《ワリエワの衝撃》ロシアを巡るドーピング事情とその歴史、日本スポーツ界が禁止薬物に染まらない理由とは

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今年2月に開催された北京冬季五輪で女子フィギュアスケートの注目選手、カミラ・ワリエワのドーピング違反が発覚し、世界中に衝撃が走った。弱冠15歳での違反もさることながら、これまで再三にわたり国や組織ぐるみでドーピングに関わってきたとして2020年12月、22年12月までの主要国際大会からの除外処分を受けたロシアで、相変わらずドーピングがはびこっている事実が判明したためだ。スポーツ界からドーピングがなくならない理由、そして日本のスポーツ界が禁止薬物に染まらない理由を考察する。

15歳のドーピング違反

北京冬季五輪で世界中の関心を集めたのは、フィギュアスケート女子に出場したロシア人選手、カミラ・ワリエワのドーピング違反であった。今シーズン、シニアデビューしたばかりの15歳のワリエワは、グランプリシリーズで出場した2大会ともに優勝。世界歴代最高得点をマークし、金メダル最有力と目されていた。

北京でも個人戦の前に出場した団体戦で他を圧倒する得点をたたき出し、ライバルとなるであろう選手が見当たらないほど図抜けていることを証明した。だから団体戦後に発表された、2021年12月下旬のロシア選手権でのドーピング検査で陽性結果が出たというニュースは衝撃を与えた。

ワリエワは大会への出場可否を問われる事態となり、その裁定はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に持ち込まれた。そして、2つある検査検体のうち陽性は1つで確定事項とならないこと、「16歳未満は要保護者」というドーピング規定などに基づき、CASは資格停止処分を認めない裁定を下す。ワリエワは個人戦も出場を許されたが、かえって一身に注目を浴び続ける結果となり、プレッシャーからミスを連発して4位で大会を終えた。

ワリエワのドーピング違反が確定するのは今後の調査の結果次第とされたことから、彼女が金メダルを獲得した団体戦も含め、成績は暫定的なものとなった。団体戦は、場合によっては2位のアメリカ、3位の日本が繰り上がる可能性があるため、表彰式が実施されないという異常事態となった。

団体戦や個人ショートプログラムでは「ロシアの最高傑作」という称号にふさわしい圧巻の演技を見せていたワリエワだったが……(2022年2月15日、中国・北京) AFP=時事
団体戦や個人ショートプログラムでは「ロシアの最高傑作」という称号にふさわしい圧巻の演技を見せていたワリエワだったが……(2022年2月15日、中国・北京) AFP=時事

ワリエワの一件はまた、別の問題にもあらためて焦点を当てることになった。それはロシアのスポーツ界におけるドーピング問題である。

ロシアの選手たちが北京冬季五輪に「ロシア五輪委員会」(ROC)の所属名で出場したことが示すように、組織的かつ度重なるドーピング違反により、ロシアは国としてのオリンピック参加を認められていない。オリンピックに限らず、さまざまな競技の国際大会から締め出されている。ロシアに対して継続中の処分は、世界のスポーツ界がドーピング問題に厳格に対処していることを示している。それにも関わらず、なぜドーピング違反は止まないのだろうか。

薬物使用の定義と歴史

ドーピングは「競技力を増幅させる手段を不正に使用すること」と定義され、薬物による筋肉増強、持久力向上を図る行為などがそれにあたる。ワリエワが摂取したのは持久力を向上させる効果のある薬だ。試合そのものに影響するわけではないが、練習後の回復を早めることで長時間の練習や強度の高いトレーニングを可能にしたことが考えられる。

オリンピックで正式にドーピング検査が実施されるようになったのは、1968年のグルノーブル冬季五輪とメキシコ五輪からだ。当初は覚せい剤などを使用する選手が目立ったことから、それらを取り締まる検査が中心だった。しかし、70年代半ばからは先に挙げた筋肉増強のための薬物使用が見られるようになり、さらに持久力系へも広がった。

検査の範囲も広がり、現在では男性化ステロイド薬、赤血球造血に影響を与えるもの、ホルモン・代謝調整薬、興奮薬、麻薬など分類だけ見ても多岐にわたり、数えきれないほど多くの薬などが指定されている。それらの薬は服薬ないしは注射により摂取される。また、赤血球を増やして持久力を高めるために輸血する「血液ドーピング」のような手法も違反とされている。

