革新は妄想と好奇心から生まれる! 人間の健康と地球環境を救う「空調服」発明物語
環境・自然・生物 技術・デジタル 健康・医療 経済・ビジネス- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
人間に備わる「生理クーラー」
人間の脳は、皮膚という温度センサーを通して「暑い」と感じると、汗腺から必要量の汗を出す命令を発し、汗の気化熱で体温を下げる(生理クーラー)。「空調服」は、その冷却効果を最大限引き出してくれるアイテムだ。背面に装着した2個の小型ファンから取り込まれた空気が体と服の間を流れ、汗を瞬時に蒸発させる。
一見、奇抜な発想も、その仕組みを知れば「コロンブスの卵」。ところが、空調服が商品化され、さらに世間に認知されるまでには、幾多の苦労と紆余(うよ)曲折があった。
きっかけは今から30年ほど前、1994年頃にさかのぼる。
「その頃、私はテレビ工場向けにブラウン管の画質を測定する装置をつくっており、営業で東南アジアを回っていました。タイやマレーシアは巨大ビルの建設ラッシュで、それを眺めていてふと思ったんです。これだけのビルを冷やすエアコンの電力消費量はすごいだろうな。なにか温室効果ガスを生まない冷却装置を発明できないものか…」
当時、市ヶ谷さんは47歳。ソニーを早期退社し、ベンチャー企業を立ち上げ3年が過ぎていた。業績は順調だったが、一方で将来に不安を抱えていた。
「液晶技術の進化は予想していたよりも速く、いずれブラウン管テレビは駆逐される運命にある。もしかしたら『地球温暖化を抑える新たな冷却装置』は、ブラウン管測定装置に取って代わるビジネスになるのでは、と考えたんです」
それまで蓄積した技術は全く役に立たない。しかも冷却装置に関しては門外漢だ。でも、「人がやらないことをする」のが大好きだった。
知見の有無など気にせず、常識にとらわれず「こうだったらいいな」という思いを形にする。そのために、仮説を立てては一つ一つ試していく──それが市ヶ谷さんの技術者魂、発明家としてのポリシーだった。
「発明家」井深大から薫陶を受ける
「人ができることはできないが、できないことができる」
市ヶ谷さんがソニーの入社試験で、面接シートの長所・短所欄に記した言葉だ。事実、マークシート方式の筆記試験では、回答欄を一段ずらす大ポカを犯していた。だが、面接官からそのことを突っ込まれると、「鏡を見るとなぜ左右が逆転するのか」について滔々(とうとう)と語り、見事試験にパスした。
「幼い頃から好奇心が旺盛で、実験が大好き。キャラメルの箱はキャラメルが少なくなれば軽くなるのに、どうして乾電池は電池が少なくなっても軽くならないのか。そんなことを真剣に考えるような子どもでした」
小学高学年になると秋葉原の電気街に通い、顕微鏡や望遠鏡を自作。望遠鏡といってもボール紙を丸めて筒を作り、レンズをはめ込んだ簡素なもの。だが、対物レンズ1枚だけで、接眼レンズは自らの「裸眼」の能力で代用するという独創性があった。
銀座のソニービルで目にしたトリニトロンカラーテレビの映像に感動し、早稲田大学理工学部を卒業するとソニーに入社。そこで希代の天才発明家・井深大に出会い、薫陶を受ける。
一番の思い出は、社内の発明コンテストに出品した“ブラウン管の光を音源とする笛”を、井深会長が激賞してくれたことだ。市ヶ谷さんは工場勤務から本社の開発部に異動となり、新しい電子楽器の開発に携わる。結果的に商品化はできなかったが、井深会長からの励ましは、起業後も「発明家」市ヶ谷さんの支えとなった。
エネルギーのかからない究極の冷却装置を!
