たいわんほそ道~馬祖──島と島をつなぐ海の道をゆく(後編)

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道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。時間という永遠の旅人がもたらした様々な経験を、ひとつの街道はいかに迎え入れ、その記憶を今、どう遺しているのだろう?連載紀行エッセー、今年台湾で初めての島芸術祭が行われた連江県馬祖の海路をゆく。

かつて馬祖の漁師たちにはひとつの約束事があった。海で出会った水死体はかならず岸に揚げて丁重に埋葬すること。そうしないと、災厄に見舞われるという。

かわりに漁師らはその魂に豊漁を祈り、願いが叶えば廟や祠を建て感謝をささげた。時を経て、海を彷徨ってきた霊は土地の守り神となった。台湾には至るところにこうした無縁仏を祀った廟があり「萬善廟」あるいは「大衆爺」「有應公」と呼ばれるが、海と関わりがあるとは限らない。

台湾海峡を流れてきた村の守護神

北竿の后沃村で、楊公八使という道士を祀った「后沃境楊公八使宮」もそのひとつだ。

福建沿海の谷間にある小さな村に生まれた楊公八使は、小さな頃に能力を見込まれて法術を学び道士となったが、悪い龍との戦いがもとで谷に落ちて死んでしまう。谷から台湾海峡に流れでた楊公八使の死体は馬祖の北竿鄉后沃村に流れ着き、村人たちは馬祖名産の黄魚の豊漁を願いながら手厚く葬った。そんな村人の願いを叶えた楊公八使はその後、后沃村の守護神となったという。

楊公八使を祀った「后沃境楊公八使宮」、楊公八使が命を落とした原因である「龍」のモチーフはこの廟のなかでタブーとなっている
楊公八使を祀った「后沃境楊公八使宮」、楊公八使が命を落とした原因である「龍」のモチーフはこの廟のなかでタブーとなっている

后沃村から山をこえて、島の反対の芹壁聚落へむかう。

今は緑に覆われる馬祖の島々だが、元はゴツゴツとしたむき出しの岩山の連なりであったと地元の方が教えてくれた。それではこの緑はどこからやってきたのだろうか?答えはなんと、この島々を軍事拠点とした中華民国軍の軍人たちが植えたものが今やこの景色を作っているのだという。敵が空からパラシュートなどで降りて来るのを想定し、竜舌蘭といったサボテンや葉の尖った植物が選ばれた。つまり馬祖の緑は自然を利用した「迷彩色」というわけで、こんな広範囲にひとつひとつ植物を植えるのに、どれだけの時間と労苦を費やしたろうと想像してしまう。

馬祖に植えられた植物にはトゲトゲのものが多く、至るところで龍舌蘭が花を咲かせていた
馬祖に植えられた植物にはトゲトゲのものが多く、至るところで龍舌蘭が花を咲かせていた

湿って濡れた暗いトーチカの小さな射口から銃を海にむけ、ただひたすら「いつか来るはずの敵」を待つ。射口はまた景色を切り取る「窓」であり、窓の周りには目隠し用に植物が植えられる。窓の向こうに太陽がゆっくりと海に溶け落ちるように沈み、永遠のような時間がながれる。トーチカから海に続く岸壁に、割れたガラスの破片がセメントで固定されて顏を出しているのは、水中を泳いで上陸してくる敵「水鬼」への対策のためだ。馬祖は金門と違って実際の戦闘地となることはなかった。軍事拠点として全身をハリネズミのように尖らせ、孤独に敵を待ち続けたのだ。

トーチカの射口の向こうに、太陽がゆっくりと海に溶け落ちるように沈む
トーチカの射口の向こうに、太陽がゆっくりと海に溶け落ちるように沈む

軍事拠点の名残り

「馬祖の人にとって、軍隊ってどんな存在だったんでしょうか?」

と地元の自治体の方に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「それは何とも言えないよ、簡単に言える事じゃない。ただ、自分たちで一所懸命たがやして収穫できるようになった土地にいきなりやって来て、“ここは使うので他の場所に移ってください”って言われたらどう思う?」

