日蓮生誕800年に思う: 21世紀に注目される仏教

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平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、大地震や噴火などの災害が各地で多発。貴族社会から武家社会への転換期で戦乱が繰り返され、飢饉や疫病で苦しむ人々が後を絶たなかった。そのような社会的混乱や不安が広がる中で、仏様の教えにより人々を救おうとさまざまな宗派が生まれた。その一つが日蓮によって開かれた日蓮宗。日蓮自身は法華宗を名乗っていたが、宗派名に日本人の宗祖の名前が使われているのは、13ある宗派の中でも日蓮宗だけ。日蓮が生まれて800年目となる2022年、日蓮が日本仏教と社会に与えた影響を検証する。

手紙ににじむ心の温かさ

2022年は日蓮生誕800年に当たる。多くの記念行事が催され、筆者も僭越(せんえつ)ながら『日蓮の手紙』(角川ソフィア文庫)をまとめ、NHK-Eテレ「100分de名著 日蓮の手紙」で“人間日蓮”の実像を解説する機会を得た。

現存する日蓮の手紙の真蹟(しんせき)と写本340通は、他宗派の開祖の追随を許さない。子を亡くした母親に寄り添った手紙や、職場や親子の人間関係に悩む人への現実的で具体的な励ましを読み、日蓮の心温かく人間性豊かな人格に触れ、「国家主義的」「攻撃的」――など巷(ちまた)で聞いていた日蓮像が一変した。

北条一族の重臣で、職場の同僚からの嫉(ねた)みで命を狙われ続けた武士の四条(しじょう)金吾に対して、一貫して命を守るためのこと細かな忠告を与えているが、「殺(や)られる前に、殺ってしまえ」といった攻撃的態度は一切見られず、“専守防衛”に徹していたことがうかがえる。

また今、喫緊の課題となっている地球温暖化への警鐘や、戦争への危惧にも目を見張った。それは『兵衛志(ひょうえさかん)殿御返事』の次の一節である。現代語訳して引用する。

「世も末になると、人の貪(どん)欲さが過剰になり、主従、親子、兄弟の間で論争が絶えず、他人との争いは言うに及ばない。そのため、天も国を見捨て(飢饉による食糧の高騰、戦争、疫病などの)諸々の災難、あるいは一、二、三、四、五、六、七の日が出て、草木は枯れ、河川も枯渇(こかつ)し、大地は炭の熾火(おきび)のように燃え、大海は煮え立つ油のようになり、最終的には無間(むけん)地獄から炎が噴き出し、梵天(ぼんてん)の世界にまで火炎が充満する。これ程のことが出現して、世の中は衰退するのだ」

タゴールの予見

いずれも21世紀の今日に直面している現実的問題である。その21世紀に仏教が注目されるだろうと予見した人がいた。詩人、作家、思想家、音楽家など多才な顔を持つインドのR・タゴールである。彼が創設したタゴール大学学長のバッタチャリヤ博士が来日された折、「アジアは一つでなければならない」「それは、政治や武力によってではなく、文化によって一つでなければならない」「かつて、アジアは文化によって一つであった時代があった」「それは仏教によって実現されていた」「仏教は21世紀に注目されるであろう」――とタゴールが語っていたと聞いた。

13世紀以降、インドの仏教徒は限りなくゼロに近い。それなのに、仏教のどんな点をタゴールは評価していたのか質問した。博士は、①本来の仏教は徹底して平等主義を貫いた②迷信・占い・ドグマ(教義)などを徹底して排除した③西洋的な倫理観を説かなかった――時間がなく、この3点を挙げられるのみだった。

筆者は、この3点に「④“法”(dharma=普遍的真理、ダルマ)と“真の自己”に目覚めることを重視した」を追加し、その意味をこれまで考察してきた。その中でも、③に関連して仏教の倫理観について述べてみたい。

タゴールの言う西洋的な倫理とは、人間や万物を創造した絶対者(神)に対する誓約として成立する倫理のことであろう。その場合、「神のために人を殺す」ことが「正義」になることが起こり得る。そこにおいては「神が目的」で、「人間が手段」となる。命も手段化されてしまう。またイデオロギーが神に取って代わることもあろう。

それに対して、仏教では絶対者を認めない。中村元(はじめ)博士は、「西洋においては絶対者としての神は人間から断絶しているが、仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、いな、人間そのものなのである」(『原始仏教の社会思想』)とその違いを論じた。