さて、思案の末に、市ヶ谷さんは「省電力で涼しくする仕組み」を実現するためのキーワードをつかむ。
それは「水の活用」。地面に水をまいて涼をとる日本伝統の生活の知恵、打ち水がヒントになった。
考えてみれば、打ち水に限らず、エアコンはもちろん、うちわや扇風機、冷蔵庫、原子炉に至るまで、この世に存在するほとんどの冷却システムは気化熱を利用したもの。違いは冷媒として何を気化させているか。うちわや扇風機は汗、クーラーや冷蔵庫は代替フロンなど冷媒用に作られた化合物、原子炉は河川や海の水だ。
気化熱を生み出すために使われるエネルギーは、地球温暖化と密接に結びついている。エアコンの普及に伴い都市部でヒートアイランド現象が進み、それによりさらにエアコンの普及が加速する「負の循環」である。
水なら蒸発しても無害だし、おまけにお金もかからない。その効果はエアコンに比べれば微々たるものかもしれないが、水が理想的な冷媒であることは間違いない。
そこで、水の気化熱で冷房する“水冷式クーラー”を思いつき、まずは小さな空間で実験しようと犬小屋を作成した。そこでまた気づいた。「何も部屋全体を冷やす必要はない。人間だけを冷やせばいい」と。
「着ると涼しい服」──体に取り付けて人だけを冷やす「空調服」のコンセプトの萌芽だった。
タンクを装着した服を着て電車内で実験
早速“水冷式クーラー”を取り付けた服を試作。タンクの水をポンプとパイプで吸い上げて服に散布し、水の気化熱で熱を奪い、それをファンの風で流す仕組みだ。市ヶ谷さんは「実験中」と張り紙をした試作品を着て電車に乗った。
「周囲から好奇の目で見られました。変なのが乗って来たぞ、と。おまけに、その光景をたまたま高校生の娘に見られてしまい、恥ずかしいからやめて、と懇願されて……」
タンクは重いし、水漏れはする。さらに、気温が低いと必要以上に涼しくなり、逆に、暑くなるとさほど効果がないことも分かった。完全な失敗作だった。
ただ、水漏れをなんとか解決できないか熟考しているうちに、またもひらめいた。
「わざわざ水を使わなくても、人間には打ち水の機能があるではないか。人は暑ければ勝手に汗をかく。その汗をファンで蒸発できれば体を適温に保てるはずだ」
支えになった愛用者からの叱咤激励
研究を始めて6年後の2004年、まずは7000着限定で「空調服」の販売が始まった。
各メディアにプレスリリースを送ると、変わった服だと話題となり、テレビのニュースやワイドショーなどで取り上げられた。だが、取材の波が引くと売り上げは低迷、年1万着台と低空飛行が続いた。
「ともかく前例のない製品ですから、消費者にとっては比較検討できる物がない。あと何といっても、暑いのにどうしてジャンパーを着なければならないか、という先入観です」
「論より証拠、一度着てみれば、どれだけ快適か絶対に分かるのに……」
市ヶ谷さんは歯がゆかったが、“見た目”の問題は思った以上に大きかった。
2004年モデル。市ヶ谷さんの息子の透さん(現・空調服社長)のアドバイスでファンを大型化。さらにこれまで服内の熱気を排気していた考えを逆転させ、外気を取り組む仕様に変更した
一方で、社業は日増しに傾いていく。
ブラウン管測定装置は1台500万円という高付加価値商品。月に3~5台も売れば十分にやっていけた。だが、1着1万円ほどの「空調服」はそうはいかない。資金繰りに窮した市ヶ谷さんは、私財を投げ出すも焼け石に水。銀行からは追加融資を断られる。脳裏に「倒産」の2文字がちらついた。
それでも諦めなかったのは、「屋外で熱中症から身を守れるのは『空調服』以外ない」という絶対的な自信、そして愛用者からの叱咤激励だった。
市ヶ谷さんには忘れられない電話がある。
ある日、会社のコールセンターに苦情電話がかかってきた。
「うちの旦那を殺す気か!」。開口一番、女性は担当者に当たり散らした。
彼女によると、これまで「空調服」を3着も購入したのに、その都度、現場での作業中にファンが止まるトラブルが起きたのだという。
当時は不良品も多く、ケーブルが断線する不具合に悩まされていた。
