参議院選挙の舞台裏ルポ: 公正な選挙を支える高速分類機と人海戦術

政治・外交 社会

街頭での応援演説中に安倍晋三・元首相が凶弾に倒れ、その衝撃が冷めやらぬ中で行われ自公与党が改選議席の過半数を獲得、大勝した2022年の参院選。何かと大きな注目を集めた今回の国政選挙だが、その舞台裏はどうなっていたのか。新聞記者を退職後、初めて選挙アルバイトとして投開票作業に参加したジャーナリストが体験ルポする。

選挙報道はメディアの一大イベント

選挙報道は新聞社やテレビ局がスピードと正確さを競う一大イベントだ。とりわけ候補者の当落を判じる開票速報には、各社とも文字通り社の総力を挙げて臨んでいる。筆者が働いていた新聞社では、「NHKに負けるな」が合言葉だった。編集局のみならず、広告局や販売局など記者職以外の社員も総掛かりで動員され、要所要所で一夜限りの選挙報道を支えていた。

全ては選挙管理委員会(選管)に先んじて開票データを把握するため。選挙を支えるのはまさに人の力である。正確には人の手作業の力と言った方がいいかもしれない。

ネット選挙の時代と言われる。インターネットやSNSの活用が選挙運動で解禁されたのは2013年。候補者や政党から有権者に向けた情報発信は大きく様変わりし、ユーチューブやツイッターを多用する候補者が激増した。しかし、選挙の投開票は旧来の人海戦術で支えられている。今回、選挙アルバイト員として実務に携わってみて、それを実感した。

筆者が担当したのは、関西某県の2つの市の投票所と開票所。選挙のアルバイトは意外にも人気が高く、派遣会社による事前説明会と簡単な面接を経て、2倍近い競争率を何とかクリアできた。時給は日中の前者が1100円、深夜帯の後者が1300円だった。

リハーサルなし、ぶっつけ本番

投票所の朝は早い。わが投票所は私鉄駅から徒歩約10分の閑静な住宅街にある公民館が会場。市内に55カ所ある投票所の1つで、登録された有権者数は約1400人。午前6時半の集合時間までに、選挙事務を担う40代から60代までの男女7人が顔をそろえた。市職員が2人、それを補助するアルバイト員が筆者を含めて3人、そして立会人の2人。

投票所の事務作業は次のような流れで進む。まず名簿対照係が有権者が持参する選挙通知書と備え付けの選挙人名簿抄本を照合し、本人かどうかをチェックする。確認できたら、投票用紙交付係が選挙区の投票用紙を手渡して、候補者名を記入してもらう。それを投票箱に入れてもらった後、同じように比例区の投票用紙の交付、記入、投票を繰り返す。平均すると1人5分程度。筆者は選挙区の投票用紙交付係を割り振られた。

リハーサルもなく、いきなりぶっつけ本番。午前7時に投票所の扉が開くと、年配の男性が「おはよう!」と元気よく入ってきた。有権者の流れはひっきりなしに続く。午前中は年配の男性や高齢の夫婦が大半で、午後から女性が目立つようになる。夕方から夜にかけては、小さな子供を連れたファミリー層や若い男女に入れ替わった。印象に残ったのは、この地区には若者がいないのかと思えるほど10代や20代の有権者の姿が少なかったことだ。

選挙事務には驚くほど細かい手作業が多い。例えば、名簿照合では、有権者の選挙通知書と名簿抄本の両方に1人ずつ割印を押さなければならない。投票用紙を配る際にも、漏れがないよう選挙通知書に1枚ずつ通し番号を回転式スタンプで押す。実はこの役目が筆者の仕事だったのだが、スタンプの番号がうまくコマ送りされず、あわや大混乱に陥りかけた。スタッフみんなが心配してくれて、遅ればせながら取り扱い説明書を点検してみると、ボタン操作を誤っていたことが分かり事なきを得た。

キャップ格の市職員は神経質そうに「投票用紙をダブって手渡したり、持ち帰らせたりしないでください」と繰り返す。投票用紙の配布ミスと投票総数の数え間違いの2つは、市全体の選挙事故につながるため厳禁事項だからだ。十数分おきに枚数や人数に間違いがないか、全員で入念にチェックを繰り返した。

選挙スタッフにもネット投票待望論

新型コロナウイルスの感染対策も私たちスタッフの大事な仕事の1つ。会場の案内係は医療用のゴム手袋をつけ、マスクを忘れた有権者に無料で提供したり、数時間おきに投票台をアルコール除菌シートで入念に拭いたりする徹底ぶりだった。

有権者の流れが落ち着くと、スタッフ同士でおしゃべりが始まる。話題に上ったのが、「なぜネット投票にしないのか」という素朴な疑問だった。スマホやパソコンから投票ができれば、障がい者や年配者も楽に参加できる。何より低コストで早くて正確だ。そうなればアルバイトも不要になるというのに、煩雑な手作業を続けていると、ついそんな愚痴が口を突いてしまうのだろうか。

