出井伸之氏がソニーにもたらしたもの
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デジタル・ネットワーク事業を推進
出井伸之氏は1960年の入社。オーディオ事業部長や広報宣伝部長などを経て、95年に社長に就任した。創業者井深大(いぶか・まさる)氏の薫陶を受けた大賀(おおが)典雄社長の指名を受け、「世界のソニー」の重責を担った。
ソニーの象徴だった「It’s a Sony」のキャッチフレーズではなく、「Re Generation」(第二創業)「デジタル・ドリーム・キッズ」を掲げ、投資を経営指標として重視する「EVA(Economic Value Added=経済的付加価値)」を導入した。EVAは税引き後営業利益から資本コストを差し引いた経営指標だ。最小の資産で最大の利益を上げる資本効率の管理に使われ、売上高と純利益だけでは見えない企業経営の実態を把握できる。創業世代とつながりの薄い出井氏が成功体験に浸るソニーへの危機感の表れだった。
「インターネットはビジネス界に落ちた隕(いん)石だ。隕石で恐竜が滅んだように、適応できない会社は滅ぶ」
93年にアル・ゴア米副大統領(当時)が提唱した「情報スーパーハイウエイ構想」に衝撃を受けた出井氏は、大賀社長(同)にネット対応の必要性をしたためた建白書を提出した。当時のソニーはウォークマンやビデオカメラが大ヒットしている「モノづくり」主体の会社だった。「インターネットによりソニーも大きく影響を受けるとの出井氏の提言は、社内でなかなか受け入れられなかった」と証言するのは、出井氏の指示でVAIO開発にあたった宮沢和正氏(同、現ソラミツ社長)だ。
出井氏はパソコン黎明期の80年代、MSXパソコン「HiTBiT」を手掛けるも失敗。4度目の挑戦で「GIプロジェクト」を立ち上げ、VAIOを世に送り出す直前だった。Gはインテルのアンディ・グローブCEO(同)、Iは出井氏の姓の頭文字から取ったコードネームだ。「出井氏はパソコンもインターネットもソニーがやらなければいけないとの思いがその頃からあった」と宮沢氏は振り返る。プロバイダー「So-net」を運営するソニーネットワークコミュニケーションズを95年11月に設立するなど、出井氏はソニーのデジタル・ネットワーク事業を推進した。
EVAの呪縛
ただ、そんな出井ソニー時代に、米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が2001年、デジタル音楽プレーヤー「iPod」を世に送り出し、音楽配信「iTunes」を事業化した。iPodは瞬く間にMD(ミニディスク)やカセットテープのウォークマンに取って代わった。ジョブズ氏は07年に米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏との対談で、「iPodが存在する理由は、ポータブルミュージックプレイヤーの市場をつくって独占していた日本の企業が、ソフトウェアを作れなかったからです」と述べている。
ソニーグループ内でも危機感が強まり、ソニー・ミュージックのアンドリュー・ラックCEO(同)は03年、日本の本社に乗り込み、「これがウォークマンキラーです」とiPodを差し出し、ハードと音楽配信の統合を主張した。だが、ソニーは自社音楽コンテンツの独自コピー防止を推進するなど、排他的な囲い込みに走り、ハードも音楽配信事業も一敗地にまみれた。
経営指標EVAもソニーを自縄自縛(じじょうじばく)に陥らせた。経済産業省が「日の丸液晶」を掲げ、国内の液晶産業育成を図った際、ソニーは韓国サムスンと液晶合弁事業を立ち上げた。後にシャープが過大な液晶投資で経営危機に陥ったことから出井氏の英断と評する声もある。一方で、韓国や中国は国の優遇策で液晶事業を進めたことを踏まえると、ソニーが日の丸液晶に参画していれば異なった展開もありえた。
ここでソニーが液晶投資を抑制した原因として考えられるのがEVA。短期的な業績を評価できる指標で企業決算に合わせやすいものの、同じく投資の指標で複数年度をみるNPV(Net Present Value=正味現在価値)の方が投資の意思決定に向いているとされる。
また、ソニーは当時、部門ごとの報酬をEVAに反映させていた。投資を抑制すれば、数値が向上するため、ソニーが液晶に限らず新規投資を抑制する物差しになったのは否定できず、ソニーのイノベーション停滞を招き、社内からも不満が募った。
EVAは現在も活用している企業があり、間違った概念ではない。出井氏は退任後に出した著書『迷いと決断』で、「理解されなかったEVA」にページを割き、「長期的な投資が出来なくなった」という声を「頓珍漢な批判」と評した。
現在のソニーの経営の柱であるプレイステーションにも「出井氏は冷淡だった。開発を指揮した久夛良木健(くたらぎ・けん)は苦労していた」と、両者をよく知るソニーOBは語る。出井氏は「カリスマ経営者」と崇(あが)められ、ソニーショック後は米経済誌に「世界最悪の経営者」と評された。ただ、ソニーOBも「すべてが出井さんの責任ではなく、後任の社長や意図を解しなかった取締役の責任がより重い」と擁護する。毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする出井氏ではあるが、日本の電機産業が頂点に至った時代を生きた経営者として、その名前は残り続けるだろう。
時事通信のインタビューに応えるソニー前会長の出井伸之クオンタムリープ代表取締役(東京・丸の内)2007年12月20日(時事)