ニッポンの異国料理を訪ねて:国を持たない世界最大の少数民族・クルドの文化を日本に伝える、東京・十条「メソポタミア」

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日本の日常にすっかり溶け込んだ異国の料理店。だが、そもそも彼らはなぜ、極東の島国で商いをしているのか――。東京・北区、JR十条駅の目の前に、世界における政情不安な地域のひとつ、“クルディスタン”の文化を伝えるレストランがある。クルディスタンと重なる文明の地「メソポタミア」をその名に冠した店に足を踏み入れれば、故郷を離れてなお同胞のために尽くす、ある男性の姿があった。

国境を越えて育まれたクルド料理

下町風情が色濃く残る東京都北区の十条は、さまざまな食文化が混在するエスニックタウン。その中でもひときわ目を引くのがJR埼京線十条駅の改札から徒歩1分足らずの『メソポタミア』だ。

この名前、おそらく聞き覚えがあるはずだ。世界四大文明のひとつとして、私も世界史で学んだ。

でもメソポタミアって、いったいどこにあるんだっけ?

疑問を抱えたまま勇気を出して階段を上がり、厨房にいた背の高い男性におずおずと尋ねる。

――あの、ここではどの国の料理が食べられるんですか。

「クルド料理ですよ」

――クルド、といいますと……。

「私たちはクルド人といって、『国を持たない世界最大の少数民族』と呼ばれています。残念ながら国として認められていませんが、トルコ、シリア、イラク、イラン、そしてアゼルバイジャンの一部は、『クルド人が住む土地』という意味で 『クルディスタン』と呼ばれているんです」

――ははあ。でも、どうして店の名前がメソポタミアなんですか。

「メソポタミア文明が生まれたチグリス川、ユーフラテス川の上流は山岳地帯で、そこがクルディスタンに重なるんです」

クルドの基礎知識を丁寧に教えてくれるのは、この店のオーナーシェフのワッカス・チョーラクさん。2017年、日本唯一のクルド料理レストランとなる、『メソポタミア』をオープンさせた。

メニューには料理のほかに、クルディスタンのエリアを示す地図やクルドに関する基礎的な情報が掲載されている 写真=渕貴之
メニューには料理のほかに、クルディスタンのエリアを示す地図やクルドに関する基礎的な情報が掲載されている 写真=渕貴之

島国に住む私たちは、国境で人種や言語、文化を切り分けて考えてしまうところがあるが、世界はそう簡単には割り切れるものではない。食文化の多くも、国境を越えて根づいている。

では、クルド料理とは果たしてどんなものなのか。「トルコ料理なら、なんとなくイメージが湧きますけど……」と伝えると、トルコ東部の出身だというワッカスさんはこう答えた。

「クルド料理は長い歴史の中で、中央アジアはもちろん、ギリシャ、ペルシャ、アラブなどさまざまな食文化の影響を受けてきました。山岳で遊牧生活をしてきたので、季節の旬の野菜や果物、ヨーグルトやチーズといった乳製品が欠かせない食材となっています。トルコ料理として知られる料理にも、クルドで生まれたものが多いんですよ」

そう言ってワッカスさんが勧めてくれたのは「メソポタミアセット」1250円。1枚のプレートにピラフ、ポテトのオーブン焼き、そしてクティリクというコロッケに似た揚げ物が。いずれもクルド人の食卓によく上がるメニューだという。

ピラフは控えめな塩味で、ニンニク味のポテトとの相性は完璧。だがなにより、クティリクが素晴らしかった。サクサクの麦の皮に包まれた羊のひき肉から、一気に甘味があふれ出す。ひき肉にはタマネギ、ジャガイモ、クルミ、ゴマなどがブレンドされ、麦とともに奥深い甘みを醸し出しているのだ。

クティリクによって扉が開いたクルドの世界。私はその後、たびたび『メソポタミア』に足を運び、そのたびにワッカスさんや在日クルド人の背景や暮らしぶりを少しずつ知ることになった。

日本の料理に例えるなら、コロッケかメンチカツの食感に近い「クティリク」 写真=渕貴之
日本の料理に例えるなら、コロッケかメンチカツの食感に近い「クティリク」 写真=渕貴之

トルコ政府の迫害を逃れて

1981年に生まれたワッカスさんはトルコ東部、クルド人の村で幼少期を過ごした。だが80年代後半、強まるトルコ政府の弾圧、迫害に抵抗する形でクルド独立運動が燃え上がる。

トルコには徴兵制があり、兵役に就いたクルド人には同胞との戦いの最前線に送られる者も少なくない。そのつらさは、とても想像できるものではない。そうした中で、9人兄弟の兄のひとりが反政府軍に参加。ワッカスさんの一家はトルコ政府に目をつけられ、国内を転々とすることになった。

