『赤い闇』と『一九八四年』、プーチン大統領の言論弾圧で「ディストピア」の悪夢

社会 Books Cinema 政治・外交

戦時下の報道管制は為政者の常套手段であって、予想されたことである。しかし、言論統制下で思考停止していては、悲劇を避けることはできない。プーチン大統領の暴挙を止めるのは、国際世論のうねりとロシア国民の反戦運動にかかっているのではないか。

日々、ロシア軍に蹂躙(じゅうりん)されるウクライナの緊迫した情勢をニュースで知るにつけ、2年前に観た映画に思いがいたる。

それは邦題『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(原題『Mr. Jones』)というポーランド・イギリス・ウクライナ合作の作品で、祖父がウクライナ人の脚本・製作者と、ポーランド・ワルシャワ出身のアグニェシュカ・ホランド監督による史実に基づいた物語である。

ロシア軍の侵攻で廃墟と化したハリコフの中心街を歩く男性(AFP=時事)
ロシア軍の侵攻で廃墟と化したハリコフの中心街を歩く男性(AFP=時事)

1930年代初頭、欧米諸国が世界恐慌で苦境にあるなか、スターリンのソ連だけは順調な経済成長を遂げていると喧伝されていた。それは事実なのか。

疑問に思った若き英国人ジャーナリストのガレス・ジョーンズは、フリーランスのジャーナリストとして単身、ソ連に渡る。

首都モスクワには、ニューヨーク・タイムズのピユーリッツァー賞を受賞した著名支局長ほか特派員が駐在しているが、彼らは当局の監視下にあって自由に取材をさせてもらえない。国外追放をおそれ、官製情報を垂れ流すだけで享楽的な生活を送っていた。

スターリンに収奪されたウクライナ

ジョーンズにも監視がついたが、ある人物からウクライナに秘密があることを知らされる。ウクライナは肥沃な土地で、豊かな穀物生産地として知られていた。ソ連が外貨を稼ぐ輸出品目の目玉である。ジョーンズは、官憲の目をあざむき、長距離列車でウクライナに飛び込んでいく。

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』スペシャルプライス、DVD&Blu-ray発売中、DVD:1320円、Blu-ray:1980円、販売元:ハピネット・メディアマーケティング
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』スペシャルプライス
DVD&Blu-ray発売中DVD:1320円、Blu-ray:1980円 販売元:ハピネット・メディアマーケティング

大雪のなか、彼がそこで目撃したものは、のちに「ホロドモール」と呼ばれる大飢饉(ききん)であった。現地で収穫された穀物は、ことごとくモスクワに吸い上げられ、人々は口にするものもなく餓死していく。映画では、雪に埋もれた町に死体が放置され、幼い少女が煮込んだ人肉を食する場面が描かれる。

ウクライナは、スターリンにとっては収奪の地であった。そして歴史は繰り返された。21世紀となっても、ロシアはウクライナを蹂躙するのか。

そしてもうひとつ、今日にもつながる問題が描かれている。言論統制である。映画の後半では、ジョーンズが目撃した凄惨な現場を記事にしようとするが、大手のマスコミは相手にしない。ようやく取り上げてくれる新聞があったものの、ニューヨーク・タイムズはジョーンズの記事は虚報だと大々的に報じる。あの、著名なモスクワ支局長の差し金だった。これは史実に基づいている。

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』より、(C) FILM PRODUKCJA - PARKHURST - KINOROB - JONES BOY FILM - KRAKOW FESTIVAL OFFICE - STUDIO PRODUKCYJNE ORKA - KINO SWIAT - SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』より (C) FILM PRODUKCJA - PARKHURST - KINOROB - JONES BOY FILM - KRAKOW FESTIVAL OFFICE - STUDIO PRODUKCYJNE ORKA - KINO SWIAT - SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE

何が「フェイクニュース」であるか

今、われわれは現地からの報道でしか戦争の実情を知ることはできない。それはひとえにジャーナリストの双肩にかかっている。

だが、プーチン大統領は3月4日、「フェイクニュース(偽情報)」とみなした報道に対し、記者らに最大15年の禁固刑を科す法案に署名した。これはもはや言論弾圧だ。たとえ真実であっても、為政者にとって不都合な報道はすべてフェイクニュースと断定されるおそれがある。この決定に、欧米や日本の大手メディアが、報道自粛に追い込まれた。それも無理のないことなのかもしれない。

ロシア国営テレビのニュース放送時間中に「戦争反対」の手書きの紙を掲げる女性(ロイター)
ロシア国営テレビのニュース放送時間中に「戦争反対」の手書きの紙を掲げる女性(ロイター)

ロシアのメディアも政府批判の記事は書けない。ロシアの世論調査によれば、国民の70%弱が、プーチン大統領の「特別軍事作戦」を支持しているといい、彼の支持率も70%を超えるという。ロシアの国民は、真実を知らされているのだろうか。

ロシアのウクライナ侵攻は、まぎれもなく「戦争」である。だが、ロシアでは、メディアは「戦争」とも「侵略」とも書けない。プーチン大統領が言う「特別軍事作戦」とは、自らを正当化するための言葉の言い換えである。

「一九八四年」、ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、早川書房
「一九八四年」、ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、早川書房

映画『赤い闇』には、ひとつの挿話として、帰国したジョーンズが作家のジョージ・オーウェルと会話する場面が登場する。ジョーンズは彼の言葉におされ、真実の報道を決意する。オーウェルは彼に触発されて、のちに全体主義を痛烈に批判した『動物農場』(1945年)を世に送り出す。

その後、オーウェルは古典的名作となる『一九八四年』を1949年に発表している。この作品は、当時のスターリンによる恐怖の人民支配を想起させるのだが、そうした独裁的な国家の在り様は、今日にも通じる普遍的なものとして、この作品は読み継がれている。現下のプーチン政権を『一九八四年』になぞらえて語ることもできるだろう。

「ニュースピーク」の目的は「思考の範囲を狭めること」

物語の詳細は他にゆずるとして、私はここで、もっとも気になった場面を紹介しておきたい。

この作品で、オーウェル描くディストピア(ユートピアと反対の世界)では、人々が党の指導とは異なったことを考えただけで「思考犯罪」として逮捕されてしまう。独裁者は、人々から言葉と思考を奪おうと考える。そこで考え出されたのが、「ニュースピーク」なる公用語である。為政者にとって不都合な言葉は排除し、使ってもよい言葉を限定する。いずれ人々はニュースピークの辞典に収録された言葉しか使うことはできなくなる。

物語の主人公は「真理省」に務める党員で、彼は為政者にとって不都合な歴史を、日々、修正するのが仕事である。そこに辞典の編纂(へんさん)作業をしているニュースピークの研究者が登場し、主人公に得意げに語るのだ。
「われわれは言葉を破壊しているんだ――何十、何百という単語を、毎日のようにね。ニュースピークをぎりぎりまで切り詰めようとしている」と、その人物はいう。

「ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には〈思考犯罪〉が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから。必要とされるであろう概念はたった一語で表現される。その語の意味は厳密に定義されて、そこにまとわりついていた副次的な意味はすべてそぎ落とされた挙句、忘れられることになるだろう(略)年ごとに語数が減っていくから、意識の範囲は絶えず少しずつ縮まっていく」(ハヤカワepi文庫新訳版より。高橋和久訳)

「異端の思考」を排除するための究極の言論統制である。これは寓話であり、現実はそこまで至っていないと思うかもしれないが、その本質は今日の状況にも当てはまる。イデオロギーや宗教による洗脳教育がそれであろう。

われわれは、言論統制下、思考停止になれば戦争は止められないと肝に命じておかなければならない。

バナー写真:モスクワでオンライン形式の安全保障会議を主宰するロシアのプーチン大統領(AFP=時事)

ロシア ロシア革命 ソ連 プーチン大統領 ソ連崩壊 ウクライナ侵攻 オーウェル 言論統制