ジュニアゴルフで史上初のグランドスラム達成: 11歳の天才少女ゴルファー、須藤弥勒

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今、トップクラスのプロゴルファー並みに注目されているジュニアゴルファーがいる。2022年8月6日に11歳になったばかりの須藤弥勒(みろく)だ。6月にジュニア欧州選手権で優勝し、ジュニアゴルフ界で史上初のグランドスラムを達成した。1歳からゴルフを始め、現在、週に3~4日は群馬県太田市内の自宅を離れ、茨城県常陸大宮市内の別宅で練習漬けの日々を送る。「破天荒」な須藤弥勒と弥勒を支える須藤家の実像に迫る。

元東大教授の父が指導

1700年代の創設という長い歴史を持ち「ロイヤル」を冠する名門のロイヤル・マッセルバラGC(英国スコットランド)で開催されたジュニア欧州選手権で、須藤弥勒は新たな歴史をつくった。3日間54ホールで争われた10歳女子の部で2位に14打の大差をつけて圧勝。17年と18年の世界ジュニア選手権、19年のマレーシア世界選手権、21年のキッズ世界選手権の優勝と合わせて史上初のジュニアゴルフ界の4大メジャー制覇を成し遂げた。

「1歳半の時からゴルフを始めて4つのビッグタイトルを取ることを目標に練習してきました。ジュニアゴルフ史上初の快挙を達成できて光栄です」と弥勒は満面の笑みで話した。

弥勒の野望はジュニアの世界にとどまらない。「2032年ブリスベン五輪で金メダルを獲得します」「世界で一番有名な伝説のゴルファーになります」など大きな目標を堂々と宣言する。

弥勒と弥勒を支える家族を一言で表現すれば「破天荒」。「今まで誰も成しえなかったことをすること」(広辞苑)という本来の意味に加え、多くの人が誤用している「豪快で大胆」を体現したキャラクターでもある。

わずか1歳でクラブを握り、元東大教授で仏教学者の父・憲一さんの緻密な指導のもと着実に成長を続ける。17、18年に世界ジュニアで連覇。同時期からテレビのバラエティー番組に多く出演し、「ナンバーワン! 私が一番よ!」の決めゼリフで一躍、有名人となった。

一日6~10時間の練習

須藤家の教育方針は独特だ。学校に通うことをさほど重視していない。弥勒は自宅がある太田市内の公立小学校に在籍しているが、登校するのは週に半分ほど。残りの半分は練習拠点としている常陸大宮市のゴルフ5カントリーサニーフィールド近くの別宅でゴルフ中心の生活を送っている。

「子供の個性や長所を伸ばすためにどうすればいいか、子供と一緒に考えることが親の務めと思っています。弥勒の場合、それがゴルフです。もちろん、本人がそれを望んでいることが大前提です。茨城では一日6~10時間くらい練習しています。勉強は私が教えています。弥勒は学校に行かなくても成績は良いですよ」

憲一さんは自信を持って持論を明かす。

須藤家の教育方針は兄・桃太郎君、弟・文殊君に対しても当然、同じ。6月のジュニア欧州選手権では2人は学校を休み、弥勒の試合に帯同した。母・みゆきさんを含めて家族5人で英国を回った。スコットランドでの練習と試合が終わった後にはロンドンに立ち寄り、一日かけて大英博物館を見学した。

弥勒は「エジプト展ではミイラが何体もあり、すごかった。女性のミイラには胸があったことに驚きました」と無邪気に語る一方で、「お父さんに『ここは素晴らしい博物館だけど、昔、イギリスが植民地から持ち込んだ展示物も多く、一部では強盗博物館と呼ばれている』という裏の顔もあると聞きました。『それでも昔の貴重な物が大切に守られて研究が進むというプラスもある』とも。世界は複雑なんだなあ、と思います」と感心した様子で話す。

みゆきさんは「自分の目で見て体験することで感性を磨くことができます。教科書ではなく、生きた素材から多くのことを深く学べると考えています」と3人の子供を思いやりながら話した。

横峯さくらの父・良郎氏が「監督」に

競技ゴルフの経験を持たない憲一さんは1000冊以上のゴルフレッスン本を読破し、その中で弥勒に適した指導を行っている。その中で、憲一さんは独りよがりにならず、別のコーチにも弥勒の指導を依頼している。複数いるコーチの中で弥勒をはじめ須藤家が「監督」と呼ぶ指導者が、横峯良郎氏だ。

須藤弥勒を指導する横峯吉郎氏(左)提供写真
須藤弥勒を指導する横峯良郎氏(左)

