米海軍兵学校で教鞭を執った元海上自衛官が語る「日米同盟の重要なカギ」
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コアなリーダーを養成する大学
―どういう経緯で米海軍兵学校に教官として赴任することになったのですか。
海上自衛隊の幹部学校で教官をしながら慶応大の大学院で学んでいた時に、突然声が掛かりました。私は哨戒機のパイロットとして鹿屋(鹿児島県)や岩国(山口県)などで勤務しましたが、9.11(米同時多発テロ)の後にハワイにある米太平洋軍司令部やインド洋給油活動でバーレーンの連絡官をしました。また1年間、産経新聞社で記者研修をしたこともあります。東日本大震災では、統合幕僚監部の副報道官として災害派遣の報道・広報を担当しました。
―海軍士官というとリチャード・ギア主演の映画「愛と青春の旅立ち」を思い起こされる人も多いと思いますが、アナポリスはどのような学校ですか。
米国のコアなリーダーを養成する大学です。コアという意味は、軍を辞めた後も政財界で活躍する中核的な存在ということです。卒業後の5年間は軍務の義務がありますが、その後は自由に職業を選択できます。学生は1学年1100人くらい。卒業生の活躍は多様で、大統領のジミー・カーター氏、上院議員のジョン・マケイン氏、アポロ13号のジム・ラベル船長、またノーベル賞受賞者もいます。
―6年間の在任中、どんな学生たちに、どのような授業をされたのですか。
私は「言語文化学科」に配属され、日本語の教育を担当しました。日本語は選択科目で、日系の学生もいますが、宣教師として日本で活動していたという人もいました。年間で約250人の学生が日本語を学んでいますが、初級、中級、上級のコースがあります。私の授業は卒業後、日本に赴任した時に、自衛隊や日本政府の職員、企業関係者などと共に仕事をすることを考えて、米海軍士官として恥ずかしくないように文化的な知識水準の引き上げに努めました。例えば上級コースでは司馬遼太郎や星新一の作品を読んだり、池波正太郎の『男の作法』を取り上げて、寿司やそばの食べ方の作法を学んだりしました。
映画『永遠の0』に感涙した学生たち
―米国人と日本人の考え方の違いが、授業を通じて浮き彫りになったことがありましたか。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を授業で扱った時に、文化の違いに驚きました。この小説はお釈迦(しゃか)様が、地獄で苦しむ主人公が生前、クモの命を助けたことを理由に救い出してやろうとする物語です。なぜ「地国」ではなく「地獄」と書くのかとか、「何回も裁判をして最後に閻魔(えんま)大王の裁きで地獄に落ちたのに、お釈迦様が気まぐれで助けてもいいんですか」といった鋭く、客観的で論理的な指摘に驚いたことがあります。
―軍事に対する価値観や考え方の違いを感じたことはありましたか。
ちょっとリスクがあったのですが、神風特攻隊を描いた映画『永遠の0』(百田尚樹原作)を授業で取り上げました。学生はもちろん攻撃を受けた米国人側の立場で見るわけですが、敵のゼロ戦パイロットも同じ年ごろの青年で、それぞれの家族や人生があるという視点を持ってもらいたかったからです。学生たちはみな感涙していました。彼らには旧日本軍に対する憎しみの感情はありません。むしろ米国は多大な犠牲を払って強大な敵日本に勝てた、という非常に謙虚な気持ちを持っていると思います。武人として死力を尽くして戦うことで醸成される尊敬の念、いわゆる武士道精神を日本とアメリカは共有しているのではないかと感じました。
―アナポリスはどんな気質や校風なのですか。
一言で言うなら、「謙虚」という意味の「humble」。これがアナポリスの卒業生全員が持つ精神であり校風です。成績優秀で運動能力に優れ、リーダーシップの実績がなければ入学できない(出願には大統領、副大統領、上下院議員らの推薦状が必要)ので、新入生として6月に入学するときは肩で風を切ってアナポリスにやって来ますが、約1カ月半の「プリーブ・サマー(Plebe Summer)」と呼ばれる厳しい訓練の間に大きく変化していきます。先輩たちの厳しい指導の中で、新入生は問われます。「君たちはこれまでトップとかベストと言われてきただろう。でもここでは当たり前のことだ。今の君はアメリカのために何ができるのか」。訓練が終わるころ、新入生には「humble」の芽が出ています。
―アナポリスは日本の防衛大学校に相当しますが、どのような違いや共通点がありますか。
海軍兵学校では、ものすごくアカデミックな教育にフォーカスしています。アイビーリーグ(ハーバード大学など米東海岸の8つの私立エリート大学の総称)と同じレベルの学生が入学し、授業は20人以下の少人数制で、大講堂の授業もありません。約4500人の学生に対し教員は1600人もいます。授業では小テスト、2回の中間試験と期末試験、宿題で徹夜というのも珍しくありません。日本に比べ卒業への道のりはかなり厳しいと言えます。なお、卒業時には理学士(Bachelor of Science)が海軍兵学校から与えられます。
