
それでも「沖縄は豊かになった」、県内唯一の百貨店「デパートリウボウ」のトップに聞く
経済・ビジネス- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
那覇空港駅から沖縄都市モノレール「ゆいレール」に乗ること約12分。那覇市の中心部に位置する県庁前駅に到着する。改札口を出て、右に進むと目に飛び込んでくる白い建物が、地下2階、地上10階建ての「デパートリウボウ」だ。
「デパートリウボウ」は那覇市のど真ん中に店舗を構える。道路をはさんだ向かい側には沖縄県庁や那覇市役所が立ち並ぶ
かつて沖縄には「三越」や「山形屋」の店舗もあった。しかし、全国的に百貨店の数が減少する中、沖縄もその例に漏れず、現在はデパートリウボウが県内唯一となった。
親会社となるリウボウホールディングス(HD)は、百貨店事業(運営会社はリウボウインダストリー)のほか、コンビニエンスストアの「沖縄ファミリーマート」や、スーパーマーケット「リウボウストア」といった小売業全般を手掛ける。
同社のルーツは、戦後間もない1948年に創業した琉球貿易商事で、日本本土や海外と物資の取引を行う「列島間貿易」を事業にしていた。その後、スーパーや百貨店などに手を広げていき、今では売上高が1000億円を超えるまでの企業グループとなった。そんなリウボウHDを指揮する糸数剛一会長は、ファミリーマートの米国法人でCEO(最高経営責任者)を務めた経験もある。沖縄経済界の代表的なリーダーである。
本土復帰から今年で50年。沖縄経済はどう変わったか。その中でデパートリウボウはどのような成長を遂げたのか。糸数氏に話を聞いた。
復帰によって沖縄は豊かになった
「本土に復帰して良かったかどうか。これについてはさまざまな考え方があります。例えば、復帰しなければ沖縄はもっとグローバルな場所になっていたかもしれないという意見も。でも、客観的に現実を見るとどうでしょうか。間違いなく沖縄は豊かになりましたよ」
復帰によるメリットを糸数氏はこう断言する。特に大きかったのは、パスポートなしで沖縄と本土を自由に行き来できるようになったことだ。
「日本の一部になった瞬間に本土とのビジネス交流が活発になり、多くの人材がやってきてはいろいろな技術を教えてくれるようになりました」と糸数氏は語り、人々の往来の増加が沖縄経済に好影響を与えたと強調する。
一方で、沖縄経済に関しては、1人当たりの県民所得が全国最下位で、貧困世帯の多さも極めて深刻であることがよく取り沙汰される。もちろん、そうした事実は課題として受け止めつつ、糸数氏はこう言う。
「いまだに県民所得が一番低いから経済は成長していないという声もありますが、それはまったく違います。順位がワーストであるだけで、以前の生活と比べたらはるかに良くなっています」
沖縄で幼少期を過ごした糸数氏の実感として、昔は本当に困窮した人たちがもっとたくさんいたという。現に、本土復帰した1972年度の1人当たりの県民所得は44万円で、国民所得を100とした場合の水準は59.5%だった。けれども、2018年度には239万1000円、74.8%になっている。
沖縄県民の生活レベルの向上は、デパートリウボウの業績にそのまま表れている。復帰時点の売上高は40億円程度だったのに対し、ピークとなった2019年2月期決算は、売上高181億7000万円と、約50年で4倍以上に伸びた。
「小売業なので一般消費者を相手にしています。つまり、県民が豊かにならないと、われわれも豊かになりません。復帰とともに右肩上がりで会社が成長しているのが良い証拠」と糸数氏は力を込める。
セゾングループからノウハウを学ぶ
同社のビジネス成長のドライバーとなったのは、1982年に西武百貨店(当時)を中核としていたセゾングループと結んだ業務提携である。事の始まりは個人と個人のつながりだった。
「復帰した後くらいに、(元セゾングループ代表の)堤清二さんが沖縄にやってきました。長らくリウボウの経営トップだった宮里辰彦さんは東京大学卒で、堤さんの先輩に当たる人でした。沖縄の発展のためにセゾングループとしてもぜひ支援したいと、提携に至ったのです」
具体的にどのような成果があったのか。
「日本のさまざまな商品をどんどん仕入れられるようになりました。また、セゾングループの社員がたくさん沖縄に来てくれたため、彼ら・彼女らから東京の大手百貨店のノウハウを直接学ぶことができました。提携によって単に仕入れ商品が増えただけでなく、人材交流ができたことが大きかったです」
後年、業務提携は解消するが、こうした本土からの学びがリウボウの飛躍に貢献したことは間違いない。
“ニッチ戦略”に活路を見出す
復帰後の経済発展をきっかけに、リウボウに限らず数多くの沖縄企業が稼げるようになったのは確かだろう。ただし、まだまだ沖縄に足りないものは多いと糸数氏は指摘する。例えば、技術を自分のものにするという気持ちが欠けているという。
「学んだ技術を高める意思と努力が足りず、もっと教えてくれという受け身の姿勢です。習得したら、さらに改善して他を超えるものにしないと、自分たちにノウハウが残りません。沖縄の弱点はここ。これを変えなければ県民所得はずっと最低のまま」
さらに新型コロナウイルスの感染拡大によって、観光客が激減した沖縄は苦境に立たされている。これから先も企業として生き残るためには、技術やノウハウを身に付け、自分たちのものになるよう磨いていかねばならない。加えて、独自性も必要だと糸数氏は訴える。
そうした中で、リウボウが取ろうとするのが“ニッチ戦略”である。
「今後は海外のニッチな商品を探し出し、積極的に仕入れていきます。大手の百貨店であれば効率が悪くてやらないでしょうが、そのノウハウに長けた会社にリウボウがなるべきだと考えています」
「それと、たとえニッチでも数多くの商品を扱えばそれなりの利益になります。そのカテゴリーが好きな人にとっては、非常に魅力的なものですから。同じ理屈で他社はやらないため、競争が生まれないでしょう。逆にトレンドを追い求めたら価格競争になり、それこそ大手には勝てませんよ」
世界中の多種多様なニッチ商品を仕入れ、
「琉球王国の時代から、沖縄はそういうことをやっていたわけですよ。どんな国の船でも受け入れては、各国の優れた名産などをかき集めて、中継貿易で利益を上げていました。それが沖縄の生き残り戦略だったのです」
沖縄が元来備えていた強みを、そのままリウボウの強みにすればいい。実は、かつてのリウボウはそれを実践していた。復帰前、リウボウのバイヤーは米軍の軍用機に乗って海外へ行き、日本にはないさまざまな商品を仕入れていた。「舶来品のリウボウ」と言われていた時代があったのだ。
復帰とともになくなってしまったこの取り組みを復活させたいと糸数氏は意気込む。バイヤーの人員増など、数年前から改革に動いている。目指すのは、世界中のニッチな品々が並ぶ売り場だ。
「僕らが狙っているのは、東京などにはない商品を海外から仕入れて、『沖縄のリウボウに行くと自分の好きなものが手に入る』と、本土からも買い物に来てもらうことです。他では売っていない、世界中のユニークなものを集めていきたい」
舶来品のリウボウーー。これを復活させて、沖縄経済をけん引する企業であり続ける考えだ。
バナー写真:「デパートリウボウ」の看板とリウボウホールディングスの糸数剛一会長。糸数氏は百貨店事業を運営するリウボウインダストリーの社長も務める