディフェンダーにはスイーパーを置いていたが、今井が採用したのは選手を横並びに配置するフラット型だった。また、2006年のアジア杯予選、イランとのアウェー戦では当時17歳の陳柏良を先発出場させ、人脈が重んじられる選手起用の慣習を打ち破った。その後、陳は香港や中国のプロリーグで10年以上活躍し、海外に出た選手としては最も成功したのだった。
代表チーム以外でも、2010年に台湾体育運動大学の「教育部サッカースクール」で、男子チームに島田信幸、女子チームに今泉守正が派遣された。2人とも福島のサッカー・ナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」のアカデミーでコーチ経験があった。
日台サッカー交流は活発化していった。
柳楽雅幸が起こした日本人指導者ブーム
2011年になでしこジャパンが女子W杯ドイツ大会で優勝すると、台湾でも「日本に学ぼう」という声が高まる。特に女子サッカーは過去の栄光への思いが強く、2013年には視察のために監督をなでしこリーグに派遣。翌年には女子サッカーリーグの「ムーランフットボールリーグ」が発足した。また、2010年に女子代表チームはJFAからゴールキーパー(GK)コーチの柳楽雅幸を迎えた。その後、柳楽は代表監督に昇格し、新たなGKコーチには鈴木大地が加わった。
柳楽の前の監督で、現在の代表監督である顏士凱は、2010年の教育部サッカースクールの発足こそ交流本格化の契機だったと語っている。
「かつての台湾の練習方法は時代遅れで、日本から学ぶべきは『スタイル』ではなく、『体系化したトレーニング』だった。トレーニング方法の進化で、選手の成長がはっきり分かるようになった」
日本のトレーニング法を学んだ顏は、女子代表を率いて2012年の女子東アジアカップに出場。準決勝第2試合では、選手のボールコントロールとチーム力で明らかな成長を感じたという。一方で、試合の流れを読む力や応用力は課題として残った。
当時について顏は次のように語っている。
「サッカーレベルの引き上げには、強豪国代表で指導経験がある監督が必要だった。なでしこは2011年にW杯優勝、2012年のロンドン五輪で銀メダルを獲得している。そんな日本から監督を招き、台湾チームを強くしてもらえたのは最高だった。日本式のトレーニングで選手も監督も大きく成長した」
念願まであと一歩まで迫った3人の日本人監督
セットプレー戦術と試合の映像分析を台湾女子サッカーに導入した柳楽は、2017年のユニバーシアードでメダルを逃し退任する。後任には堀野博幸が就任。2018年にはアジア競技大会で1998年以来のベスト4進出を果たす。
2019年、女子代表の監督は越後和男に引き継がれ、早速、東京五輪アジア地区最終予選に出場、そして14年ぶりのアジア杯復帰を達成した。2022年のアジア杯は2年後のW杯予選も兼ねており、32年ぶりの出場を目標に掲げた。しかし準々決勝のフィリピン戦ではペナルティーキック(PK)戦で敗れ、プレーオフでベトナムと対戦。1対2で惜敗してしまう。
越後は、アジア杯終了後に契約満了で退任し、その後、顏が監督に復帰した。W杯出場の最後のチャンスである大陸間プレーオフ出場という重責を担っての就任だ。日本人監督時代には台湾女子サッカーのW杯復帰の目標は達成できなかったが、越後からバトンを引き継いだ顔は、「日本人監督の視野の広さと指導力の高さは申し分ない。3人とも日本のサッカー文化を台湾に持ち込んだ」と語る。
顏は初期の柳楽の貢献が大きいと考えている。プロ選手としての心構え、映像分析、パフォーマンス向上でレベルアップしたと感じている。
「当時、台湾側が柳楽に十分なリソースを提供できなかった。しかし選手側の収穫は多かったと感じる」
そして次のように締めくくっている。
「台湾選手は日本人監督から体系的なトレーニングと試合準備の基礎を学ぶことができた。3人の日本人監督には感謝している」
草の根サッカーに貢献した黒田和生
日台サッカーの交流は代表レベルだけにとどまらない。神戸の滝川第二高校で岡崎慎司や金崎夢生らを育てた黒田和生は、2012年にCTFAのユース育成統括を担当。2016年には男子代表チームが監督不在の危機的状況下で監督に就任した。後に体調不良で帰国したが、現在の20から30歳の多くの選手はユース時代を「黒田のおじいちゃん」から指導を仰いでいる。
また、台湾での経験がその後のサッカー人生で役立った例もある。黒田と柳楽の専任通訳を務めた百武江梨は、2010年に浦和レッドダイヤモンズ・レディースで現役を引退した。その後、台湾に留学していたが、台湾体育運動大学の呂桂花の招きで、台湾リーグで現役復帰。CTFAの仕事にも取り組み、日台サッカーの懸け橋となった。
2019年の全日本U-15女子サッカー選手権大会では、監督として浦和レッズレディースユースを優勝に導く。
「優勝したとき頭に浮かんだのは台湾だった。心にいつもあって自分にとって家のようなもの。台湾での経験があったからこそ、指導者への道を歩もうと決心し、帰国してから勉強を始めた。いつか台湾で監督になるのが夢だ」と語った。
また、黒田の下でアシスタントコーチを務めた平田礼次は、2023年からU-15日本代表監督に就任し、2年後のU-17 W杯出場を目指している。平田は2014年に台湾に渡り、U-16とU-13の男子代表監督を務めた。黒田が病に倒れると、アシスタントコーチから監督代行に昇格し、チームを率いてアジア杯予選出場のためにバーレーンに遠征した。
活躍の場を台湾に求めて
人材ひしめく日本サッカー界で、頭角を現すのは難しい。一方、環境が完璧とは言えないが、台湾には活躍の場がある。クラブチーム「台中FUTURO」を設立した小森由貴と藤原誠二は、日台のサッカー環境の違いについて次のように語っている。
「台湾と日本で同年齢の選手を比較すると、台湾人の方が体格と運動能力に優れている。しかし基礎技術に課題がある。そして台湾でのチーム運営が難しいのは、監督がいないことだ。指導者人材が不足している」
東南アジアのプロリーグ経験がある小森は、家族が台湾で米菓工場を経営していたことから渡台し、台中FUTUROを立ち上げた。15人の日本人学校の学生を教えることから始まったチームは、2018年にシニアチームを結成。台湾社会人甲級サッカーリーグに加盟する。2022年には元日本代表の森本貴幸を呼んだ。2022年に甲級リーグ準優勝を果たし、台湾で日本人が設立し代表を務めるチームとして、初めてAFCカップに出場した。
今や日台サッカーの交流は至るところで見られるようになった。2020年、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの若林美里は、当初、欧米チームへの移籍を模索していた。しかし、新型コロナウイルスの影響で断念、台湾に渡ることになった。加入した高雄陽信では、チーム史上最高のリーグ3位に貢献。2021年の台湾ムーランフットボールリーグMVPに輝いた。若林は契約を更新し、台湾で4シーズン目を過ごすことが決まっている。
最後に代表監督の顔は次のように語っている。
「日本がW杯カタール大会で見せた勝利への執念は、以前のような『強いチームに負けない』というレベルのものではなかった。一流チームに対しても臆することなく普段通りのプレーをし、『ベスト8にふさわしい実力』を見せてくれた。台湾サッカーも『日台友好』の助力で日本の経験から学び、世界の舞台に立てるように努力を重ねていきたい」
バナー写真=EAFF E-1女子サッカー選手権での台湾の張季蘭選手、2022年7月20日(Issei Kato / ロイター)