絶滅した特別天然記念物トキはなぜ佐渡島で復活したのか
環境・自然・生物 社会- English
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東経138度北緯38度の日本海に不思議な島がある。一度は絶滅した特別天然記念物の野鳥トキが自然界で復活し、空を舞っている佐渡島だ。
鮮やかな紅色の翼が空に映えるこの鳥は19世紀ごろまで東アジアで広く生息していた。しかし、美しい羽根は装飾品に使われ、乱獲と環境破壊によって数を減らし、20世紀にはほぼ絶滅の状態に陥った。
日本でも国内産トキは2003年に絶滅。しかし中国から提供を受けた親鳥から子孫を人の手で増やしては自然界に放ってきた結果、この14年間で自然界に生息するトキは推定約480羽まで増えた。農薬や化学肥料を抑制してトキに餌場となる田んぼを提供してきた島は、理想的な自然再生の取り組みとして注目されるようになり、「佐渡モデル」を佐渡以外に広めようとする計画が始まった。
トキを保護し続けた島民の歴史
2021年9月、佐渡海峡に近い佐渡島東部の小佐渡山地、野浦地区。標高約350メートルの斜面には階段状に造られている棚田が広がる。畦(あぜ)道にトキを1羽ずつ入れた木箱が並べられた。合図とともに箱のふたを開くと、体長1メートルほどの1~2歳の5羽が大きく羽を広げて飛び立った。放たれた雄3羽と雌2羽は周囲を飛び回ったのち、森のかなたに飛んで行った。
トキの野生復帰事業は国策として進められている。1993年に「種の保存法」が施行された。この法律は「野生動植物が生態系の重要な構成要素であるだけでなく、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのできないものであることに鑑み、絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存を図ることにより、生物の多様性を確保するとともに、良好な自然環境を保全し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする」とうたう。
同法に基づいて策定された野生復帰事業がトキ保護増殖事業計画で、環境省は佐渡島で新潟県や佐渡市(佐渡島全域をカバー)、民間保護団体、新潟大学らと協力しながら取り組んできた。
放鳥の流れは次のようになっている。
佐渡島内にある佐渡トキ保護センター、野生復帰ステーション、トキふれあい施設の3カ所のほか、新潟県長岡市の飼育センター、東京都の多摩動物公園、石川県のいしかわ動物園、島根県出雲市の飼育センターの計7カ所の飼育施設でひなを育てる。全国に分散して飼育するのは感染症による全滅を防ぐためだ。
育った成鳥から放鳥する個体を選んで、佐渡島の野生復帰ステーションにある順化ケージに集める。順化ケージは奥行き約80メートル、幅約50メートル、高さ約15メートルの巨大な空間で内部に林や田んぼなど自然界が再現されている。施設生まれのトキは、狭いケージ内ではせいぜい数メートルの距離しか飛ばずに育つ。ゴルフ練習場ほどある順化ケージに移されて初めて、本来の野鳥に戻って長い距離を飛ぶ経験をする。約3カ月間、自力で餌をとったり、天敵から逃れるために早く飛んだりする訓練を経て、「籠の鳥」から脱却して自然界で生きてく術を身に着ける。
いよいよ自然界に放つ放鳥の日を迎える。
放鳥には順化ケージの扉を開放して放つソフトリリース方式と、島内の生息候補地まで車で運んで放つハードリリース方式の2通りがある。放鳥する個体には足環を付け、羽根には識別用のマークを塗り、民間ボランティアの力も借りて追跡調査を行っている。
拠点となっているのは、環境省佐渡自然保護官事務所だ。ここに「レンジャー」と呼ばれる2人の自然保護官が常駐し、新潟県の専門スタッフらと共同作業で取り組んでいる。この事業のため、国費だけでも毎年度1億円以上が投じられている。2008年に秋篠宮ご夫妻を迎えて始まった佐渡島での放鳥は年2回のペースで続き、22年6月で26回を数えた。放鳥された個体は計446羽にのぼる。自然界での繁殖は順調で、生き残った放鳥個体数よりも野生化で生まれた個体数の方が上回っているとみられる。
この野生復帰事業の舞台が佐渡島に選ばれた背景には、戦前にさかのぼる島民によるトキ保護の歴史がある。
国がトキを天然記念物に指定したのは1934(昭和9)年。そのころから、佐渡島では農民を中心に保護活動が組織的に本格化した。ねぐらを調べ、餌となるドジョウやタニシを水田にまいた。野浦地区もそうしたトキ保護の「聖地」の一つだ。住民はビオトープ(人工の餌場)を作ったり、棚田では農薬を通常の7割から5割減らしたりしてきた。集落の神社ではトキとの共生を誓う「朱鷺(とき)祈願祭」も続いてきた。