軍隊がやってきたから、島中に道路もできた。島が一般開放された後もいくらか残る軍事基地の軍人さんたち相手に商売もできる。高齢者の多い島では貴重な人手で、元宵節には巡行パレードの担い手でもある。かつての敵への恐怖心は、いまや優しい緑へと姿を変えて風に揺れる。軍事遺構も、時間と共に島の文化の一部となった。

馬祖のなかで最も伝統的景観が保存される芹壁聚落
馬祖のなかで最も伝統的景観が保存される芹壁聚落

芹壁聚落は馬祖のなかで最も伝統的景観が保存された集落だ。山の斜面に立ち並ぶ花崗岩で組まれた家々と青い海とのコントラストが何とも美しい。70年代より、漁業が下火になるにつれ空き家が増えたが、90年代に県が保存地区に指定したことで修復や民間経営がすすみ、今にいたる。

あちらこちらの壁に埋め込まれた「争取最後勝利(最後には勝利を)」「検粛匪諜(スパイは検挙せよ)」といった石造りのスローガンのほか、「蛙」がモチーフとなったイラストや小さな彫刻が目を引く。なんでも蛙は「鉄甲元帥」といって、この村の守護神なのだそうだ。紀元前、福建の閩江河流域には閩越族という先住民が国をつくっていたが、漢の武帝に滅ぼされた。閩越族には信仰する蛙とヘビの模様を身体に彫る刺青文化があり、芹壁聚落の蛙信仰の源流は、閩越族にあるのではないかとの説もある。

「検粛匪諜(スパイは検挙せよ)」といった石造りのスローガン
「検粛匪諜(スパイは検挙せよ)」といった石造りのスローガン

市場の優しい伝統の味

馬祖いちばんの伝統市場、南竿の介壽獅子市場の朝は台湾本島では見たことのない料理であふれている。大人気で行列が出来るのが「鼎邊糊」。火にかけた大鍋のふちでクレープ状に固めた米粉と海の幸の入ったスープで、海鮮がゆのような優しさが身体を目覚めさせてくれる。

「𧋘餅」(蠣餅)は、大豆と米の粉を水で溶いたもので牡蠣や豚肉などの餡を包んで揚げたおやきのようなもの。どちらも馬祖からもっとも近い中国・福州の伝統料理である。

「福州といえば福州魚丸(魚のつみれ)が有名ですが、馬祖にもありますか?」

同じテーブルの、馬祖の小学校で教鞭をとっている鄭惠琴さんに聞くとさっそく市場の何処からか買ってきてくださった。新鮮でプリプリした小さめの魚丸。馬祖ではかつて魚丸は、年越しの時だけこしらえる特別な料理だったという。

大豆と米の粉を水で溶き、牡蠣や豚肉などの餡を包んで揚げた「𧋘餅」
大豆と米の粉を水で溶き、牡蠣や豚肉などの餡を包んで揚げた「𧋘餅」

馬祖の福州魚丸のスープ
馬祖の福州魚丸のスープ

地元東莒の子供たちの教育に長年携わってきた鄭惠琴さんは、今回、馬祖で初めて行われたアート・ビエンナーレでも、クラスの生徒や家族を連れて作品を観てまわった。軍事拠点も含めた戦地、土地の伝説や民俗、信仰、食習慣、植生、生態系など馬祖の多様な文化をテーマにしたビエンナーレは今後10年にわたって開催の予定だが、どのようにこれらが馬祖の地元の人々と関わっていくか期待をしている。

東莒の伝説をもとにした陶器の作品(馬祖国際ビエンナーレ提供)
東莒の伝説をもとにした陶器の作品(馬祖国際ビエンナーレ提供)