原始仏典には次の記述がある。

「すべての生きものは暴力を恐れる。すべての生きものは死におびえる。わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない」(『ダンマパダ』)

「『彼らも私と同様であり、私も彼らと同様である』と思って、わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない」(『スッタニパータ』)

ここに絶対者は出てこない。人間対人間という現実の関係において倫理が説かれている。人間が手段化されることはなく、人間が目的であった。

仏教は人間、あるいは生命以外のものに至高の価値を置くことはなかった。『大智度論(だいちどろん)』には、「世間の中にて命を惜しむを第一となす」「一切の命あるものは、すなわち昆虫に至るも皆、身を惜しむ」とある。

至高の価値を命に置く

仏教経典の一つである『法華経』を最も重視した日蓮も次のように記している。

「すべての戒めの最初に挙げられているのは不殺生戒(ふせっしょうかい)です。上は偉大なる聖人から下は蚊や虻(あぶ)に至るまで、命を財(たから)としないものはありません。これを奪うことは第一の重罪です。如来はこの世に出現して、生きとし生けるものの命を憐(あわ)れむことを本意としています」

「命というものは、すべての財の中で第一の財です。〔中略〕(銀河系宇宙に相当する)三千大千世界に満ちている財をもってしても命に代えることはできません」

「世の中で人の恐れるものは、火炎(ほのお)の中と、刀剣(つるぎ)の影と、この身の死することです。牛や馬でさえ身を惜しみます。人が身を惜しむのはなおさらのことです。難病の人だけでなく、壮健な人もなお命を惜しむものです」

ここで言う「火炎の中」と「刀剣の影」は、ミサイルや大砲などのない時代の戦争のことであろう。

至高の価値を人間や生命以外のところに置くと、人間や生命が手段化される。仏教は、人間や生命以外のものに至高の価値を置くべきではないと主張した。その尊さも、まず自己の尊さへの目覚めが第一歩となる。自己の尊さに目覚めるが故に、他者の尊さも知る(信ずる)ことができる。

日蓮は、そのことを「一心を妙(みょう)と知りぬれば、また転じて余心(よしん)をも妙法と知るところを、妙経とはいうなり」と表現した。自己の心(命)を尊いもの(妙)と知ったならば、目を転じて他者の心(命)も尊い存在(妙法)と知ることができる。そのことを他者に伝えたくて言葉による表現に打って出る。そこに尊い言語表現(妙経)があるというのだ。筆者の最大関心事である〈自己〉〈他者〉〈言葉〉の三つの関係を簡潔ながら見事に表現している。

日蓮は、「一人を手本として一切衆生(いっさいしゅじょう=すべての人間)が平等であることは、このようなことです」とも語っている。

仏教の説く「平等」と「他者の命の尊さ」の裏付けには、一人ひとりの自己への目覚めがあったのだ。

以前、無差別殺人事件の犯人が、「誰でもよかったから殺したかった」と語っていた。それを聞いて、親から愛情をかけられることなく育ち、自己が生きていることの尊さに気づく機会に恵まれず、自暴自棄になっていたからではないか――と思ったものだ。

法華経の真髄

法華経には、失われた自己の回復の物語が感動的に語られている。また、自己の尊さに目覚め、あらゆる人に「私はあなたを軽んじません」と語りかけ、他者を尊重し続ける常不軽(じょうふきょう)菩薩(ぼさつ)が登場する。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のデクノボーのモデルであり、日蓮が自らに引き当てて論じていた菩薩だ。

この菩薩は、経典を読誦(どくじゅ=声を出してお経を読むこと)することも解説することもなく、あらゆる人を尊重することだけを貫いた。その行為を理解されず、ののしられ、危害を加えられるが、決して感情的にもならず、その振る舞いを貫いた。臨終間際に、誰も語っていない法華経の声が天から聞こえてきて、素直にそれを受け容れ、寿命を延ばし、そこから法華経を説き始めた。最終的には理解を勝ち取り、自他ともに覚りを達成する。

この「誰も語っていない法華経の声が天から聞こえてきて、素直にそれを受け容れた」という記述に重大なメッセージが込められている。この菩薩は、経典を読誦することも解説することもなかった。仏道修行の最低限の形式を満たしていない。けれどもあらゆる人を尊重し続けた。そのこと自体が法華経の精神にかなっていた。文字として経典を読まなくても、その人間尊重の振る舞いが既に法華経であって、法華経を自得していたということであろう。