こうした民間の動きを受けて行政も保護活動に乗り出し、1967年には新潟県が佐渡島にトキ保護センターを設けたが、遅きに失した。日本産の最後の1羽は2003年に死んだ。
起死回生の助け舟となったのは、日中友好の象徴として中国から1999年に提供された2羽の個体だった。この2羽から初の人工繁殖によるひなが誕生し、この後も提供された3羽を含めた計5羽の個体から子孫が増えていった(2018年にはさらに2羽が提供された)。
不可欠な役割を果たした世界農業遺産の田んぼ
絶滅が危惧される生物の復活として世界的にも注目されているトキの野生復帰事業だが、重要な役割を果たしたのが佐渡島で行われてきた「生き物を育む農業」だ。
あまり知られていないが、トキは極めて人手のかかる野鳥だ。ひとたび放鳥すれば、あとは勝手に餌をとり繁殖を繰り返していく生き物ではない。ドジョウやタニシ、虫などはかつて田んぼや畦に生息していたが、農薬と化学肥料の普及や土木工事を伴う圃場整備によって餌となってきた生物は姿を消した。トキ絶滅にとどめを刺したのは、農業の「近代化」だった。
21世紀に入って転機が訪れる。2004年に佐渡島を襲った台風で水稲は大打撃を受け、その後も佐渡産米は消費が落ち込んだ。窮地に立たされた佐渡市とJA佐渡が注目したのがトキの野生復帰事業だった。そして打ち出したのが環境保全型農業への転換だった。
島内の田んぼや畦をトキの餌場にするため、「農薬や化学肥料を5割以上減らす」「除草剤はまかない」「田んぼで生き物調査を年2回行う」「水路の設置」など5つの技術要件を1つ以上行う、といった厳しい条件の下で栽培されたコシヒカリなどの米を市が認証し、「朱鷺と暮らす郷(さと)」(通称「トキ認証米」)と銘打って売り出した。これにスーパー大手のイトーヨーカ堂が共鳴して首都圏で売り出した。これをきっかけに「朱鷺と暮らす郷」はブランド米となり、全国約280の米取扱店に広がった。東京都内の小学校では、この米を給食に採用するとともに、佐渡市の田んぼからオンラインで生産者を講師に「生き物を育む農業」について授業をする学校まで出た。
2011年、国連食糧農業機関(FAO)は佐渡市を「世界農業遺産」に認定した。環境保全型農業がトキの野生復帰に果たした役割を「トキと共生する里山」と評価したもので、石川県の能登半島とともに先進国では初めての認定となった。
記者は佐渡島で車を運転していたとき、しばしばトンボの群れに囲まれた。フロントガラスに当たりそうになったため、慌ててスピードを落とした。トンボの群れは周囲の田んぼから発生したとみられ、「生き物を育む農業」を体感した。
2008年に始まった佐渡市のトキ認証米制度は3年後には、水稲面積の2割を占めるまでになった。少子高齢化が進み、年1000人のペースで人口の減る離島では、手間のかかる「生き物を育む農業」を続けるのは苦労が多いが、生産者は「後戻りはできない」と語る。
トキ認証米制度の担当職員だった渡辺竜五・佐渡市長は「環境を守ることが地域づくりになる」と語る。渡辺市長はこの路線を発展させ、農薬やエネルギーを使わずCO2を出さない「無農薬米生産プロジェクト構想」を打ち上げている。
「佐渡モデル」を全国に広げるためには
環境省はトキの生息地域を佐渡島の外にも広げる方針を決め、受け入れる自治体を募るため、2022年5月から「トキと共生する里地づくり取組地域」の公募を始めた。6月末で締め切り、審査を経て8月に選定する。審査項目の中には、トキの生息地になる水田や水辺、森林が計1万5000ヘクタール以上であることや、地域ぐるみの取り組みとして環境整備が見込まれることを挙げている。
これらの要件はまさに佐渡島で官民挙げて行われてきた実績を反映したものになっている。
「佐渡とき保護会」「佐渡トキの田んぼを守る会」「佐渡生きもの語り研究所」「トキの水辺づくり協議会」…。トキ保護の歴史を持つ島のボランティアグループは20を数える。これらのグループは、環境、農林水産両省や新潟県、佐渡市といった行政、新潟大学、JAなどの経済団体とともに「人・トキの共生の島づくり協議会」を結成し、情報の交換と保護活動の連携に努めてきた。島内の小学校では、トキとの共生が授業で取り上げられたり、学校田ではトキ認証米の栽培がいかに手間がかかるかを体験したりしている。
トキと共生する「第二の佐渡」づくりが成功するには、行政による上からの政策だけでは足りない。そこに住む人々や民間団体が「トキと共生するとはどういうことなのか」を理解して行政と一体となって取り組めるかが問われることになるだろう。
バナー写真 : 保護に尽力してきた住民によって棚田から放鳥されるトキ=2021年9月、新潟県佐渡市野浦、筆者撮影