年配格の市職員が答えた。「技術的には可能だけど、誰がどの候補に投票したかがバレちゃうからだよ」。とっさに「暗号装置で秘匿できるのでは?」と反論が頭に浮かんだが、その場では追求せず、後で調べてみた。

ネット投票をめぐっては総務省が2018年、有識者会議の報告書をまとめている。課題がいくつもある。まずは安定した通信システムを確保できるかどうか。KDDIで先日起きた通信障害などを考えれば合点がいく。他にも厳正な本人確認、憲法が保障する投票の秘密などの問題も。投票用紙を箱に入れ、誰がどの候補に投票したかが分からなくなる現在の仕組みは、実は憲法上の規定に由来しているのだと初めて知り不勉強を恥じた。実際、国政選挙でネット投票を導入しているのは世界でもエストニアぐらいと言われる。ネット投票の実現はまだまだ先になりそうだ。

かくして午後8時をもって13時間に及んだ投票は終了。すぐに5キロ離れた別の市の今度は開票所へと自転車を走らせた。当該市の投票総数は20万票余り。開票所には巨大なスポーツセンターが充てられ、集まった市職員やアルバイト員は総勢300人前後に上った。わずか7人の投票所とはスケールが違う。それぞれ自分の役割が印字された名札を首からぶら下げ配置に就いた。

意外に多い誤字・脱字

開票集計作業は選挙区と比例区の2つのラインに分かれ、会場入口から奥のステージに向けて作業が進む流れ。「〇〇係」と細分化された業務は20近い。投票用紙を作業台の上に広げて束にする開披(かいひ)係、候補者別に票を分ける分類機操作係、機械で読み取れない票を手作業で仕分けする識別不能票分類係、疑問票を見つける内容点検係……。大半が手作業だ。1人が複数の係をこなしつつ先に進む仕組みで、筆者の仕事も投票箱の開封係→開披係→内容点検係と3度変わった。

午後9時半、号令とともに開票開始。冷房の効きが悪く、蒸し暑い会場はざわめきに包まれ、大勢の人たちがぶつかり合いながら動き出した。

最もつらかったのは、候補者名が正確に書かれているかどうかを見分ける作業だった。開票所には両面読み取り機能付きの高速分類機が10台配置されていたが、候補者別に分類し終わった途端、手作業による人海戦術に切り変わる。筆者には「片」という字の付いた候補者の疑問票探しが割り振られた。「片」という漢字を正確に書けない人が世の中にいかに多いことか。「方」や「庁」などの誤字はまだましで、とんでもない部首の創作漢字にたくさんお目にかかった。午後11時半、およそ5000票超をチェックし終えたところでアルバイトチームの作業は終了。あとは市職員チームへと引き継がれた。

ベテランぞろいの市職員チームは、きっと難なく開票を処理するだろう。そう安心して開票所を後にしたのだが、それが楽観に過ぎなかったと翌日知ることになった。その後、案分票を巡るトラブルが起き、集計を途中から手作業に切り替えたため、最終結果の発表は午前7時にずれ込んだという。投票作業を手伝った市でもトラブルが起きていた。こちらは職員が投票者数の入力を誤り集計が混乱、開票は午前6時半にやっと終了した。きっと両市では翌日、大勢の職員たちが睡魔と闘いながら日中の勤務に耐えたことだろう。

信頼性が高いネット投票や電子投票の実現にはもう少し時間がかかるとしても、この膨大な手作業を軽減する方策はないものか。実は、専門家によると、日本のように候補者の氏名や政党名を手書きで投票用紙に記入させる「自書式」を採用する国は世界でも珍しい。多くの国々ではあらかじめ氏名などが印刷された投票用紙に〇や×を付ける「記号式」を採用しているという。

なぜ簡便でスピーディーな「記号式」に切り替えないのか。主な理由の1つは、投票用紙の「上位に印刷された候補名に〇をつける人が多いので不公平になる」と信じる一部の国会議員の反対があるためだとか。とはいえ、関係機関が氏名の順位が有権者の投票行動にどう影響するか検証したという話は、寡聞にして知らない。

かくして日本の民主主義は令和の新時代になっても、夜を徹して投開票事務の重労働に耐え抜く選挙関係者の奮闘に支え続けられている。多くの専制国家で公正な選挙が行われず、国民が圧制に苦しんでいる中、日本で民主主義が機能しているのは彼らのお陰だが、もう少し彼らの負担を軽減してやれないものか。今回、自分が体験し、そう感じた次第。

バナー写真:2022年参院選の投票所で最初の有権者に投票箱の中が空であることを確認する担当者=2022年07月10日、東京都新宿区(時事)

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