主要国で留学生がいないのは日本だけ
―アナポリスで特に印象に残ったことは何ですか。
アナポリスには、全米唯一のサイバー学部があります。インテリジェンス分析やサイバー防衛といった先端分野の教育で、日本は大きく水をあけられています。米国では「STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics) 」の教育に力が入れられています。18歳から22歳の時期に優先するのは、ミリタリー・トレーニングか、アカデミック・トレーニングかという議論がありますが、アナポリスでは明らかにアカデミック・トレーニングに軸足を置いています。学術的なリサーチ能力と論理的思考力を鍛えることで、いかなる状況下でも最善の判断と行動ができるアメリカのリーダーを育てる。その考え方に迷いはありません。
―日本の士官教育の改善に資するようなことは何か見つかりましたか。
米海軍兵学校には、日本から1880年代から1900年まで留学生を派遣していました。日露戦争で活躍し海軍大将になった瓜生外吉(うりゅう・そときち)が知られていますが、1900年を最後に途絶えています。1940年までには、アナポリス出身の日本の海軍士官はいなくなりました。今も昔も青春の4年間をともに過ごした絆は固く、日米の人的ネットワークは両国の政財界に張り巡らされていたと思います。この大切なネットワークの喪失が、日米間に生じた様々な問題の解決の糸口を閉ざし、戦争の惨禍へと導いていく大きな要因の1つになったのでないかと考えています。
―アナポリスでは、海外の留学生をどれくらい受け入れているのですか。
世界29カ国から、合わせて56、7人の留学生が来ています。韓国や台湾もそれぞれ3人ずつ派遣しています。日本に対する米側の期待はとても高く信頼も厚いのですが、現状は自衛隊から4年間学ぶ留学生は派遣されていません。半年間の短期交換留学制度では両校の学生が互いに数人づつ派遣されていますが、4年間アナポリスで学ぶ留学生を日本から派遣することは国家戦略としてとても大切だと思います。
日本ファンが増えたのは大きな喜び
―アナポリスで教官を務められて、前山さんが得た最大の成果は何でしたか。
日本ファンが増えたということです。私が赴任したころは日本に対する学生たちの関心が薄れつつあった時期で、日本語の履修率は、私が赴任した2016年秋学期の時点では、前年の3.2%から2.6%まで落ち込んでいました。非常に強い危機感をおぼえ、授業の内容を刷新するなどして20年前半には3.8%にまで回復して安定化することができました。また顧問を務めたJapanese American Clubの登録者数も約50人から500人になりました。
―どんな努力や工夫をされたのですか。
アナポリスには妻と長女、そして愛犬を連れていきました。家族を含めた総力戦で、学生たちに海軍カレーの試食会をやったり、日本の家庭料理(肉じゃが、鳥のから揚げ、巻きずし、おにぎり等々)を中心に和風バーベキューをやりました。最初は5、6人がボランティア的に参加する感じでしたが、やがて人気が出始め70人くらいが参加する恒例行事になりました。
また、アナポリスでは毎年1月か2月に、艦艇要員を対象に自分が最初に赴任する艦艇を選べる「Ship Selection」という大イベントがあります。大勢のクラスメートや後輩たちが見守る中、約250人の学生たちが成績順にステージに上がり、艦艇の名札を選びます。日本には横須賀と佐世保に基地がありますが、2018年に私の発案で、一番初めに日本を選んでくれた学生に日米友好の証(あかし)として居合刀(模造刀)の贈呈を始めました。2019年には早くも「日米海軍の伝統」とテレビニュースで紹介され、米海軍でも有名になりました。そして2020年と21年には、なんと成績1番の学生が横須賀を選びました。
―将来、日米の士官同士はどう付き合うべきか。そのカギは何でしょうか。
アナポリスで痛感したのは、「人材のインターオペラビリティ(相互運用性)」が極めて重要な要素になるということです。米海軍はE4S(Education For Seapower)に取り組んでおり、教育をシー・パワーと捉えています。高等教育が推進され、大佐に昇任するには修士以上の学位が必要になります。日米同盟の現場を考える時、大学院で鍛えてきた米海軍士官との「知」の均衡性や人的なインターオペラビリティをどうするのか。特に現代戦は「知」がキー・ファクターとE4Sでは分析しています。こうしたことを総合的に考えると、やはりアナポリスの地で日米の青年が肝胆相照らす人間関係を構築し、共に知的トレーニングを積むことが、まず何よりも日本の戦略として必要だと思います。
バナー写真:各国海軍からアナポリスへ派遣されている交換士官との記念撮影に納まる前山氏(前列左から3人目) 写真:前山氏提供(記事中写真はすべて)