これは、経典ばかり読んで難解な議論に明け暮れ、「人間を軽視する」権威主義的出家者たちに対する痛烈な皮肉でもあり、ここから、仏道修行の形式を満たしているかどうかは二の次で、人間や生命を尊重することが法華経であり、本来の仏教だということも読み取れる。

そうすると、27年もの獄中生活に耐えて反アパルトヘイト運動に身を捧げたN・マンデラ氏も、公民権運動のリーダーの一人であったM・L・キング牧師も、法華経を実践していたと言える。仏教徒かどうかは二の次で、人間や生命を尊重することが法華経だというこの思想は、人間尊重、生命の尊厳を根本に据えることによる、一宗一派のセクショナリズムを超えるものだといえよう。

法華経のタイトルは、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)と漢訳されたが、サンスクリット語ではSaddharma-puṇḍarīka-sūtraで、「白蓮華(びゃくれんげ)のように最も勝れた正しい教え」を意味する。インドで重視される蓮華の中でも最も勝れた白蓮華に譬(たと)えたのは、この人間尊重の思想を説いているからだろう。

その法華経を日蓮は重視し、法華経に還れと主張した。その法華経に基づいて、死の間際まで“立正安国”を訴え続けた。国主を諫(いさ)めたその意図は、「国主と成って民衆の歎(なげ)きを知らざるにより……」という一節に表れている。その上で、「なんじの一身の安堵(あんど)を思うならば、まず四方が静穏であることを願うべきです」「国に衰微がなく、国土に破壊がないならば、身は安全となり、心は禅定(ぜんじょう=安らぎの境地)を得ます」として、人々を戦争や飢えや疫病などの生命の危機にさらしてはならないと訴えた。

仏教史上、大量虐殺したことを悔い、仏教徒となって生命を尊重する理想的帝王に転じた王がいた。紀元前3世紀のアショーカ王だ。治世9年目にカリンガ国に侵攻し、15万人の捕虜のうち10万人を殺害した。戦禍によってその数倍の人々が死亡した。

それを悔いて仏教徒となり、治世10年頃に釈尊(しゃくそん)ゆかりの地を巡礼し、人民を慈しむ政治を行った。貧しい人のための「施しの家」、人間と動物のための病院を開き、各地で薬草を栽培し、街道には並木を植樹し、3里半ごとに井戸や、旅人の休憩所を設置した。

その政治理念として、「ダルマ(法=正義)による政治」を掲げ、「国王といえども一切衆生の恩を受けている。政治はその報恩のために行われるべきである」「国民は皆、わが子である」という信念を貫いた。それは、法華経の「(一切衆生は)ことごとく是れ我が子なり」に通ずる。

〈本来の仏教(原始仏教)〉〈法華経〉〈日蓮〉のすべてが訴えていた人間と生命を至高の価値とする思想が、今こそ注目されるべきであろう。

日蓮

日蓮像(久遠寺所蔵)
日蓮像(身延山久遠寺所蔵)

鎌倉時代の仏教僧。鎌倉仏教の一つである日蓮宗の宗祖。1222年2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の漁村で誕生。12歳の時に清澄山(きよすみやま)の清澄寺(せいちょうじ)に入り、住僧の道善房(どうぜんぼう)を師として修学に励む。16歳の時、出家し、是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)を名乗る。各宗派の教義を検証するため、比叡山延暦寺を中心に、園城寺・高野山などに遊学。52~53年頃、清澄寺に戻り、法華経の伝道を宣言する。53年、鎌倉に移り、伝道活動を開始。日蓮を名乗る。57年8月、鎌倉に大地震があり、大きな被害が発生。60年、浄土教を禁圧して法華経に帰依(きえ)しなければ、国内に内乱が起こり、他国から侵略を被るであろうと、為政者の宗教責任を問う『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を著し、時の最高権力者、執権北条時頼に提出。その過激な思想を危険視した鎌倉幕府や浄土教信者の反発により弾圧や流罪(61年に伊豆、71年に佐渡島)を受ける。82年10月13日、入滅。画像提供:身延山久遠寺

バナー写真:日蓮聖人像(神奈川県鎌倉市・妙本寺)時事(2013年03月)

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