台湾で法廷通訳者になってみたー多元社会を支える仕事
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他人の一生を左右する任務
筆者が通訳として日本からの訪台客に同行していた時のこと。あるレストランで、客の1人がガラス戸を閉めた拍子に、パリンと割れてしまった。店主は弁償を求め、客の側は元からヒビが入っていたのだろうと主張して、折り合いがつきそうにない。筆者は双方の言葉をあたかも相手の気持ちに理解し、謝罪の気持ちを示しているかのように伝え、なんとかその場を丸く収めた。
それで良かったと思っているが、こういうことが許されない場合もある。その最たるものが、警察の業務や裁判に関わる通訳だ。
「ある日の深夜、バンコクから台湾に入国した日本人が、ヘロイン所持で捕まった。税関職員は英語が話せる人に通訳を頼んで聞き取りをし、次に空港警察署の職員が、日本語が少しだけ分かる免税店の店員を介して聞き取りをして調書を作成した。第一審では調書に基づき無期懲役の判決が下さたが、第二審の審理中に、店員の通訳が間違いだらけだったと判明し、最終的には懲役18年となった。誤訳が他人の人生を左右するケースも少なくない」
これは筆者が参加した法廷通訳の教育訓練で、教官が語った言葉だ。
別の教官は、中国語のややこしさを示す例として「結婚前我喜歡一個人,現在我喜歡一個人」という言葉を紹介した。和訳は「結婚前、私はある人が好きだった。今では一人でいることが好きだ」となる。同じ「一個人」という単語が、文脈によって別の意味になってしまう。
日本でも台湾でも、外国人が関与する事件やトラブルは連日のように報道されている。
日本には約276万人の外国人が居住しており(法務省2021年末統計)、近年では外国人労働者や留学生の受け入れ拡大を推し進める政府の方針はあるものの、受け入れ環境の未成熟さから、人権侵害や失踪者など幾多の問題が噴出している。
台湾も、80万人を超える東南アジア出身者をはじめ数多くの移民を擁しているが、言語をめぐる問題はそれにとどまらない。現在政府に認定されているだけでも16の原住民族がいて、それぞれが異なる言語を有している。漢民族のなかでも、公用語である華語(いわゆる標準中国語で、国語ともいう)に加えて台湾語(またの名を閩南語)、客家語などが混在。マイナー言語を母語とする高齢者には、華語をほぼ解さない人も多い。このほか、当事者が聴覚にハンディキャップを持つならば、手話を用いる必要もある。
台湾の法廷を支える民間通訳
法廷では国語(華語)を用いるものと法律で定められている。大小の民事訴訟から交通事故、詐欺、窃盗、傷害、セクハラ、レイプ、DV、雇用問題まで、事件は絶え間なく生じ、言語も多岐にわたるため、公務員の通訳だけではとうてい対処しきれない。そのため、台湾では華語と外国語に熟達した民間人に、「特約通訳」として臨時の通訳を依頼する制度が設けられている。地方裁判所では、通訳を必要とする裁判の99%を特約通訳が担っているそうだ。
色々な国の人に混じって講習を受ける
筆者ははじめ、地方警察機関が定期的に募集している「通訳人員」の講習と試験を受けた。実際に口頭弁論の通訳を2度務めた後、各地方の高等裁判所が管轄する「法院特約通訳候補者」にも応募し、資格を得た。
警察の講習はホテルの立派な会議室で行われ、受講者の大部分が東南アジア出身の女性で、鮮やかなアオザイなど民族衣装を身にまとった人も多かった。1日だけの講習と簡単な筆記試験が終わると、和気あいあいとしたムードで記念写真を撮ったりしていた。
一方、「法院特約通訳」の教育訓練は、打って変わって重々しいものだった。事前に言語能力を測る書類審査と面接にパスした者だけが受講できる。場所は高等裁判所。中に入ると警備員に呼び止められ、どこへ行くのか、そのスマホで録画しているのか、などとしつこく問われ、教室までついてきてやっと解放してくれた。不愉快な気持ちにもなったが、「ここはそれほどシリアスな空間なのだ。自分は今から、生半可な態度で臨むことは許されない重大な責任を担おうとしているのだ」という実感が湧いた。