ドーピングが禁止される主な理由は、フェアな競争が妨げられること、副作用により競技者の健康を害することにある。実際、ドーピングが死につながったとみられるケースもあった。

健康を損ない、人生そのものに影響を及ぼす危険性があり、発覚すれば年単位で競技会に参加できない。違反を繰り返せば競技生命を失うこともある。それらを考えれば、ドーピングのリスクはきわめて高い。

それでもドーピング違反者は後を絶たない。リスクを冒してまでドーピングをする選手が消えない理由はどこにあるだろうか。

リスクを冒す対価

一つには選手個人の動機だ。

例えば、1988年のソウル五輪100mで優勝しながら、その直後に筋肉増強剤の使用が発覚したベン・ジョンソンの事例がある。ジョンソンが手を染めたきっかけは他国の女子選手が驚異的なタイムをマークするのを目の当たりにし、ドーピングの力であると確信。同じように速くなりたいと考えた。飛躍的に競技のパフォーマンスを高めたい、勝ちたいという欲求から始まるケースは、ある意味、ドーピングにおける“王道”だ。地道に努力するより、手っ取り早く栄光をつかみたいという誘惑に負ける選手は少なくない。

ソウル五輪で当時の世界新記録9秒79で優勝したベン・ジョンソン。ドーピング発覚後、記録は取り消された(1988年9月24日、韓国・ソウル) 時事
ソウル五輪で当時の世界新記録9秒79で優勝したベン・ジョンソン。ドーピング発覚後、記録は取り消された(1988年9月24日、韓国・ソウル) 時事

活躍すれば、スポンサーなどの経済的なメリットもついてくる。それが手段を選ばず勝ちたいという方向へ選手を向かわせる。

組織的に行なわれる場合もある。国家なりチームなり、一定の規模の集団が、結果を求めて選手にドーピングさせる場合を指す。

かつて中国には「馬軍団」として知られる陸上チームがあった。90年代、所属する選手たちは女子中長距離で次々に驚異的な世界記録を生み出した。ただ、選手たちが女性と思えない低い声質であること、男性的ともとれるひげが見られる、といった点からドーピング疑惑が指摘された。疑惑が渦巻く中、2000年のシドニー五輪には、責任者であるコーチや代表に選ばれた選手らが参加しなかった。だが10年ほど経って、不参加の理由がドーピング違反の発覚であったことを中国スポーツ界の幹部が明かし、選手らの証言も公にされた。

馬軍団の場合、コーチの名誉欲が要因であったというが、組織的に行なわれるケースが大規模になると、それは国家ぐるみとなる。70年代、80年代には、陸上や競泳で傑出したパフォーマンスを発揮する選手たちが次々に現れることから、旧ソ連を中心に東欧諸国で国を挙げてドーピングがなされているのではないか、という疑いがあった。

それらのケースは完全に解明されるには至らなかったが、ようやく証拠とともに明らかになったのが、今日問題とされているロシアでの大規模なドーピングだ。

ロシアを巡る一連の追及

きっかけは2015年の出来事だ。世界反ドーピング機関(WADA)は数々の証言や証拠をもとに、ロシア陸上競技連盟、コーチ、選手たちが組織的にドーピングを推進していたことを発表。しかも本来は検査する側のロシア国内のドーピング機関が、1400以上の検体を破棄するなど隠蔽に協力していたことも明らかにした。

2016年には女子テニス元世界ランキング1位にしてロシア国籍を持つ、マリア・シャラポアのドーピング問題が発覚。会見で自ら事実を公表した(2016年3月7日、アメリカ・ロサンゼルス) AFP=時事
2016年には女子テニス元世界ランキング1位にしてロシア国籍を持つ、マリア・シャラポアのドーピング問題が発覚。会見で自ら事実を公表した(2016年3月7日、アメリカ・ロサンゼルス) AFP=時事