日本女子ツアー通算23勝の横峯さくらの父で元コーチの良郎氏が22年8月から弥勒を指導している。三女・さくらのほか、長女の瑠依、日本男子ツアー2勝の香妻陣一朗、同2勝の池村寛世、同1勝の出水田大二郎、日本女子ツアー1勝の香妻琴乃らも幼少時に指導した実績を持つ良郎氏は、「今、思えば、さくらが弥勒ちゃんの年齢だったころが人生で一番、楽しかった。もう一度、弥勒ちゃんと一緒にプロの世界を目指せることはうれしい。弥勒ちゃんの才能は素晴らしい。横峯さくらを超える選手に育てたい」と意欲満々に話す。弥勒も「良郎監督の指導で私のゴルフがどれくらい成長するか楽しみです」と前向きだ。

米国人プロゴルファーのグラント・ゴッドフリイはショートゲームコーチを務める。憲一さんは「グラントと会話することで生きた英会話のレッスンにもなっています」ともう一つの効果を説明した。

練習環境は抜群だ。太田市の自宅には最長50ヤードのアプローチ練習ができる芝生の庭がある。部屋には10メートルのパッティング用の人工芝マット、ガレージにはボールの距離、スピン量、初速度などを計測できる最新のシミュレーションマシンが完備。常陸大宮市ではゴルフ5カントリーサニーフィールドでラウンドを中心に実戦的な練習を積む。

自宅ガレージに設置されたシミュレーションマシンでボールの距離、スピン量、初速度などをチェックしながら練習する須藤弥勒(右は父・憲一さん)
自宅ガレージに設置されたシミュレーションマシンでボールの距離、スピン量、初速度などをチェックしながら練習する須藤弥勒(右は父・憲一さん)

12社・団体とスポンサー契約

世界一を目指す弥勒と須藤家にとって、今年、強烈な追い風が吹いたことも大きい。22年1月にアマ資格の規定が大幅に改定され、アマチュアゴルファーも無制限でスポンサー収入を得ることが可能になった。その結果、抜群の実力と注目度を持つ弥勒のもとにはオファーが殺到した。

自宅でパット練習に励む須藤弥勒(左は父・憲一さん)
自宅でパット練習に励む須藤弥勒(左は父・憲一さん)

ゴルフ専門店の「ゴルフ5」との所属契約、並びにマネジメント契約を結んだことを手始めに続々と契約が決まった。家具などの企画・販売を行う大手の「ニトリ」、菓子・食品製造販売の「UHA味覚糖」、いしど式のそろばん教室を運営する「イシド」、自動車販売の「100%新車館」、飲料水製造販売の「サーフビバレッジ」、総合建設業を営むディーワイプランの住宅ブランド「ビスコッティハウス」、地元の群馬・太田市に本社を置くタイヤ・ホイール専門商社の「ニッタタイヤ」とスポンサー契約。キャディーバッグに「Rakuten」、帽子に「SMBC日興証券」、福祉系の一般社団法人の「JUKAI」のロゴが入った。

さらに7月には靴下などの製造・卸売業の「キャプテン・ユー」と靴下着用契約を結んだ。通常、靴下はウェア着用契約に含まれるが、異例の「別売り契約」となり、しかも、条件は破格。関係者によると、20年の長期で推定年間100万円、推定総額2000万円の超大型契約になったという。少女がベテランになるまで“足元”が固まった形になった。

11歳のアマチュアながらスポンサーは計12社・団体。トッププロゴルファー並みだ。「まだ、小学生なので契約内容やお金のことは分かりませんが、応援してくれる方々のために精いっぱいプレーします」と弥勒は“看板娘”として責任感を持つ。

三浦知良の名言

注目度が高まる一方で批判を受けることも多くなった。6月に欧州ジュニアを制して自信を持って臨んだ7月の世界ジュニアは17位に終わった。まさかの大敗によって心ない批判が弥勒の耳にも届いたという。「期待された中、勝てずに一日だけ、へこみました」と正直に明かす。

弥勒を立ち直らせたのは憲一さんが尊敬するサッカー元日本代表FWの三浦知良の名言だった。「お父さんにカズさんのすごい言葉を教えてもらいました。『活躍した時、スポーツ新聞の一面になるのは当たり前。負けた時に一面になる選手が本物だ』と。批判されることも前向きに考えるということですよね。将来、カズさんのような本物のアスリートになれるように頑張ります」と前向きに話す。

「ゴルフの天才少女」と呼ばれ、弥勒も自身を「天才」と称する。ただ、その真実は「努力の天才」。ほぼ毎日、6~10時間の練習を続けている11歳は「これからも『史上初』『日本人初』をキーワードに前人未到の記録に挑んでいきたい」ときっぱり話す。称賛や注目だけではなく、批判さえもエネルギーに変えて、須藤弥勒は今日も球を打つ。本当の勝負は5年後、あるいは10年後に決まる。

バナー写真:2022年6月に行われたジュニア欧州選手権で優勝し、ジュニアゴルフ界で史上初のグランドスラムを達成した須藤弥勒 提供写真

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