台湾人が故・安倍晋三氏に感謝する理由
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奈良市内で安倍晋三元首相が銃撃されたというニュースが流れると、台湾でもネット上に身を案じる書き込みがあふれた。多くの台湾人にとって安倍氏は「日本の元首相」以上の存在だ。その後の訃報で悲しみに暮れた人も少なくない。台湾で暮らす日本人からも事件に対する台湾社会の反応は「想像以上だった」との声が出ている。
安倍氏の評価については、台湾でもさまざまな意見がある。例えば野党・国民党は、哀悼の意を示すために党ビルに半旗を掲げるかどうかで党主席と報道官との間で意見が分かれた。
「台湾に寂しい思いをさせてはならない」
大使館に相当する日本台湾交流協会が設置したメッセージボードは、あっという間に追悼の言葉で埋め尽くされた。スペースがなくなって、黄色い付箋紙にメッセージを書いて貼り付けていく人もいた。交流協会はすぐに2枚目のボードを用意した。弔意とは程遠い言葉を書く人がいると、後から来た人が、黒のサインペンで上からハートの形に塗りつぶしていた。交流協会の台北と高雄の両事務所には合わせて1万5000人近くの人が記帳と献花に訪れたという。
同協会の台北事務所代表(大使に相当)を務める泉裕泰氏は就任前に安倍氏から、「あなたの一言一言が、気づかないうちに台湾の人たちを悲しませることのないよう、市民感情に心を留めてほしい。台湾に寂しい思いをさせてはいけません」と指示されたという。
台北のランドマーク台北101では4日間にわたって、「永遠の友」安倍氏のために追悼のライトアップが行われた。高雄市を流れる愛河と高雄流行音楽センターも白のライトアップをもって哀悼の意を表している。また台湾で唯一、旧日本軍の軍艦を祭っている廟(びょう)「紅毛港保安堂」は追悼の特設会場を設置した。
民間交流団体「安倍晋三友の会」が産経新聞に追悼の全面広告を掲載するために寄付を募ったところ、1日で目標額を軽くクリアしたという。同団体は余剰金を、追悼記念コンサートや日本人の台湾留学のための奨学金などに充てるとしている。さらに、追悼広告が掲載された新聞100部を、かつて台湾で活動していたカメラマンの小林賢伍氏が自費で購入し台湾に送った。その新聞を台北メトロの駅で配布したところ、駅には長蛇の列が出き、あっという間に配布が終了したそうだ。
このように台湾ではさまざまな形で、安倍元首相の死を悼んだ。
日本の若手政治家との交流が重要
民進党の立法委員(国会議員に相当)であり、国際問題に積極的に取り組む医師・林静儀氏は2019年に横浜で設立総会が開かれた「女性リーダーらによる海洋環境保全団体Leading Women for the Ocean」のフォーラムに参加し、安倍昭恵夫人と面識を持ったそうだ。林静儀氏は「安倍元首相にはお会いしたことはありませんが、旧知の先輩の訃報に接したよう」とその思いを言い表す。
そして、こう話した。
「本来なら安倍元首相が来台する計画がありました。私は、医療従事者として、命が永遠ではないことは心得ていますが、コロナの流行がなければ実現していたかもしれないと思うと、その機会が永遠に失われたことがともて残念です」
林氏は、同党が長年にわたり日本の多くの政治家と友好関係にあり、党内には安倍氏本人だけでなく、その家族とも交流がある人もいると話す。政治家同士の交流と言えば、過去には李登輝元総統が日本の政界と深い関係を築いている。李登輝元総統がこの世を去り、そして安倍氏も亡くなった今、日台関係が変わってしまうと嘆く声が聞かれることは不思議ではない。
と言うのも、台湾は日本の植民地だったことから、上の世代では日本に対し比較的特別な感情が持たれているが、次の世代は違うのだ。「民進党は日本の若手政治家と次世代に向けた関係を築く必要があります。安倍元首相の事件とは別に、非常に重要なことなのです」と林氏は語った。
ポスト安倍時代の日台交流に向けて、林氏は以前から推し進めていたプロジェクトがあることを明かした。2020年には英・『エコノミスト』誌が、日本で別の女性リーダーと海洋問題のイベントを開催する予定だったが、コロナ禍で延期を余儀なくされている。