その後もロシアのドーピング検査所の元所長が、14年ソチ冬季五輪で組織的な不正があったことを証言するなどした。WADAは、国家の指示のもとでロシアのスポーツ界がドーピングを行なっていたと結論を下し、18年の平昌五輪・パラリンピックからロシアを除外。クリーンと認められた選手のみ「ROC」として個人資格での参加が認められた。

その後、ロシア、WADA間の協議により資格停止処分はいったん解除されたが、19年にロシアのデータ改ざんが発覚。WADAは20年東京、22年北京の五輪・パラリンピックにロシアとしての参加を認めず、平昌同様、クリーンな選手のみ個人資格で参加を認めると決定した。にもかかわらず、ワリエワの違反が発覚したことからロシアへの視線は一層厳しいものになり、大会期間中、欧米メディアを中心に厳しい追及がなされることになった。

個人的な動機にせよ、組織的な動機にせよ、ある種の薬物が禁止されればそれをかいくぐるように新たな薬や手法を見つけ、それが禁止されればまたかいくぐろうとする。まさにいたちごっこである。

日本アンチ・ドーピング機構専務理事の浅川伸氏は、「選手には居場所の情報を出していただき、その情報に基づき試合以外の場でもドーピング検査を行なっています」と日本側の取り組みを説明する。それは抜き打ちで行なわれるが、やはり「いたちごっこ」は尽きず、「ドーピング違反を表に出さないで競技している選手をすべて刈り取られているのかと言われれば、なかなか難しい」と根絶の難しさを語る。

つまり、ロシアがクローズアップされてはいるが、実際はロシアに限った話ではないということでもある。今年1月にWADAが公開した19年の規則違反報告書によれば、制裁対象となったのは1535人。115に及ぶ国別でみると、トップがロシアで167人、2位イタリアは157人、3位インド152人、4位ブラジル78人、5位イラン70人……と続く。

日本アンチ・ドーピング機構の浅川伸専務理事(2019年10月21日撮影、東京・内幸町の日本記者クラブ) 共同
日本アンチ・ドーピング機構の浅川伸専務理事(2019年10月21日撮影、東京・内幸町の日本記者クラブ) 共同

ドーピングを防ぐ環境とは

日本は世界でも極めてクリーンな部類に入るが、時に規定違反が発覚することもある。2017年には競泳、レスリング、フェンシングで違反とされるケースがあり、平昌五輪でも1人が違反となった。ただ日本の場合、意図的というよりも成分を把握しきらないままサプリメントを摂取するなど不注意による場合がほとんどだ。禁止薬物であることを自覚し意識的に摂取するケースは見られない。そういう意味では、ドーピングとの縁は薄いと言っていいだろう。

日本アンチ・ドーピング機構などがセミナー等の啓蒙活動の機会を設け、選手に知識を与えている意義は大きい。とはいえ、海外でもアンチ・ドーピング教育は行なわれている。その中で日本の選手がドーピングに向かわない理由はどこにあるのか。

手段を選ばず結果を求めることへの嫌悪感が強い風土、つまりフェアであることを大切にする空気が強いことを理由に挙げる人がいる。また、日本のアマチュアスポーツ界には、「企業スポーツ」という枠組みで競技に打ち込む選手が多いことを指摘する人もいる。

「企業スポーツ」では企業が選手を社員として採用し、給料や強化費用を負担することで、選手が競技に集中する環境を整えられる。競技で結果を出さなければ即座に競技資金、生活費用が断たれるというわけではない。そうした安定・安心感が、手段を選ばず結果を求める行為を阻止しているのだ。

時に、「ドーピングしたらもっとパフォーマンス上がるのかな、と考えたことはあります」という選手の声も聞く。それでも実行に移さないのは、こうした日本の環境があってのことではないか。

とはいえ、企業スポーツの存続は景気に左右されやすいという側面もあり、日本のアマチュア選手も安穏とはしていられない。スポーツ界とドーピングの戦いはこれからも止むことはないだろう。その中で選手や関係者が、いかにフェアな精神を保てるかが鍵となる。

バナー写真:北京五輪フィギュアスケート女子フリーの演技でミスを連発。本来の実力とは程遠い内容で終え、顔を覆って落胆するワリエワ(2022年2月17日、中国・北京) AFP=時事

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