教育訓練は3日連続で朝から夕方まで続き、法律用語、民法・刑法の基礎、裁判所の仕組みや裁判制度、通訳者の責任と倫理、速記の手法……等々のレクチャーをみっちり受け、渡されたレジュメを合わせたら実に245ページにもなった。一冊の本にも相当する量である。
20人ほどの受講者の過半数を占めていたのは台湾育ちの台湾人、もしくは海外育ちの台湾人(いわゆる華僑)で、日本人が筆者を含めて3人。東南アジア出身者に関してはベトナム出身者が2人だけで、いずれも高等教育を受けた人たちだった。非漢字圏で生まれ育った人々にとって、漢字のハードルは相当大きい。
最終日には、資格更新のために多数の経験者が加わり、メジャー言語をはじめ、タガログ語、タイ語、台湾原住民語、手話など、さまざまな言語の通訳者たちと知り合うことができた。
法廷で脂汗を流す
警察から電話で依頼され、初めて法廷に入った日。ピリピリした空気のなか、被告・原告と並んで腰かけ、宣誓書を読み上げサインする。裁判官が日本人の当事者にいくつか質問を投げかけるが、筆者はひどく緊張してしまい、また裁判官との距離が遠いせいもあって、ところどころ聞きとれない。メモを取るという基本的なことさえもろくにできていなかった。聞き覚えのない単語が出てきたときには、冷や汗どころか脂汗が出た。ただありがたいことに、書記のタイプする発話記録が目の前のモニタに映し出されるので、それにかなり助けられた。
2回目の通訳業務は、そこまで緊張することもなく、受け答えにもだいぶ慣れてきた。ただ、知らない法律用語が出てくると戸惑ってしまう。しばしば裁判官が気を利かして、自分から説明をしてくれたりもする。
通訳はつらいよ
閉廷後に窓口で報酬を受け取る。報酬は1日当たり1000元から5000元(2022年9月現在、1元=約4.5円)と定められていて、交通費や宿泊費は別途支給される。筆者は2回とも1500元だった。
平日仕事をしている人は休暇をとる必要もあるし、移動にも時間がかかる。割の合う金額とは言えないが、社会の役に、また同郷人の役に立てたことに大きな充実感が得られることは間違いない。むろん、しっかり役目をこなせていることが前提だ。
ただ、被告人が出廷しないために裁判ができず、報酬が支払われないこともある。真夜中に警察から突然、呼び出されることもあるし、裁判の日程が再三変更される場合もある。筆者も、コロナの影響で3度も延期された。長丁場の裁判となれば、むろん体力的・精神的な負担も大きくなる。
筆者が講習を受けたきっかけも、長年法定通訳を務める友人から、手が回らないのでぜひこの仕事を手伝ってほしいと誘われたことだった。
経験者のスキルアップの場を
日本にも法廷通訳人候補者制度があり、本サイト内にも現状と問題点をまとめた記事がある。台湾と比べてみると、裁判官との面談を経て研修に参加する流れは同じだが、さらに法廷傍聴や模擬実習が必須だったり、『法廷通訳ハンドブック』(財団法人法曹会)という充実したマニュアルが用意されていたりして、より高いレベルの専門性が求められていると感じる。
加えて、経験者がスキルを高めるためのフォローアップ研修も開かれている。台湾では(少なくとも筆者の暮らす台南市では)そのような研修はなく、有資格者同士が経験を共有し、知識を増やす機会がないに等しい状況のようだ。
台湾の警察機関や裁判所は、こうした学びの場を積極的に企画していくべきだろう。法廷通訳を始めたばかりの筆者が言うのもおかしいが、通訳者の数を増やすだけでなく、質をも高めてこそ、より円滑に任務を遂行していける。
バナー写真:台南でベトナム、インドネシアとの懸け橋として活躍されている方々と、「外事警察」の方と一緒に警察ラジオの番組に出演した際の写真(写真左が著者)。