「台湾海域の安全と海洋資源に関する日台共同の取り組みは、この2年間は思うように進めることができませんでしたが、台湾の若手政治家の日本の政策研究大学院大学への研修留学は継続しています。民進党の報道官を務める謝子涵氏は日本で地方創生を学びました。国際協力機構(JICA)に相当する台湾の『国際合作発展基金会』がJICAの国際援助や国連での経験から学ぶことができるよう、働きかけたいと考えています」
林氏は、台湾の国民が安倍元首相や日本の国民に対し非常に強い思い入れを持っていると指摘する。その思いは安倍氏が亡くなったからと言って簡単に消えてしまうものではないと言う。
「日本人は台湾と日本は兄弟みたいなもので、台湾有事はすなわち日本有事だと言ってくれました。この言葉は長い間、国際社会から孤立していた台湾に深い感動を与えました。日本と台湾の関係は、いわゆる外交以上のものです。踏み込んで言えば “国交” という文字を飛び越えた重要かつ特別なものなのです」
安倍元首相追悼で動画制作
ツアーコンダクターで、熱烈な幕末ファンでもあるブロガーの工頭堅(Ken Worker)氏は、 安倍氏の故郷である山口県(長州藩)を紹介する動画を公開した。
工頭堅氏は安倍氏銃撃の映像を見た時、「歴史的」な瞬間だと感じたそうだ。
「例えば、米国のケネディ大統領が暗殺された瞬間の映像のように、ドキュメンタリーや映画でこうした場面を見たことはありました。でも、まさかこの情報化の時代に、こんな事件が起きるとは思いもしませんでした。事件を知った時の悲しみは本当に…安倍さんに対する世間の評価を抜きにして、親しい目上の方が亡くなったようで、今思い出しても、とても悲しい」
工頭堅氏は長州藩の歴史を学び、安倍元首相の一族と長州藩との関係にも詳しい。以前から幕末、明治、そして太平洋戦争に続く歴史の解説動画を作ろうと考えていたという。安倍元首相の死後に、工頭堅氏のような歴史マニアの目線で、山口県の歴史が語られることは、安倍氏に捧げる感謝の意としてこの上ないものと言えるだろう。
しかし、動画の公開後、「残念な事件ではあったが、あなたの祖先を殺したA級戦犯を参拝した首相をしのぶということが理解できない」と、簡体字の書き込みがあったという。
工頭堅氏によると、台湾人には、この動画が、安倍氏への感謝を意味すると伝わるそうだ。しかし中国には恐らく別の視点で伝わってしまうようである。「そもそも歴史認識には多くの視点が存在し、深く知れば知るほど、ある一つの見方に固定することができないケースが多い。大切なことは、安倍さんは台湾に手を差し伸べてくれた人であり、私達が守りたいと考える民主陣営を応援してくれた友人だということです。だから安倍さんの死を悼むのです」
友人からは、「こんな動画を作って大丈夫なのか?」と心配の声もあったというが、工頭堅氏はこのように語った。
「日本国内でもさまざまな意見があり、手放しで全ての日本人が安倍さんのやり方や政治家としての実績を受け入れているとは思っていません。ただ一人の台湾人として、安倍さんに敬意を表したかったのです。日本国内の意見や立場とは何の関係もありません」
工頭堅氏はコロナの流行が収束したら、安倍氏の地元・山口県長門市を訪問したいと考えているという。かつて、坂本龍馬の生誕地や高杉晋作や桂小五郎の家、彼らが亡くなった地を旅したのと同じように、銃撃事件が起きた奈良に行くのも、安倍元首相への敬意を表す方法なのだろう。
「はっきりと言えるのは、私が政治や生活においてアメリカや日本と同じ制度を持つ社会にいたいと思っていることです。血でも人種でもなく、同じ価値観の世界にいたいのです。安倍さんのように台湾を同じ陣営にいて欲しいと強く考えている政治家が他に日本にいるかどうかはよく分かりません。少し不安でした。しかし、事件後、政府や民間に関わらず日本から聞こえてくる声は私の不安をかき消してくれたように思います。私は絶望していません。台湾と日本は同じ民主国家で、最も大切なのは国民同士の思いなんです。日台の国民が友情を育み、どんな共通認識を持つかによって、日本で選ばれる政治家が変わってくると思います。もし選ばれた政治家が台湾の態度や民意に対して反対を示したとしても、民主的社会なら必ず世論の反発が起こるでしょう。このような制度や生活を維持できれば心配はありません」
バナー画像:安倍晋三元首相の逝去後、日本台湾交流協会に設けられたメッセージボード。設置後すぐに弔問客によるメッセージでいっぱいになった(AFP/アフロ)