馬祖で生まれ育ち50年以上を過ごしてきた鄭さんといえども、馬祖の土地の多くを占めてきた軍事拠点には馴染みがない。鄭さんの祖父母や親の世代にとって軍事拠点は得体の知れない恐ろしく忌まわしい場所で、子供たちも遊びに行かないよう戒めてきた。そんな鄭さんが以前「瀬戸内国際ビエンナーレ」を訪れた際に感銘を受けたのが、島の高齢者の暮しに活き活きと関わる男木島のアート作品「オンバ」(細い坂道の多い島の生活に欠かせない手押し車のこと)だった。軍事拠点に囲まれ、心のなかに壁を作ってきた馬祖のお年寄りたちが、アートを通して笑顔で元気になってほしい。鄭さんはそんな風に馬祖でのビエンナーレに期待を寄せる。

鄭惠琴さんと児童たち、東莒猛沃港にて。いつも海の廃材や地元の野菜を教材として利用する(鄭惠琴提供)
鄭惠琴さんと児童たち、東莒猛沃港にて。いつも海の廃材や地元の野菜を教材として利用する(鄭惠琴提供)

廃村に集まるアーティスト

かつて馬祖で2番目に大きな集落だった東莒の大浦聚落は、開放後にだんだんと住人が離れて世に忘れられた廃村となった。だが、2009年からは島外のアーティストたちが移り住み、廃墟を修復しつつ、流木や貝殻、廃材などを再利用して土地の信仰や伝説と関連のある作品をつくるなどの町おこしをはじめ、住人も次第に戻ってきている。

今回の馬祖ビエンナーレでは、そうしたアーティストらが中心となり「神祕小海灣」という入り江に作品を設置した。圧倒されるような美しさを持った「神祕小海灣」には、かつては軍の火葬場があった。様々な理由で不自然な死に方をした軍人たちがここで焼かれ、また解放後には密貿易の取引場となった。そうした負の記憶は地元のひとびとを遠ざけ、神祕小海灣はゴミだけが流れ着く、誰も寄り付かない地となった。

神祕小海灣(馬祖国際ビエンナーレ提供)
神祕小海灣(馬祖国際ビエンナーレ提供)

アーティストの楊芳宜さんと林俊作さんらは、ここ小海灣に流れ着いたプラスチック廃材を細いひも状にして編んだ色鮮やかな座面の椅子を作って設置し、これまで誰も寄りつかなかった入り江に人々を招き入れて「居場所」を提供した。また住民には一つの椅子を選んで名前を書いてもらい、芸術祭が終わったのち家に持ちかえって貰うことにした。

世界に馬祖の美しさを

鄭惠琴さんのクラスの生徒のひとりは、こんな感想文を書いた(一部抜粋)。

「先生が連れて行ってくれた“神秘小海灣”には、国際芸術祭のボランティアの方々が地元の廃材を貼り合わせて作った椅子がありました。どれもこれも素敵で感激し、その中の綺麗な一台の椅子に僕の名前を書きました」

「馬祖ビエンナーレは、離島でもアートを実践し、世界に馬祖の美しさを見てもらえることを教えてくれました」

哲学者で東京工業大学名誉教授の桑子敏雄は「空間の歴史性、すなわち空間の履歴が空間の豊かさをつくりだす。したがって、豊かな履歴をもつ空間こそ、人間の存在にとって本質的な意味を持つ」と言っている。

入り江の岩のそばに行くと、「水鬼」用に埋められたガラスの破片は、長い時間と波に摩耗されて丸みを帯び、美しいシーグラスのように光っていた。はるか過去から馬祖に文化をもたらしてきた海は、また再び、馬祖のひとびとの手に戻ったのだ。

神秘小海灣に設置された作品を鑑賞する鄭惠琴さん(右手前)と児童たち(鄭惠琴提供)
神秘小海灣に設置された作品を鑑賞する鄭惠琴さん(右手前)と児童たち(鄭惠琴提供)

バナー写真:馬祖の村の守護神である蛙。蛙信仰の源流は、福建の閩江河流域にいた先住民・閩越族にあるという説も

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