担当者から連絡を受けた市ヶ谷さんは、彼女の夫に電話をして謝罪した。炎天下で装着中にファンが突然止まったらどうなるか、その苦しさは自分も経験していた。
すると彼は、市ヶ谷さんに感謝の弁を述べ、こう励ましたのだ。
「オレは『空調服』のファンなんだ!これまで夏場は何度も病院で点滴を受けていたが、『空調服』を使い始めてからは一度も病院に行っていない。この服なしでは夏場の仕事はできないんだ。だから諦めないで頑張ってほしい」
リピーターは少しずつ増えていた。励ましの電話や手紙も届くようになっていた。
「『空調服』を必要としている人は世の中にたくさんいる。彼らの期待に応えなければ」──市ヶ谷さんは、技術担当取締役の胡桃沢武雄さんと、ああでもない、こうでもないと改良を重ねた。それはまさに「微に入り細を穿つ」1ミリにこだわった作業だった。
2011年、ようやく倒産の危機を抜け出す。この頃、かねて課題だったバッテリー問題の解決に成功。これまでの乾電池に代わり、リチウムイオン電池を中国工場で製造できるようになり、稼働時間と風力が大幅にアップした。こうした評価は口コミやネットを通して全国の建設現場の作業員たちの間に広がっていく。翌12年以降は売上は毎年倍増し、19年には120万着57億円に達する。
最近では有名アパレルメーカーとコラボした製品も開発。屋外で働く人たち以外に、アウトドアスポーツやキャンプなどで利用する人も増えている。気がつくと競合製品も数多く出回るようになり、今やファン付きウエア業界は200億円市場ともいわれる。
革新はたわいもない夢から生まれる
市ヶ谷さんが技術者として敬愛して止まない井深大が残した名言の中に、「たわいもない夢を大切にすることから革新が生まれる」というフレーズがある。
市ヶ谷さんの発明秘話を聞いていると、「空調服」こそ、そうした理念の塊といえる。20年余にわたる不断の思考が生んだ産物だ。
「思考には時に見落としがあります。それは、人間には“そうであるはずだ”という思い込みのようなものがあり、これが個人の思考回路に大きな影響を与えるからです。そんな思い込みが良い方向に向かうこともあるし、時に間違った思考を続けさせる原因にもなります」と市ヶ谷さんは言う。
これは「空調服」の場合で言えば、「水は冷媒に使える」という確信は前者で、「水を用意しなければならない」という思い込みが後者。市ヶ谷さんは、「自分がこんな見落としをしていたのは、少し客観性を欠いていたから。なんとしても事業化してやるという意気込みの裏返しだった」と振り返る。
「でも見落としがあったり、簡単なことに気づかなかったりするからこそ、人は思考するのが楽しい。未知なる可能性を垣間見るには、やはり人間は思考し続けなければならない。思考するのはぜいたくなことのように思えます」
市ヶ谷さんに言わせれば、「空調服」はまだ完成形ではなく、成長過程にある。この場では言えないもの、まだまだ他にアイデアがあるのだ、と。海外市場への進出も今後の課題である。
「これからも直感を大切に、アイデアを出し続けたい。そもそも冷却装置やアパレルの専門知識があったら『空調服』なんてアイデアに結びつかなかった。“これができる、あれなら可能だ”ではなくて、“こんなものがあったらいいな”という視点、そして“どうしてこうなんだろう”という好奇心を大切にして、たくさんの製品を生み出していきたいね」
バナー写真:地球温暖化を解決するための“思考実験”を通して、最終的に「空調服」を発明し、事業化につなげた市ヶ谷弘司さん。「最初は、地球と太陽との間に大きな反射板を浮遊させるとか、人工的な雲を作り出せないか、とか妄想しました」と笑う。撮影:天野久樹
画像提供:株式会社空調服
- 「空調服」は(株)セフト研究所・(株)空調服の特許および技術を使用しています
- 「空調服」は(株)セフト研究所・(株)空調服のファン付きウエア、その付属品、およびこれらを示すブランドです
- 「空調服」「」「生理クーラー」「空調フェイスシールド」は、(株)セフト研究所・(株)空調服の登録商標です