「あのころはトルコ軍に故郷を攻撃されたクルド人が難民となり、その数は500万人に上るといわれています。独立運動に参加した兄はその後オランダに逃れ、日本に逃れた兄弟もいます」

クルド人として厳しい現実に直面しながらも、ワッカスさんは先生になる夢を抱いて大学に進む。だがトルコ政府が「トルコにはトルコ人しかいない」という立場を取っているため、大学にはクルド語やクルド文学を研究する場はなく、強制的に身につけたトルコ語を専攻しなければならなかった。しかも兄のことで目をつけられている。

この国では希望を見出せない。そう悟ったワッカスさんはマレーシアに渡って学生生活を続け、トルコに戻ると危険なことから兄弟を頼って日本の土を踏む。2009年のことだった。

『メソポタミア』店主にして、クルド語の教授を務めるなどさまざまな顔を持つワッカスさん。流暢な日本語を操る 写真=渕貴之
『メソポタミア』店主にして、クルド語の教授を務めるなどさまざまな顔を持つワッカスさん。流暢な日本語を操る 写真=渕貴之

今日も腕によりをかけて故郷の料理を振る舞うワッカスさん。だが料理人という肩書きは、数多くある彼の顔のひとつにすぎない。

『メソポタミア』で夜営業の厨房に立つ彼は、実は平日の昼、教壇に立つこともある。東京外国語大学の教授として、日本人学生にクルド語を教えているのだ。また、日本クルド文化協会の理事でもある。

店にはクルドにまつわる書籍が並んだ本棚があり、そのうちいくつかにはワッカスさんの名前がクレジットされていた。クルド語の辞書、文法書を編さんし、4月に発売された料理本『クルドの食卓』(ぶなのもり刊)にも協力。川端康成の『雪國』をクルド語に翻訳し、日本文学をクルドの人々に紹介する活動も行なっている。

日本に生きるクルド人のために

ワッカスさんが暮らす埼玉県南部の川口市(と蕨市)は、クルド人が多く暮らしていることから、クルディスタンをもじって「ワラビスタン」とも呼ばれる。

2018年の『東京クルド』、そして今年5月6日には『マイスモールランド』が公開と、近年、この地に暮らすクルド人の若者を取り上げた映画が相次いで制作されているが、そこにもワッカスさんは深く関わっている。

これらの映画にも描かれているように、日本に生きるクルド人には日常の多くの場面で制約が課されている。

クルド人は難民として認定された例がなく、仮放免という不安定な立場に置かれた人が少なくない。仮放免になると就労が許されず、県境をまたいだ自由な移動も禁じられ、国民健康保険を持つこともできない。難民であるはずの彼らが、この国では保護されるどころか犯罪者のような扱いを受けている。クルド文化の発信に努めるワッカスさんは、同時に苦境に陥った同胞の支援にも日夜奔走しているのだ。

店内ではクルドの文化を紹介するさまざまな展示も見られる。赤白緑に黄色い太陽の旗はクルディスタンの旗 写真=渕貴之
店内ではクルドの文化を紹介するさまざまな展示も見られる。赤白緑に黄色い太陽の旗はクルディスタンの旗 写真=渕貴之

4月下旬、久しぶりに『メソポタミア』を訪れると、店にはトルコからやってきたクルド人ジャーナリストが2人いた。彼らは日本に4カ月滞在して、日本のクルド人の暮らしぶりなどを取材するのだという。この2人に宿を貸し、故郷の料理を提供するのは、やはりワッカスさん。同胞をサポートする無私の精神には頭が下がる。

「私たちクルド人は90年代に日本に暮らし始めて、いま2世の時代を迎えています。彼らは多くの壁に直面し、アイデンティティにおいても自分が何者なのか分からず、苦しむ若者は少なくありません。そうした壁をなんとか乗り越えてほしいと思い、私はさまざまな活動をしています。『メソポタミア』を開いたのもその一環。クルドはまだまだ日本の人に知られていませんが、この店に来たことをきっかけにクルドの言葉や料理、手芸を学び始めた人もいるんですよ」

クルド人に生まれたというだけで、理不尽な試練にさらされる人々がいる。そのひとりでありながら、自らの境遇を恨んだり嘆いたりすることもなく、ただひたすら自らの使命を果たそうとするワッカスさんの人生に触れると、生きるということの意味を深く考えさせられるのだ。

クルド料理『メソポタミア』 写真=渕貴之 東京都北区上十条1-11-8-3F 電話:03−5948-8649 営業時間:11時〜23時 定休日:月曜 JR十条駅南改札から徒歩1分
クルド料理『メソポタミア』 写真=渕貴之
東京都北区上十条1-11-8-3F 電話:03−5948-8649 営業時間:11時〜23時 定休日:月曜 JR十条駅南改札から徒歩1分

バナー写真:クルドの代表的な料理をワンプレートで堪能できる「メソポタミアセット」(1250円) 写真=渕貴之

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